2. ジェフの部屋 テレビ通話 零たちの部屋 焼き鳥パーティ

(零、家にはちゃんと連絡入れろよ……)


 家族に滅多に連絡を寄越さない零の代わりに、彼の家族に定期連絡をするのがジェフの日課だった。

 今まではメールを送ることが多かったが、昨日ついにリアルタイム通信が可能なエリアまで到達したので久しぶりのテレビ通話だった。


 五年前、姉妹船団の共同航行が解除されることになり、零はブラボーⅡに船籍を移すと言い出した。

 きっともう彼は故郷にいたくなかったのだ。皆に注目され、婚約者は他の男に走り……だが、零の家族までもがくっついてきたらなんの意味もないし、朝倉一族はブラボーⅠ船団の宝であった。簡単に一家全員で移籍することはできなかった。

 だからジェフに託されたのである。


 ジェフにとってはとてつもない重圧だった。だが、事故から十年、船籍を移動して五年。ついに零は前を向き始めた。

 健康とは生理的、肉体的、精神的、社会的に全てが満たされた状態を指す。これは、ジェフが医学部に入学して初めに聞いた話であった。

 ジェフは零がなんとか社会復帰するまでは持っていけたが、そのうちの精神だけを満たしてやることができなかった。


 それを成し遂げたのがミラ・スターリングだ。

 その時のことであった、突如電話がかかってきた。ジェフは一気に現実世界に引き戻された。


「お、サミーどうした?」


 音声通話ではなくテレビ電話だ。


「ジェフ、お疲れ様です。少しよろしいですか?」


 流暢な日本語。赤銅色の肌に銀色の髪。


「ああもちろんだ」

「先程一香さんと連絡を取りました。上から一香さんには私が直接報告するようにと言われてましたので」


 プロジェクトSUMMITサミット。相川一香、つまり零の祖母がブラボーⅡ船団において発足したプロジェクトだ。収集した敵機の情報を報告したのだろう。


「元気そうだったか? 俺はちょうど龍先生と京香さんと話してきた」

「一香さん、お元気そうでしたよ。敵機の状況もですが、ドルフィンの機体の件も動画にしてご覧いただきました。一香さん、ラプターを大変誉めていましたよ。あのくらいガツンと言える子の方が零ちゃんにはちょうどいいわねぇとのほほんとおっしゃっておいででした」


 朝倉龍の妻、相川一香は小柄でほんわかとした女性だった。とても頭のキレる学者には傍目には見えない。一香らしいなとジェフは思った。


「気が早いなぁ。あの二人まだくっついてないんだけど」

「それはさておき、早速京香さんや有識者を集めてゼノン対抗策を練るそうです。向こうの政府もこちらの援助に乗り出すとのことです」

「次の攻撃の前にお願いしたいな~」


 ジェフは現実逃避でもするかのように言った。


「ゼノンはコックピットが無人の戦闘機に対しては本気で落とそうとしてきませんでした。それに、本気を出せばメインアイランドを潰せたはずなのにそれをしてきませんでした。今すぐやられることはないでしょう。希望的観測ではありますが」

