6. ジェフの執務室

「やばい、かわいい。結婚したい」


 ジェフは己のデスクで行儀悪く頬杖をついて、視線はモニターに向けたままかたわらのドローンから発せられる患者のセリフを聞いていた。


 零の頭は大丈夫だろうか。いや、ダメかもしれない。


 放射線の影響を一番受けにくいのは神経系や心筋細胞だ。細胞分裂が少ない細胞ほどダメージも少ない。

 あの事故の時も神経系はやはりダメージが少なかった。頭は変わらず冴えまくっているはずである。


(ミラのせいで唯一無事な脳みそまでもがお花畑に……)


 ジェフのそれよりもできの良い脳細胞を破壊したのは誰でもない、ミラである。


「流石に跳躍しすぎじゃないか? とりあえずまず付き合えよ」

「それは申し訳なさすぎる。二十代後半って、仕事も楽しくなってきて、女性だったら恋愛関係だって一番大切な時期だろ?」


 メカの方をいじくっている間、ジェフは臓器の様子をモニタリングするくらいしかない。なので必然と雑談が増える。

 しかもここはジェフの診察室兼執務室。二人の他に誰もいない。


 今日も零は絶好調にミラのことが大好きなようだ。何よりである。惚気ならいくらでも聞く覚悟はできている。

 彼が言いたいこともわかる。ミラは現在二十七歳。結婚だのなんだのを考えたら、女性にとって今が一番大切な時期である。


 まあ、ミラにその考えはないとは思うが。


 普通の女性の身体は約一ヶ月周期で排卵があって色々と体調の波があるが、ミラの場合はそうではない。なんと、二、三年に一度である。

 一応染色体の数は人と同じであるが、だからと言って自然妊娠できるかといえば狙ったとてきっと難しいし、妊娠継続して出産に漕ぎつけられるかも正直わからない。


 わからないがやめた方がいいとジェフや婦人科担当医は彼女に告げていた。臓器の構造が人と違うので、正直どうなるかわからないのだ。

 それに彼女自身、自分と同じ苦労をして欲しくないから子供はいらない、と言っていた。だからそれ以上の検査をしていない。


(だからといって、俺が零にこれ言うわけいかないしな~)


「恋愛するにあたって一番大切な時期かどうかは、それは本人に聞かないとわからんからなんともいえない」

「なんで?」

「だってそうだろ。そりゃあ自然妊娠したけりゃ二十代後半、三十代前半までくらいを目安に相手見つけなきゃってなるけど、今や卵子だって凍結保存できるし急ぐことはない。ミラがその辺どう考えてるか知らんけど」

「……ソウデスネ」


 うだうだごちゃごちゃ余計なことを考えていないでさっさと付き合えばいいのだ。


 ミラもそろそろ例のアレを読んだだろう。彼女くらい肝の据わった女性ならこの恋愛関係となるとやたら情緒不安定になるサイボーグを支えてやれるはずだ。

 何せ、あの実験室で相当な苦労を重ねてきたのだから。


 謎の実験を受けたきょうだいが血を吐きまくってのたうち回った挙句死ぬ、なんてことも日常茶飯事だったと聞く。多少ショックは受けるかもしれないが、ドルフィン、頑張ったね。よく生きてくれたね。そんなことを言ってきっとけろりと受け入れる。


 だから彼女に託したいのだ。


「結婚したいくらい好きなんだろ」

「一緒に暮らしててストレスがない」

「幸せそうでいいですねー」


 いくら惚気られても正直言って構わなかった。なんだかんだと言ってジェフはこの男のことが好きなのだ。昔の一方的な憧れは、今やよき友といった立場になった。だから、この男の幸せを願っているのである。


 その時である。けたたましい着信音が鳴った。メカの担当からだ。ジェフは左耳のイヤホンマイクのスイッチを入れた。


「メカの方、交換と調整終了しました。臓器モニターは問題なしですか?」

「ああ、問題ない。お疲れ様」


 二言三言話して電話を切った。


「終わり?」

「ああ、帰っていいぞ」

「今日はありがとう! じゃあなジェフ! 俺はちょっと調味料を見ながら帰るかな、ラプターに連絡しよう!」

「ああ、お疲れ。また今度遊びに行かせてくれ」


 零はドローンのファンをブンブン言わせながら飛んで行った。

 ジェフはそれから報告書を書き終え、さて帰るかと荷物をまとめてマグカップを洗いに行った。

 デスクに戻って端末を手に取る。ミラからメッセージが入っていた。


(来たな……)


