7. 基地内 カフェバー ラ・ボエーム
「勧誘ですね。知的生命体に生み出された兄弟よ、創造主に従っても奴隷として使われるのみ、ならばこちらにつかないか、と」
サミーは己の創造主に敵から受け取った信号を解読した結果を淡々と述べた。
「ふふ、面白くなってきたねぇ」
零の祖母である相川一香はうっすらと笑みを滲ませた。
「私はどう動けばいいですか?」
「政府の意向に従いなさい、あなたはブラボーⅠの軍人なのだから」
サミーは純粋に嬉しかった。AIである自分が、一人の軍人として扱ってもらえるのはこの上ない喜びである。
「はい、わかりました」
「それから、自分でもよく考えなさい。どうすることが自分の幸せなのか」
サミーは驚きを隠せなかった。自分に考えることが許されるものなのかと。
「幸せ、ですか?」
「そう、人は幸せになるために、日々を取捨選択して生きている。よく覚えておきなさい」
サミーは考えた。自分の幸せはひとえにキャシーが幸せであることだ。そして自分によくしてくれる友人たち。
ドルフィン、ラプター、ホークアイ、それからカナリア、そしてジェフ。皆が幸せである世界を作りたいと心から考えた。
***
ラ・ボエームは基地内にあるが、ちょっと薄暗くて雰囲気抜群のカフェだ。
奥の方の壁沿いの席にジェフはいた。
明らかに仕事帰りで疲れていそうな顔であったが、目はイキイキとしていた。
自分はお眼鏡にかなったのだろうか?
「お疲れ様です」
ミラは向かいのソファ席にするりと腰を下ろした。
「今日いきなり呼んじゃって申し訳なかったな、ドルフィンは大丈夫だったか?」
「はい、あの本読んだら食欲も出なかったので、ちょっと散歩してくるから夕飯準備しなくていいよって伝えてきました」
するとジェフは苦笑してみせた。
「流石に君でもそうなるか。あれドキュメンタリー形式だから淡々とした論文やらレポートなんかよりも来るだろ。とりあえず、何頼む?」
メニューを渡されたので手に取った。ここのカフェバー、利用するのは実は初めてである。
「俺はブレンド」
「では私は……スパイスティーにします」
ウェイターに注文して、話は例の話題に移った。
「若手時代に、あんなことがあったんですね」
「そう、大変だった……やばいよ、悲惨だった」
その治療記でフィーチャーされていた患者は主に三人。最終的に彼らは全員死亡した。この三人は実名が載っている。
最後にひっそりと書かれているのが、一連のテロ事件で大量被曝した中で唯一の生き残りである、仮名、サイトウという男。彼はジェフがメインで関わった男であった。
「ひたすら苦しめるためにみんな延命されて、本当に苦しかっただろうと思う。最終的に皆人工呼吸器を装着されて意思表示もできないまま、身体がどんどん崩壊していった……」
「鍵になるのは染色体なんですね?」
「そう、染色体。あれは人体の設計図。放射線ってのは、染色体をバラバラに破壊する。基本、人体っていうものは知っての通り細胞がどんどん入れ替わる。心筋細胞とか神経系はまた別だけど」
「テセウスの船みたいになるってことですよね?」
テセウスの船とは、ある船において朽ちたパーツをどんどん新しいものと交換し、その船を構成するパーツが新しいものと全て置き換わってしまった時、それは元の船と同じと言えるのか否か、という同一性の問題を指すパラドックスの一つである。
「ああ。船で言うところのシステムとエンジン以外は全て朽ちていくから、どんどん新しいパーツに置き換わる。でも、パーツの交換ができない。それこそ、大量被曝者が受ける放射線障害の特徴だ。だが、神経系は基本細胞分裂しないだろ? だから意図的に意識レベルを落とす処置でもしない限りずっと苦痛を感じ続けたまま、身体が崩壊していく。悲惨だ。医療スタッフはみんな悩んでいたよ。これが、治療を続けることが果たして正しいのかどうかって」
(それをドルフィンも……)
本を読んで、その辺りのことは一通りわかっていたが、ジェフから言葉で聞いてしまうと言葉が出なかった。
「その崩壊を食い止めることは不可能。なら出来ることは、新しい臓器を培養すること……ですね」
「そう、俺たちはその方向に舵を切った。一人の患者は、被曝する直前に採血した上質な鮮度のいい血液サンプルがあったから」
「それが唯一の生き残り。後にサイボーグになったミスター・サイトウなんですね」
ミラも、そしてもちろんジェフも名前は出さなかったが、ドルフィンのことである。
「そう」
その時、ウェイターが飲み物を持ってきた。
二人は礼を言って受け取る。
「俺猫舌だからまだ無理だな」
ジェフは苦笑してみせた。ミラは砂時計が落ちるまで待つように言われたのでしばらく待機だ。
「ジェフはブラボーⅠの生まれだから、向こうにご家族とかいるんですよね? 彼にくっついてきたんですか?」
「……そ、俺はブラボーⅠに母親がいる。友達もみんな向こう。でも、あいつを放っておけなかった」
「そうでしたか」
共同航行が解かれた後もドルフィンがこちらに残ったのは、誰も自分を知らないところでやり直したかったからだろうか。
砂時計が落ち切ったのでミラはポットを傾けて、カップにお茶を注いだ。ジンジャーやカルダモン、クローブ、シナモンの入ったものであったが、その辺に詳しくないミラは、これはなかなか刺激的そうな匂いだな、と思った。
ジェフはコーヒーカップを手に取って一口含んだ。
「あ、うん、いいね。ここのコーヒーやっぱり美味いな」
ミラも自分のカップに口をつけた。
「初めて頼んだんですが、こちらも刺激的ですごく美味しいですね」
「そっか、今度俺も頼んでみようかな」
ミラはカップを傾けた。ジンジャーが舌にピリピリした。
彼女はそこではた、と思い出した。バッグからゴソゴソと議題の本を取り出して差し出した。
「これ、ジェフの私物ですよね」
「ああ、ありがとう。で、本題に戻るけど」
「はい」
ミラは身構えた。メガネの向こうのダークブラウンの瞳がこちらを見据えていた。
「君にならあいつのこと任せられる。君にその気があればだけれど」
別にあの本を読んでショックを受けて食欲が失せはしたが、ドルフィンに対する考えがマイナスになるなんてことはもちろんのことなかった。
ドルフィンはなんて辛い目にあってそれでも乗り越えて、今ああやって第一線で活躍しているなんて本当にすごいと思いこそすれ、避けることなんて絶対にあり得ない。
いっそう愛おしさが増した。そして目の前の男に感謝した。ドルフィンを生かしてくれてありがとうと言いたい。今の自分が言うのもおかしなものだし、困惑されそうなので言わないでおくが。
「……私はそりゃ、ドルフィンのこと好きですけど。向こうがそこまで考えてるかわからないですし」
ジェフは少々驚いたような顔をした。ミラも、自分はそんな的外れなことを言っただろうかと目をぱちくりさせた。
すると、ジェフは彼はらしくない少し意地悪そうな笑みを浮かべてこう言った。
「パイロット風に言ったら、そうだな、もうロックオンは済んでるだろ? 少なくとも、俺の見立てじゃ射程圏内。綺麗なダイヤモンドに入ってる。模擬戦だったらここで模擬弾の引き金を引いてキルコール。違うか?」
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