「そうだといいんだけどなぁ」


 最近、サミーはジェフにとって同志のようなものである。朝倉一家と連絡を取り合っていることは零には秘密だった。こんな話ができるのはサミーしかいないのだ。

 しばし情報交換をして、サミーとの通話を切った。サミーはこれからまた別の会議があると言っていた。ジェフはふと時計を見る。


「……やっべこんな時間!」


 ジェフは飛び上がった。今日は焼き鳥パーティの日なのである。


***


「お前、肉なしな?」

「すみません……」

「女性を待たせるなんてあり得ないんだが?」

「申し訳ない……」


 床に膝をついて謝り続けるジェフの前でホバリングするドルフィンのドローン。

 ドルフィンはかなりご立腹だった。腕を組んで仁王立ちするドルフィンの幻覚すら見える気がして、ミラはその後ろをおろおろ歩き回った。

 まあ確かに大遅刻したジェフは悪いが、そこまで怒ることはないのではと思う。これにはキャシーとエリカも同意見だった。


「ほら、悪気があって遅刻したわけじゃないから……ね、ドルフィン」


 これはミラ。


「うんうん、私ら気にしてないから楽しくやろうぜドルフィン、な」


 つづいてキャシー。


「寝坊でも交通機関の遅延でも仕事でもないのに遅れるのはこいつが弛んでるからだ。連絡くらいよこせ! その辺で車にでも轢かれてんのかと思ったんだぞ!」

「おっしゃる通りです……ご心配をおかけしました……」


 確かにドルフィンは心配していた。心配して何度か電話していた。

 ジェフは全力で走っていたため気づかなかったらしい。そして、時間を十分ほど過ぎてから連絡があったのだ。

 約束時間厳守なのは軍人らしいなとミラの目にはある意味好意的に映った。

 だが、ミラは正直さっさと焼き鳥を食べたい気持ちでいっぱいだった。

 そろそろ腹が鳴りそうだ。


「だったとしても、そんなに言ったらジェフが可哀想じゃない」


 キャシーにつづき、エリカもジェフの肩を持った。

 こういう時にサミーがいると彼もジェフ側に付いてくれるはずなのだが、彼は軍トップの有識者会議だかゼノン対策委員会だかそんな名前の会議に急に呼ばれて不在である。


「……女性陣に免じてお前を許してやろう。だけど手伝え」

「了解しました隊長……」


 ジェフはキッチンに連行されて行った。料理はできないと言っていたが、大丈夫だろうか。かくいうミラも、料理に関して人のことを言える立場にはないのだが。


 30分後。手伝いのおかげか結局ジェフの肉なし令は解かれて、焼き鳥を囲みながらビールで乾杯をした。


「美味しい……焼き鳥のタレってもうなんだろう、このタレだけでビールいくらでも飲めそう」


 ミラがもも肉の焼き鳥相手に感動していると、ジェフが誇らしげに言った。


「醤油、みりん、酒、砂糖。和食の基本の調味料を煮詰めるだけでできちゃうんだなぁこれが!」

「これでジェフも焼き鳥のタレが作れるな。忘れるなよ! まさか工場に攻撃が直撃してタレ切らしているとは思わなかったが……塩味の方もきっと美味しいから食べてみてね」


 日系の肉屋で焼き鳥を買ってきたのだが、ゼノンの攻撃でタレを製造している工場がやられたらしく、今回タレはドルフィンの指揮の元、ジェフのブレンドである。

 前にドルフィンも言っていたように、ジェフの舌は結構いいらしい。


「これはどこの部位?」


 キャシーが塩味の焼き鳥が乗っている皿を見てドルフィンに問いかけた。


「えっと、左がボンジリ……英語わからないな、尻尾の付け根の肉。真ん中がスナギモ……これも英語でなんて言うかわからん。胃の部分。コリコリしてるから苦手な人もいる。一番右は皮。日系人おれたちはトリカワって呼ぶ」


 一通り食べて、ミラはタレ味ではレバーが気に入った。ねっとりとして濃厚なコクがあっていくらでも食べられそうだ。

 塩味で気に入ったのは皮。ジューシーなのに香ばしくてやみつきになる。


「塩味は断然皮が好きだな……トリカワ……新しい日本語を覚えた!」


 ミラは感動に打ち震えた。

 美味しい。なんだこれは。日本人はこんな魅惑の食べ物を食べているのか!


「もっと焼いてこようか? まだあるよ、ちょっと待っててね」


 ミラの言葉にドルフィンはすぐさま反応した。

 ドローンのランプが消える。彼は今キッチンに接続したようだ。


「ドルフィン、本当甲斐甲斐しいわね……」


 エリカが感心したように言う。


「世話焼きだよな、結構。怪我もすごく心配してくれたし」


 ドルフィンはキャシーの怪我を本気で心配していた。調子が悪ければすぐに言うようにといつも言っていたし、他にも閉じ込められて心身ともに疲弊した彼女に消化吸収の良さそうな食事を作るなど気を配ってくれた。


