4. 零たちの部屋 リビング 零戦
「これ合う……おいし」
零は赤ワインをうっとりと傾けるラプターを満足げに見た。
ご飯に夢中な灰色のインコちゃんに見える。かわいすぎる。
ラプターとキャシーとの同居生活が始まりまだ一週間も経っていなかったが、今のところ全て順調だった。
掃除や片付けはキャシーがまだ本調子でない分ラプターが率先して行っていたし、ラプターもキャシーも零が作ったものをなんでも喜んで食べてくれる。
(最高なんだけど……)
「ね、ドルフィン」
「ん? どうした?」
「あの時言ってた私に伝えたかったことって何?」
心臓が跳ねた気がした。
(しまったしまったどう答えるか……)
この想いを伝えるつもりは今の零には微塵もなかった。
「……その話だが、」
「言いにくかったら別にいいよ。追い詰められると訳わからないこと言ったりするし」
「君と出会えて本当によかったって言いたかったんだ」
零はラプターにしか聞こえないように小声で言った。
「……私も」
ラプターの頬にさっと朱が差した。これは一歩間違えたらセクハラなのではと思いつつ零は音量を極限まで落としてつづけた。
「テロの後、ずっとモノクロの世界を生きてきた気がする。だけど、君と出会えてからちゃんと周りに色がついて見え……おいそこのやつら耳をそば立てるな!!」
ダイニングの面々は先ほどまで盛り上がっていたはずなのに、急に声のトーンが下がっていた。
ミラはハッとしてダイニングの面々を見た。
「俺たちのことは背景だと思って続けてくれ」
「ドルフィン、私たちにはお構いなくおしゃべりしてちょうだい」
ダイニングのモニターにふとカメラを向けると、自分が先ほど口走ったセリフが映っていた。零は唖然として数秒思考停止した。
「……だぁぁぁぁ! 戦犯はお前かサミー! 人の耳だと聞き取れないからお前が聞き取って画面に文字で映してたんだろ!」
零はローテーブルの上から飛び立ってダイニングの方に突っ込んでいった。別にダイニングのカメラとマイクに繋げばいいのだが、こういう時はドローンを使う方が効果的だからである。
「バレましたか。戦犯扱いとは光栄ですね」
モニターの映像制御をサミーから奪い返す。ぶち、と音を立ててモニターが切れた。
「まあまあ零落ちつけよ」
「何こそこそしゃべってるのかなぁって私が言ったらサミーが……あはは」
キャシーが困ったように笑った。あははではない。どいつもこいつもどうしようもない。
***
それから一時間もすると、飲酒組はいい感じに出来上がっていた。カナリアは明日の朝が早いからと一足早く帰っていった。
キャシーもジェフもソファのラプターの隣に場所を移していた。このソファがL字の特大サイズなので大の大人三人でも特に問題はない。
話題は、キャシーの実家の話だった。
「漢字は難しすぎて結局覚えられなかったなぁ」
「俺も正直最近書けなくなってるよ、漢字。書く機会がないからなぁ」
ジェフが苦笑してみせた。
「あ、そういえばドルフィンって名前漢字だよね?」
ラプターが問いかける。
「ああ。俺の名前は漢字、ジェフはカタカナ」
「カタカナ?」
キャシーが首を傾げた。ジェフが解説を入れる。
「俺のファーストネーム、ジェフリーってのはカタカナ。漢字を崩して作った表音文字。外来語とか外国系の名前とかはカタカナで表記する。キャシーとかミラ、エリカもカタカナで書けるよ。ミドルネームは将輝っていうんだけど、これは漢字の名前だ。零はもちろん漢字」
零はテレビを自分のネットワークと接続し、でかでかと自分の名前を映してみせた。隣にジェフのミドルネーム、将輝を表示して、ついでにカタカナのジェフリーも映した。
「さて、どれがどれでしょう」
「えー、難しすぎる! でも、カタカナが表音文字ってことは右上の文字数が多いから、ジェフリーって書いてあるの?」
「正解!」
ラプターがすかさずジェフの名前を言い当て、零がそれに答えた。
「日本語は文字が数種類あって、読み方も複数あって難解です。外国語習得難易度トップクラスのなかなか高度な言語ですよね」
サミーが冷静に解説をしてくれる。
