8. ブリティッシュパブ クリムゾン

「アグレッサーへの異動……ですか?」


 ミラは目をしばたたかせた。目の前には准将であるジム・テイラーと彼女自身よく知っているクリムゾンこと大佐のミシェル・リー。隣には弟分であるダガーことフィリップがいた。

 ミラはフィリップの方を見た。彼も驚いたような目でこちらを見返してきた。

 アグレッサー、敵の動きをコピーして、自軍の教官役となる最強部隊だ。ミラとダガー二人とも異動の話をもらったのだ。


「君は誰よりもゼノンの飛び方を知っている」


 ミラは唾をごくりと飲み込んだ。


***


 ちょっと飯でも行こうぜ、とクリムゾンに取っ捕まったミラとフィリップはブリティッシュパブに引き摺られていった。

 席を確保しろと言われたので四人がけの席を確保している間に、クリムゾンがカウンターで器用に三人分のビールを注文してきたのでそれで乾杯する。


「明日、お前らの上官がしょっ引かれるから楽しみにしとけ」

「な、な……なんで、え? ど、どうしてですか?」


 ジョン・サリバンがしょっ引かれるだと? ミラは混乱して変な声を出した。


「どうしてもこうしてもないだろ。流石に部下のプライベートに踏み込んだ上、任務であれだけいい働きした部下にあんな懲罰与えるなんてとんでもない。お前を潰されたら困る。困ってるんなら早く言えよ、全くお前なぁ……」

「すみません……」


 そんなに自分が心配されているなんて、クリムゾンに大切に思われているかなんて思ってなかった。


「自分もミラが明らかに嫌がらせを受けているのに何もできなくて……クリムゾンに早々に相談するべきでした」

「上官批判になるから軽々しく誰かに言えないだろ。お前はなんにも悪くない。気にするんじゃねぇぞ」


 クリムゾンがフィリップの背中をバシバシ叩きながらフォローしているさまを眺める。

 一体誰が? 大体個室に呼ばれてネチネチ嫌味を言われたり揚げ足取りをされたりすることが多かったが、このことを知っているのは同じ飛行隊でも数えるほどしかいない。


「もしかして……ドルフィンですか?」

「……気づいちまったか? あいつだけじゃない。ホークアイとサミーもだ」


 ああ、その三人か。だろうな……他に考えられない。


「そうだったんですね……あの三人ですか」

「ホークアイは驚いたなぁ。仲良いのか?」

「猛禽仲間だ、と言われるくらいには、ですかね」


 ちら、とフィリップを見ると少々ムッとした顔をしている。やっぱりサイボーグをよく思っていないのだろう。なぜだかは知らないが。


「あのサイボーグ至上主義者がそこまで言ったのか? 相当気に入られてるなぁ……なんだダガー、ラプターが人気で嫉妬してるのか?」

「え! いえ、そういうわけではないですが……サイボーグって偏屈野郎が多いじゃないですか。俺たちを下に見てるっていうか。だからちょっと苦手なんですよね」

「まあ全員とは言わないが、そういう傾向はあるわな……お、フードが来たぞ」


 その時、どかどかとフードがテーブルにやってきた。ピクルス、合成ポークのハムの盛り合わせ、ナチョス。それから合成牛のローストビーフの盛り合わせ。


「食べろ食べろ。こういう時こそ公務員が経済回さないとだからな!」


 ガハハ、と笑ってクリムゾンはビールを飲み干した。フィリップもビールを飲み干したところであった。


「ダガー、次はウイスキーだ。俺に付き合え」

「了解しました」

「それ食いながら待ってろよ!」


 ミラがハムをもぐもぐ咀嚼しながらカウンターにドリンクを注文に向かうクリムゾンを見送っていると、追加のフードがテーブルに運ばれてきた。オーソドックスなフィッシュアンドチップス。こんがり揚がったフライドシュリンプ、ソーセージとチーズたっぷりのピザ。