「打撲かなり良くなってきたよね、色はすごいけどもう痛み止めもいらないみたいだしよかった」


 キャシーの湿布を変えているのはミラなので、患部は一番よく見ている。治っていく過程でどんどんおぞましい色になっていくのがすごい。


「打撲って黄色とか緑とかすごい色になるよなぁ。それにしても、頭とか打ってなくて本当によかった。あの時階段から落ちて骨折しただの、頭打って脳震盪だのどんどん人が運ばれてきたからな……俺内科医~って心の中で叫びながら処置をした」

「お前昔救急にいたんだから一通りなんでもできるだろ、病院で一番ヤクザなのは何でも屋の救急なはず」


 壁のランプが青く光り、ドルフィンの声が降ってきた。目と手は向こうで料理しているが、耳と口はリビングに繋ぎ直したらしい。


「へぇへぇよくご存知で」

「俺が例のテロで救急病棟に運ばれた時に最初に処置したのがなんとこいつ」


 ミラはびっくりしてジェフを見た。


「驚きだったな~。重病人って身構えたら同級生でめっちゃピンピンしてた。見た目だけは」

「そうそう、うろ覚えだけど、俺何シーベルト浴びた? 物々しさが1とか2って感じじゃないよな? 8とか行っちゃってる? ってような内容聞いたよな。お前動揺してたなあ、あれはちょっと面白かった」

「当たり前だよ、普通の人間って放射線量の単位とか知らないし。ああこいつわかってるなって思った。8って出た瞬間に素人じゃねぇなって。8くらって生きてた人間なんて……なぁ?」


 一体なんの話をしているんだ。数学や航空力学、物理学ならばそこそこわかるが、医学だの放射能だのはお門違いでミラにはとんとわからなかった。


「ベクレルが放射能の単位で、シーベルトが被曝時の単位だったか? この前ドルフィンから聞くまで、あの時の被害者だったとは思ってなかった。あんまり事後当初はテロリストを喜ばせないようにってブラボーⅡにはニュース入ってこなかったけど、それでもブラボーⅠのサブアイランド3つくらい投棄せざるを得なかったってのは覚えてる」


 先日、ドルフィンはミラだけでなくキャシーにも打ち明けた。自分は「砂漠の虎」のテロでこの身体になった、ちょうど仕事で核実験施設にいた、と。


「キャシー、よく知ってるな」


 ジェフは感心したように目を見張った。


「ちょっと個人的に興味があって。原子力はエネルギー源として欠かせないから多少知ってるくらいだ。でも専門は機械工学だし、そんなに詳しくはない。原子力駆動の戦艦の基部を私が直接いじることなんてあり得ないしな」

「色々聞いてみれば? 今キッチンでトリカワ焼いてる男は経験者だぞ」

「……いやちょっと、私が興味あるのエネルギーの方面だし。ドルフィンだってあんまり話したくないだろ、そういうこと」


 キャシーがめいいっぱい固辞して、ドルフィンの笑い声が降ってきた。


「まあ、食事時に話すことではないことだけは確かだなぁ。悲惨すぎて。あ、よかったらみんな追加のビールどうぞ」


 キッチンからビールが三缶乗った配膳ロボットが滑るようにやってきた。もちろんのごとく新しいグラスも乗っている。


「あら、珍しい柄ね」


 これはエリカの声。ビールのロゴにはデフォルメされた象が鼻を上げていた。


「ラプターがいつも飲んでるやつ、売り切れだったからバックボーンがタイランドのビールにした。キャシーに教わった店覗いてきたんだ」


 どうやらドルフィンはキャシーに教わったアジアショップで買い物をしたようだ。


「あそこ品揃えいいだろ?」

「ああ、楽しかったよ」


 次は一緒に行きたいなと思った。もちろん、ドルフィンと二人で。でも恥ずかしくってそんなことは言えなかった。


「ゾウだ、かわいい。いただきます!」


 ミラは平静を装ってプルタブを開けた。グラスに注いで一気に傾ける。


「ラプター」


 突然ドルフィンに声をかけられて、ミラはびくりとして壁のカメラを見つめた。


「ど、どしたの?」

「ごめんびっくりした? トリカワの件、さっきくらいがいい? もっとよく焼いてカリッカリな方がいい?」


 ミラは即答した。


「カリッカリなのがいい!」

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