「俺の名前は、ラプターとキャシーならよく知ってる旧世界の日本製戦闘機の頭文字と同じ字」
「あー確かに確かに。二人なら知ってそうだな」
ジェフは楽しそうに笑っている。
「旧世界の日本製戦闘機?」
キャシーが眉を顰めた。
「運用開始はいつ?」
ラプターの問いかけに流石に何年だったかと数秒考える。確か昭和15年だったはずだ。
「確か1940年の……何月だっけかな」
「7月ですね」
サミーがすぐさま教えてくれる。
「ってことは太平洋戦争で飛んだのか……あ」
ラプターは一瞬ののちにはっとした顔をしてみせた。彼女はキャシーと目を見合わせた。
ああ、これは気がついたなと零は内心ニヤリとする。
「「レイシキカンジョウセントウキ!」」
零式艦上戦闘機。ゼロセンとも言うが、よく日本語の正式名称で覚えているなぁと感心を隠せない。この二人、やはりド級の戦闘機オタクである。
「そう! だからこれ。数字のゼロって意味」
零の字を丸で囲った。
「ドルフィンの名前ってレイ・ファイターのレイと同じ字? やばくない?」
興奮を隠せない様子でキャシーが言う。キャシーとラプターは手を取り合い、口を揃えて言った。
「「かっこいい~!」」
「……そ、そう?」
女性からの格好いいという言葉は浴びるほど受けてきたつもりだが、流石に零戦の零と同じ字という理由で格好いいと言われたのは初めてで戸惑う。
「ブラボーⅠには零戦のレプリカがある、コックピットにも乗れるよ」
「やばい、超かっこいいじゃん! ワイルドキャットよりも長距離飛行できたとか当時の日本の技術で作ったって考えると本当すごいよな」
「レイ・ファイターなんて防御力まるでゼロ。急降下すると空中分解するらしい前時代の退役ポンコツジジイじゃないですか。どこがそんなに格好いいんですか?」
退役ポンコツジジイ。サミーの言葉に、ジェフは口に含んでいたビールを危うく噴き出しそうになった。
「ちょ、大丈夫ですか?」
ラプターがジェフを気遣うそぶりを見せた。まあ、隣で噴き出されたら困る。
「退役ポンコツジジイは笑うな」
零も正直笑った。サミーがそんなことを言うなんて驚きである。
「退役ジジイじゃないですか、しかもポンコツ」
「いやまぁそりゃそうなんだけどさ、当時の日本の技術力でよくもまああんなものを作ったなぁって。エンジンの馬力なんか欧米に全く及ばなかったのにさ。燃料タンクとか当時としては画期的だろ。まあ敵の弾に当たらないことが前提の構造だから、超優秀なパイロットと揃ってやっと真価が発揮できる機体ではあるけど」
キャシーの言葉にすかさず反応したのはやはりサミーである。
「紙飛行機ですよあんなものは……死者は美化されやすいって言うのはこういうことを言うんでしょうかね」
いや、お前のそれはただの嫉妬だ。零はツッコミを入れようかとスピーカーをオンにしかけたが、なおもサミーは言葉を続けた。
「まあ、彼は不運でしたね。確かに計算し尽くされ、洗礼されたデザインで美しくはありますが、追い詰められた日本軍の特攻兵器にされてしまいました。同じ戦闘機として同情します」
徹底的にこき下ろすのかと思えば、零戦に対してフォローも入れる。
(サミー、成長したなぁ)
早く祖母に会わせたいと思った。ここまで人っぽくなれるなどとは始めの頃は考えもしていなかった。
「特攻せざるを得なかった若いパイロットも不運だったし、レイ・ファイターも本当に不運だった。機械に感情はないけど、自分を操縦してくれるパイロットを乗せたまま……私は整備士だから航空機目線でこう思うんだろうな……」
「日本では、長年愛用したモノには精霊……つまり、霊魂が宿るって言われてる。一般的には百年って言うけど、正直長さは関係ないと思ってる。だから、きっと零戦も辛かったと思う」
零はキャシーの前に降り立って言った。
「皆が機械を大切に思ってくれて私は本当に嬉しいし恵まれています。キャシー、あなたのAI機は必ず帰ってきますよ。だから無理ない範囲で毎回出迎えてくださいね」
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