「クリムゾン、いつものことだけど頼みすぎじゃないか?」

「食べよう。絶対にまたフード頼んでると思う。皿がテーブルに乗らない。私も次はウイスキーだな……」


 ビールなんて腹の膨れるものを飲んでいたら、絶対にこんなに食べられない。

 クリムゾンは夫婦二人で子供もいなく、奥方もデザイン会社で管理職として働いており、夫婦の財布は別である。

 だからか自分達を気にかけてくれていつも気前よく奢ってくれる。だが、困ったことに、自分で食べきれないほどの量を注文することだけが玉に瑕であった。



「もうちょっとさぁ、俺を頼ってくれてもよかったのに……」

「すみません、あの、あんまり目立ちたくなくて……」


 クリムゾンはグラスに残っていたシングルモルトウイスキーを喉に流し込んだ。

 ミラは思った。やばい、目の前の大佐殿は酔って若干面倒臭くなり始めている、と。


 ミラは実験室出身であるにも関わらず、軍に引き受けてもらったという経緯がある。能力値も全体的に高いので、軍からしたらどうしても手に入れたいというのはもちろんあったとは思う。

 だけど、どう考えても扱いにくいはず。実際、妬みやらなんやらだったのだろう、同期のパイロットからの嫌がらせだってあった。

 だからあんまり目立ちたくないし、上に迷惑をかけたくなかったのだ。


「お前は昔っからこうだから……相談してくれりゃあいいものを……ドルフィンに怒られちまったよぉ」


 結構出来上がってしまったなぁとミラは冷や汗をかいた。


「怒られるって……あいつミラと同じ大尉なのになんで大佐のクリムゾンを? 仲良いんですか?」


 フィリップはクリムゾンにチェイサーを押し付けた。


「俺はあいつと同じブラボーⅠの日本人街育ち。ファミリーネームこそリーだけど、母親は日本人。母親の仕事の関係で家族ぐるみの付き合いだから、あいつのことはガキの頃からよく知ってる」

「そうだったんですか! 子供の頃のドルフィンってどんな感じだったんですか?」


 ミラは身を乗り出した。


「あいつはそうだなぁ。レストランにも鳥類図鑑持ってくるようなガキだったなぁ。昔っから鳥類過激派」


 フィリップの視線が突き刺さった。ミラはぎくりとした。


「……だからミラに贔屓してるわけ? 鳥好きだから?」

「まあ鳥要素があってこその私だと思ってるし……でもほら、羽生えてるわけでもないし」


 どちらかというと、パイロットとしての興味だろう。実戦を何度も乗り越え、最近はそれなりにパイロットとしての能力値には自信がある。

 でも、自分が仲間として受け入れられていることに驚いている。


 あの人の周りを見ていると特にそう思う。キャシーだってそうだ。軍医のセキ、つまりジェフもそうだし、ホークアイだってエリカだって優秀。付き合うのは能力ピカイチのエリートばかりである。


「小鳥ちゃんをいじめるなんて、この身体じゃなければサリバンをぶん殴って俺が営倉に入ってやるってドルフィン言ってたぞ~。付き合っちゃえば?」


 ミラは俯いた。この男まで茶化すのか? ドルフィンだってノン・サイボーグの鳥人間なんて興味ないだろう。


「いやいやいやいやそんな風に私のこと思ってたりしませんってば」

「えええ~、あいつだって男なわけだからさ、俺たちみたいな師弟関係とかそういうんじゃなければ、ぜんっぜん何とも思ってない女の子にあそこまで尽くさないだろ。毎日ご飯作ってくれるんだろ? ……俺には理解ができない。あの零が……」


 ボソ、と本名が口から漏れている。ドルフィンが子供の頃から面識があるなら、普段は名前で呼んでいるのだろう。


「クリムゾンが知ってるドルフィンはそういう男じゃないんですか?」


 ミートパイをまるで修行の最中のような顔で黙々と消費していたフィリップが問う。


「まあ女の子相手に自分からそんなに優しくしてるのは見たことないな。まああの容姿だし、ぼーっとしてても群がってくるからうるさそうにしてた記憶がある。屍肉に群がるハゲワシみたいだとかぶつくさ言ってたな……」


