第五章
1. ジェフの部屋 ブラボーⅠとのテレビ電話
10年前、ブラボーⅠの中央病院、救急部集中治療室。
無菌室のベッドに横たわっているその男を、ジェフはよく知っていた。
朝倉一族の御曹司。怪我は負っているものの、見た目は特に重症の患者には見えなかった。
朝倉は放射性物質を浴びたわけでなく放射線を浴びたので、ジェフは防護用のガウンを身につけてもいない。
もしも彼が放射性物質を浴びていれば、彼の身体や衣服にくっついている放射性物質を医療従事者が吸い込む可能性があったが、今回は二次被曝の恐れはない。
彼は意外にも普通に話すことができた。
「……俺は何シーベルト浴びた? 1、2って感じではないよな? 8ぐらい行ってんのか? 隠さずに言え」
ジェフは息を飲んだ。ああ、もうこの男は全てを分かっている。前時代、つまりゼノン襲来以前の地球で8シーベルト以上の被曝をし生き残った者がいないことを知っているのだ。
この時、実のところジェフはこの男が無事に退院できそうだと思っていた。
致死量の被曝をしているとは思えないほど普通に話し、あまりにも元気そうに見えたからだ。
数日でこの男の白血球がゼロになり、十日後には肺の状態が悪化、自力で呼吸ができなくなり、やがて、全身の皮膚が火傷状態に陥った。そして、幾度かの心停止を乗り越え、ついに臓器不全のオンパレードとなり……この時若き医師は、目の前の患者が悪化の一途を辿ることになろうとは思ってもいなかった。
***
「先生……それなんですか?」
ジェフはモニターの向こうの一人の男性に問いかけた。年齢としては90歳近いはずであるが、特級市民に支給される抗老化薬で自分の祖父世代とはとても思えない。
ジェフの目には40歳後半くらいにすら見えた。
しかし、それ以上に我が目を疑う光景が繰り広げられていた。その男の耳に身体が緑で顔がピンクっぽい色のカラフルな鳥がぶら下がっていたのである。嘴で耳たぶを咥えているのだ。
(先生痛くないのか?)
「名称をつけるなら生体イヤリング? 痛いからやめて欲しいんだけど、最近ブームらしい。困っているんだ。でも可愛いだろ、うちのコザクラインコちゃん。ハルちゃんって言うんだ」
ジェフがテレビ電話していたのは零の祖父。朝倉龍。
零も結構クレイジーなレベルの鳥類大好き男だが、彼の祖父はそれを軽く凌駕していた。
ジェフが呆然としていたその時、後ろからバタバタと人が近寄ってきた。
「ごめんねジェフ君。遅刻しちゃった。零全然連絡寄越さないんだけど一体どうなってるの? メッセージ送ってもそっけないし」
ウェーブのかかった黒髪のロングヘア。真っ赤な口紅の似合う妖艶な美女である。
彼女も政府からの特級市民認定によって提供される抗老化薬を摂取していることにより、自分より少し上くらいに見える。
その女性の正体は零の母親の京香。彼女もとても重工のトップには見えない。
「ご無沙汰してます、京香さん。元気ですよ、本人は。ですが……ええっとですね、言いにくかったんだと思うんですが……
「「は?」」
一瞬ぽかんとした二人であったが、すぐに我に返る。
「ちょっと待ってどういうこと? 聞いてないんだけど?」
「ブラボーⅡ政府から重工に話入ってませんかね? あ、もしかしたらまだ上バタバタしてるから連絡が入ってないのかも……実は先日ゼノンの大規模攻撃を受けて、メインアイランドに大穴が二つ空きました。あと、アイランドワンは壊滅し投棄」
龍。つまり零の祖父が頷く。
「そこまでは聞いてる。だが零は無事だと聞いた」
……無事。確かに本体は無事か。
「その時の戦闘で零のケーニッヒはエンジン三機停止、燃料パイプを破損して火災が発生しました。点火装置不具合でキャノピが飛ばずベイルアウトも不可、三次元ノズルも不具合が出て垂直着陸不可。おまけに降着装置不具合で通常着陸もできず、火災が発生中にもかかわらず胴体着陸の選択肢しかない状態に追い込まれました」
「嘘でしょ……無事って聞いてたけど」
京香の顔が一気に青ざめて、ジェフも流石に慌てる。
「一緒に飛んでいた女性パイロットが消火してちゃんと零を下ろしました。詳細はサミーに聞くのがいいと思います。映像もくれると思います。ブラボーⅡ政府をどやしてもいいんじゃないですかね?」
どうせ零の機体を直す……いや、もうほぼ全取り替えだろう。そうするには製造元の東方重工への報告が必須である。
他のケーニッヒと違ってあの機体は零専用の特殊機だ。東方重工ブラボーⅡ社は把握しているはずなのだがトップにまで連絡が入ってないようだ。まあ言いにくいだろう。ご子息の身体……つまり機体が大破したとは。
「まあ嘘は言われてないわ。機体の損傷についてはまとめて知らせるって一報が入ったし、零自身は無事なわけでしょ? そのパイロットちゃんに会ってみたいものね」
「龍先生は会ったことがあるはずです。松山の実験室の被験者です。ミラ・スターリング」
***
その後もジェフと30分ほどあれこれ話して通話を切ったのち、龍はインコを手に乗せて撫でながら十年ほど昔のことを思い出した。
不肖の弟子、松山の悪魔の実験の被害者。オウギワシをメインに鳥類の遺伝子を組み込まれた一人の女の子。
検査着を着せられて、こっちをじっと睨んでいた十代後半の彼女のことを未だに鮮明に思い出せる。
イヌワシやハクトウワシのような金色の目が印象的だった。それから、構造色で美しく輝く灰色の髪。これは将来美人になるなあなどと思ったことも記憶に鮮やかだ。
龍は遺伝子工学や再生医療などが専門の研究者だが、ミラが鳥の遺伝子が組み込まれているからと遺伝子検査を頼まれたのだ。彼が鳥類研究所の会長も兼任していたからである。
「意外だな……零があの子と一緒に住んでるなんて」
「意外なの?」
娘に問われて、龍は頷いた。
「すごい野生的だった。ほら、武装した警官相手に大暴れ。素手で立ち向かって怪我人も出したってニュースで騒がれてたのがその子だよ。とても社会生活を送れるとは思わなかったけど、軍でパイロットをしているだなんて」
「松山事件、零のことで忙しかったからあんまり覚えてないのよね……松山の被験者はブラボーⅠにもいるけど、ほとんどドロップアウトしちゃったんでしょ?」
ちょうど零がテロに遭った時のことであった。だから一家全員あまり記憶がないのだが、龍は直接対面したので流石にミラのことを覚えていた。
「うん。僕も全員は知らないけど、みんな気性が激しくて。やっぱり野生の血を引いているなと感じるよ。それが、しかもオウギワシのあの女の子か。あの子、戦闘能力が被験者の中でもトップクラスで軍にでも入れるしかないかなって言われてた記憶がある……零と仲良くなったなんて意外だ」
零は良くも悪くも上級家庭で育ったおぼっちゃん。施設育ちで粗野で野生的な面がありそうなあの子と一緒に住んでいるなんて、意外でしかなかった。
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