3. メインアイランド 控室と帰り道

 ジェフは迷った。今後、ミラの存在が零にとって毒になるか薬になるかはわからないが、毒になられたら困るのだ。

 彼女が毒になるならば、手を引いてもらわなきゃならない。


(まあ、あんな経験したミラならなぁ……)


 手元には一冊の本があった。自分もこれを書いた男に取材を受けた。公共放送、科学文化部のデスク。マスコミなので正直信頼していなかったが、彼はありのままを書いてくれたし、患者の遺族の許可が出なかったことはきちんと伏せてくれた。下手な論文を読ませるより、この一冊を読ませた方がよほど読者の胸を打つ。


「ミラなら零を支えてくれるはず……」


 実験室で辛い目にあった彼女なら、同じく困難を乗り越えてきた零にきっと寄り添えるはずだ。


***


「はい、撃墜キル


 サミーの声がスピーカーから響いた。


「もっと骨のある人はいないんですか?」

「……サミー、ちょっとやりすぎじゃない?」

「皆もっと危機感を持ってほしいです。この程度のパイロットだったら一瞬でやられます」


 その通りだ。それは間違いないのだが……。


「はい、ストームワン、あなた死にましたよ。次、ストームツー、撃墜キル


 今日はアイランドスリーの空を貸し切っての模擬戦だった。


 サミーは事前の打ち合わせ通り、ゼノンの動きを完璧にコピーした。

 ミラも打ち合わせにあったようにエアブレーキやターンを繰り返して、ゼノン特有のトリッキーな動きをできるだけ模倣する。


 驚くべきはフィリップだ。彼は完璧にミラの補佐をして見せた。クリムゾンはご満悦な様子であった。


「サミー、完璧だ。よくここまでコピーした」

「クリムゾン、褒めるべくは私ではありません。私はできて当然です。肉体がありませんから。ラプターとダガーは賞賛に値します」


 地上に降りてクタクタのヨロヨロだった。その状態で、まさかサミーがここまで褒めてくれるとは思ってもいないプレゼントだった。


「ああ、二人ともよくやった」


 メインアイランドまで飛んで戻り、控室にようやく辿り着いて今にもへたり込みそうなフィリップをいたわる。


「よかったな、サミーに褒めてもらえて。人工重力きついでしょ?」

「やばい、あれ本当にきついですね。ラプターはこの前の戦闘あんなGを感じながら飛んでたんですね。しかも頭ではわかってたけど大気があると揚力もあるし、頭ではわかってましたけど……」

「うん、あれ経験して、一度艦内演習しなくっちゃなって思って。クリムゾンに進言してよかった」

「クリムゾン、艦内演習またやらなきゃなって言ってましたよ。迎撃部隊だけじゃなくて、俺たちも擬似重力と大気圏内飛行に慣れないと、この前みたいなことになったら終わりだ……ちょっと飲み物買ってきます。ラプターは?」

「私はコーヒーがあるからいいかな」


 ミラは自分のデスクに向かった。


(ん?)


 ファイルが置かれていた。なんだろう、と手に取る。


「J……」

『これを読んで怖気づくような奴は、あいつから手を引いてもらいたい。J』

「ジェフかな……」


 ジェフしか考えられない。ジェフだ。わざとわかるようにしてるのがなんだか笑える。わざとだろう。

 中に入っていたのは一冊の文庫本だ。


「ブラボーⅠ……被曝治療記……」


 治療記だ。公共放送の記者が取材したドキュメンタリーである。

 テロリストによる被爆事件だ。各施設内部に入り込んだ工作員が、核燃料の加工作業中にわざと事故を起こし、放射線を浴びた患者の記録とある。その30分後、数区画から爆発も起こり、結果ブラボーⅠの工業艦は廃棄となった。


 ブラボーⅠ中央病院での治療の記録である。そう、ドルフィンが遭ったテロだ。


「……後で読むか」


 今はとても無理だ。疲れすぎて本を手に椅子に座ったら意識を失いそうだ。今文字を読んだら、たとえドルフィン関連だとしても寝る。確実に寝る。

 そして今は根性で報告書を書かなければならない。

 ミラはそれを無造作にバッグに仕舞い込んだ。すぐに読める状況じゃない。


「とりあえず一服して報告書書かなきゃ……」


 ミラはコーヒーを一気飲みして、報告書の作成に取り掛かった。



「フィリップ、付き合ってもらって悪いな」

「構わない。一緒に帰りたかったから」


 軍の中とはいえ、地下道は照明が落とされていて心細い。たまにすれ違う掃除ロボットしかいない。

 フィリップがいてくれて心強いと言うほかない。彼は仕事モードはやめて今はプライベートモードだった。


「何か話したいことでもあったの?」


 ミラはかたわらの男に目を向けた。フィリップはおずおずと切り出した。


「キャシーさん、もう怪我治ったんだろ?」

「うん、もうピンピンしてる」

「じゃあなんでまだ一緒に住んでるんだ?」


 ミラはびっくりして足を止めた。

 キャシーと一緒に住んでいて、何か問題でもあるだろうか。


「……ルームシェア、楽しいし。政府も推奨してるし」

「キャシーさんはいいんだ。なんでドルフィンと一緒に?」

「ドルフィン、ご飯作るの上手いし……」


 言い訳するようにモゴモゴと言った。なんだか後ろめたい気分だった。

 そりゃあ、好きなんだから一緒にいたい。たとえそれがルームシェアでも。

 だからこそ後ろめたかった。下心を見透かされた気分だった。


「ミラ、そこらへんの鳥じゃないんだから、餌付けされてどうするんだよ」


 餌付けされたら悪いのか? 

 ドルフィンと住んでいて嫌なことなんて何一つない。最高に完璧なルームシェアの友人だ。


 本当は不便だろうに、リビングとダイニング、キッチン以外のカメラとマイクは切ってくれていて、それ以外の場所は用事があればドローンを飛ばしている。

 不便を強いているのはこちらの方なのに、彼はいつも美味しいご飯を作ってくれる。


「餌付けされちゃ悪いの?」


 流石にムッとしたのが顔に出た。


「あいつのこと好きなの?」


 ズバリ言われて、驚いた。


「いや、うん……あの……」


 ミラはしどろもどろになってもごもご言いながら俯いた。


「前だって男がらみで嫌な思いしただろ? 俺たちモルモットに恋愛は不向きなんだって。もう俺は嫌だよ、あんなふうにグダグダになって使い物にならないミラになって欲しくない」


 ミラはフィリップの言いたいことが痛いほどよくわかって、下を向いて唇を噛み締めた。

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