 表現は正直どうかと思うが想像通りだ。女性には困っていなかっただろう。若干惨めな気分になってきた。


「だったらなおさら私みたいな図体のでかい腕力女に興味なんてないですって! この話はもうやめましょう、どうぞ、クリムゾンも食べてください!」


 ミラはシェパーズパイをクリムゾンの皿に山盛りにした。早く口に物を入れさせよう。そうしたら黙るはず。

 若干未来の上官の扱いが雑になっているがもういい。

 こんな話をしている時点で、もうプライベートの付き合いだ。だが、真面目な気性ゆえ、多少は気遣うのがミラである。


「クリムゾン、何か飲みますか?」

「ビールでもカクテルでもなんでもいいから適当になんか買ってきてくれ。お前も好きなの買ってこい」


 ぐっしゃぐしゃの50ドル紙幣を押し付けられた。

 よし、ノンアルコールのカクテルでも押し付けよう。それくらいこの男は出来上がっていた。ミラはちゃっかりバーボンのダブルを注文した。



酒盛りもお開きとなり3人は帰路に着いていた。


「そこの燃料スタンドで水買ってくる」


 千鳥足のクリムゾンを公園のベンチに座らせて、フィリップは自動車の燃料スタンドに向かう。

 ミラはクリムゾンの隣に腰を下ろした。この人も色々溜め込んでいるのだろう。この前の戦闘でも、その前の戦闘でも部下を亡くしている。


 自分も隊員を亡くしたが、でも他の人間よりは耐性はあるはず。何せ、きょうだいたちはできが悪いとどんどん殺処分されていった。でも、今になってこうも身近な人間を亡くすことになるとは全く思っていなかった。

 ドルフィンやキャシー、サミーとのルームシェア生活で気は紛れたが、正直なところまだ立ち直れていない。


「ラプター」

「はい」

「まじで零はおすすめ」

「……もういいですってばその話は。しつこいですね。セクハラで訴えますよ」


 ミラはうんざりした声で言った。


「ええ? だって見てりゃわかるぜ、好きなんだろ」


 ミラは弾かれるように立ち上がった。


「だったらどうしろって言うんです? 向こうはサイボーグなんですよ? 仮想現実空間で触れ合える相手と付き合った方がいいじゃないですか」


 ミラは普段感情的になるタイプではなかったが、今回だけは違った。自分だって悩んでいるのに、なんでこうも簡単に付き合ってしまえとどいつもこいつも言ってのけるのだ。


「あいつはサイボーグ文化に馴染めてないから、仲がいいのなんて片手以下なはず。ホークアイとかカナリアとかそんなもんだ。もうあの文化に入ってあいつは五年になるが、一度だってサイボーグのガールフレンドがいたことなんてないぞ。それに、決めるのは零だろ、なんでお前が零の幸せを決められる?」


 ミラははっとした。そうだ、確かにその通りである。


「そうですね……それは確かにその通りです」

「ごめん俺も言いすぎたよ。だけど……死人を悪く言うつもりはないけどさ、と付き合ってた時のお前よりも今の方が幸せそうだし、零は昔っから知ってるから近所の坊主みたいなもんだし……ってな」


 この人が面白半分に付き合ってみればと言っているのではないことはわかっていた。

 クリムゾンが言うあいつとはミラの元彼のことである。クリムゾンの部下で、最初の戦闘での殉職者の一人だ。


「今の方が楽しいです……仕事は生きるか死ぬかって状態ですが、ドルフィンは優しくてご飯も最高に美味しいです。怪我してるキャシーにもものすごく気を使ってましたし、今も転がり込んだ私たちを尊重してくれています」

「今楽しいだろうからこれ以上は俺も言わねぇよ……ダガーが戻ってきたな?」


 こちらに向かって歩いてくるフィリップが見えた。まだ声は聞こえない距離だろう。


「もしかして、ダガー抜きで話をしたいから泥酔したふりを?」


 ミラの問いかけに、男は面白そうに笑みを浮かべるだけだった。

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