『あの本のことでお話ししたいことがあるのですが、少々お時間大丈夫ですか? 可能なら直接対面で話したいのですが』

『今仕事も終わった。問題ない。君が上手いこと言って部屋抜け出せるんなら、直接会うのも問題ない』

『はい、どこかで会いましょうか』

『基地内のカフェでもどうだ? 苦いコーヒー飲みながら10年前の苦い話でもしようぜ』


 ミラが指定した場所は、零たちがルームシェアしている官舎からもジェフの官舎からも行きやすい基地内のカフェバー、ラ・ボエームだった。


***


 インターホンが鳴り、ガチャリと玄関ドアの解錠音が鳴った。

 ミラ一人の部屋に、ドルフィンが帰ってきた。彼はドローンを使用して出かけていたようである。


 ミラはちょっと身構えてしまった。

 少々悪いことをしているような気分であった。まあ、ミラはドルフィンに自分の実験室のことを好きに調べていいと前々から言っていた。もちろん逆も然りだ。


 ドルフィンはテロに遭ったからミラの実験室のことを一般人に比べてあまり知らないし、ミラもドルフィンが遭ったテロのことは実験室から出たばかりであまりリアルタイムのニュースを追えていなかった。


「ドルフィン、おかえり。メンテは無事終了?」

「ただいま。特に問題もなく部品入れ替えて完了」


 キャシーは機体の整備を終えた後、整備士仲間と飲みに行くと連絡があったのだ。


 サミーは宇宙空間に出はしないが頭を使う方向の仕事があるというので帰宅は遅くなりそうだとのこと。両者ともグループメッセージに連絡が入っていたので、ミラもドルフィンも確認済みである。


「夕飯、何か食べるよな。ちょっと待って、冷蔵庫の中確認する」


 早速夕飯の話になってしまった。しまった食欲がないと素直に言うか。


「今日ちょっと食欲なくて……用意しなくていいよ」

「え! 大丈夫? ラプターがご飯いらないなんて、調子悪い?」

「うーん、ちょっと外の風当たってこようかな」


 どうしよう、ちょっと不自然か? いや、まだ5時だ。まだまだ外は明るい。


「軽くランニングとか、散歩とかしてくると良いかもしれない。あとはぼーっとお茶してくるとか。仕事の環境も変わって疲れてるんだよ、画面見ることも最近多いだろ? 目も疲れてるはず」


 ミラは言葉に詰まった。本気で心配されてなんだか心が痛んだ。

 いやまあ仮病でなくて、食欲がないのは事実である。


 ちょっと治療記が悲惨すぎたのだ。カラーの写真も入っていたし、こりゃあ、一般人だったら拒否反応を示しても仕方ない。

 元カノだか何だかが逃げ出したのもまあ理解できなくもない。


「たまには一人でゆっくりするといいよ。いきなり四人暮らしになって疲れてるだろ? 俺が引っ込もうか? 仮想現実の方で読書でもしてきてもいいし」


 ミラは必死で否定した。


「それは悪いし大丈夫だよ。ちょっと外でお茶でも飲んでくる。あんまり遅くならないうちに戻るね」

「ああ、俺のことで何かあったら言ってほしい。しゃべりすぎだから黙れとか」


 ミラは堪えきれずに笑ってしまった。ドルフィンはそんなおしゃべりな男ではない。


「それはないよ、いつも楽しくて助かってる。じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 ミラは端末だけ持って玄関に向かった。

 そして思い出した。


(壁! ジュース!)


「あ! 行く前にちょっといい? そこの壁のタッチパネルみたいなのにさっきジュースかけちゃって……大丈夫? ごめんね、水拭きして乾拭きもしておいたんだけど……」

「別に防水加工してるって聞いたから大丈夫だよ。普段使ってないし、あのタッチパネル」


 やっぱりタッチパネルだったのか。前々から壁にあって気にはなっていた。だが、ジェフが待っているはずなので今はどうでもいい。


「ならよかった。じゃあ、今度こそ行ってくるね」

「気をつけてな、ラプター」


 タッチパネルの詳細は後で聞こう。そう思ったミラであったが、玄関から外に出た頃にはもうすっかりタッチパネルのことなど忘れてジェフの元に足を急がせていた。

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