9. 仮想現実空間 ホークアイの部屋

 零の機体。つまりケーニッヒはボッコボコになって中にいる彼自身は多少シェイクされはしたが、本体はピンピンしていた。

 満身創痍の機体から生命維持装置ごと放り出されて、念の為検査すると医療局に送られてはいたが、神経接続を切って精密検査をするまでではないと言われた。多分問題はないはずだ。


 地上に降りたあたりから、死ぬほどホークアイから通信が来ていたので彼の部屋に向かう。

 そう、零は今、仮想現実空間にいたのである。

 ホークアイの家のインターホンを連打する。応答はない。一瞬の間が空いて返事があった。


「ドルフィンだ」

「ああ、ドルフィンか。入ってくれ」


 ガチャ、と音を立ててドルフィンの目の前でドアが開く。ドルフィンはするりとホークアイの部屋に入った。玄関でどうしていいのか分からずとりあえず靴を脱いだ。来客用のスリッパのようなものがあったので適当に履く。30秒はゆうに待ったが出てこない。


「入るぞ」


 それから廊下をずんずん進んでドアを開ける。そこはリビングだった。いない。


(どこだ?)


「ドルフィン、悪い、そこのドアを開けてくれないか?」


 耳に直接声が聞こえた。仮想現実空間なので、このようなことも簡単にできるのである。

 零は素直にドアの方に足を向けた。新鮮ではある。自分を呼び出そうとする人間など、ブラボーⅠにいたときはいなかったからだ。

 だがホークアイなら別になんだと思うこともなく、零はドアを開けた。そして後悔した。


(寝室かよ!)

「ドルフィン、生きていたようで何よりだ」


 ベッドの上に、若干胸元のはだけたホークアイと、ペラッペラの下着か何かと誤解させかねないようなワンピースを着た美女がいた。ウェーブのかかった黒髪に青い瞳。誰だ。


「あらドルフィン、あなたも混ざる?」

「誰が混ざるかよ!」


 ドルフィンの捨て吐いたような言葉がこだました。零は知らない女とベッドインする趣味はないし、ホークアイと三人でというのは本気でごめんである。


「あら残念」

「こいつ、誰?」


 零はホークアイに問いかける。


「ウィングバック。君も世話になってるだろ」


 気怠げに身を起こしたホークアイが言った。言われて気がついた。


「あー! ウィングバックか!」


 中型輸送機、ウィングバック。先程宇宙空間で中継ポッドをばら撒いたのは彼女だと聞いていた。なかなか度胸があるなと感心していたところであった。彼女のアバターを見たのは今回が初めてであった。


「あなたも生き残ったようね、何よりだわ。ドルフィンも来たことだし帰るわね、邪魔はしたくないわ」


 ウィングバックはそう言って颯爽と去って行った。寝室に零とホークアイが残された。気まずい。未だなおベッドの上で片膝を立てて座り、膝に腕をかけたホークアイと目が合う。彼は意味深げな笑みを浮かべた。

 これは何かおかしな発言が飛んでくるぞ、と零は思わず身構えた。


「私と二人でならどうだ?」

「機体が直ったら、ミサイルでお前のケツを吹っ飛ばしてやる」

「私がラヴ・スカッドをぶち込まれる側なのか? ……おっと冗談だ、そんなに怖い顔をしないでくれたまえ」


 ホークアイはひょいと軽い動作でベッドから降りた。


(そういう意味じゃない……)


 零は言葉選びを間違えたことに気がついた。スカッドとはかつて母星において当時のソ連が開発した地対地ミサイルのことを言うが、ラヴ・スカッドとなると男性器の隠語である。貴様の機体を吹っ飛ばすぞと言いたかったのだが、まさかそう返されるとは。


 若干自分よりも背の低いホークアイをげんなりした目で見下ろす。このまま変な空気にならないよな、冗談だよな、まさかなと思っていると、目の前のホークアイははだけていた胸元のボタンを止め直してからこちらの肩を叩いた。


「君が無事でよかった」


 どうやらおふざけの時間は終わったようである。


「ああ、俺も安心した……ウィングバックはいいのか?」

「君と連絡が取れなくて少々どうにかなっていたところに丁度彼女から連絡があってな、心配して来てくれたんだ。……なぜかベッドに押し倒されたが」

「……つくづくここの文化がわからんよ」


 ホークアイは苦笑しながら零の横をすり抜けて行った。零は彼の方に首をめぐらせた。


「コーヒーでも飲まないか? 少々情報交換をしよう。メインアイランド内で何があったかを教えて欲しい。概要しか知らんのだ」


 そう言ってホークアイはドアに手をかけたので、零もそちらに足を向けた。ちょっとどころかかなりおかしなところはあるが、ホークアイは頼りになる友人の一人だと思っている零であった。


***


「ラプターもサミーも無事ならよかった。 敵機を君たちが全部落とした、というところまでは上から聞いていたが、君が火災を起こした上に胴体着陸しただの小耳に挟んでしまって気が気ではなかった」

「ラプターがいなきゃ死んでいた」

「彼女は今どうしてる?」

「かなり無理して飛んでいたから、医務局に連行されたらしい。あれだけGを喰らったら当然だ」


 ホークアイことフローリアンの目にドルフィンはかなり憔悴していることがうかがえた。

 だが、ラプターはあまり心配せずともよさそうだ。連行しないと医務局に向かわない程度に元気なのだろう。


「今回は消耗が激しいな……アイランドワンは壊滅。メインアイランドもあの状態だ。軍の施設もかなりやられた。官舎が2棟吹っ飛んで、犠牲者多数。色々と回らなくなりそうだ」


 フローリアンが自分のコーヒーに砂糖を入れていると、ドルフィンはブラックのまま口をつけた。


「俺のウィングマン……ソックスは突発的に別の飛行隊と編隊を組まされて飛んだが無事だった。だが、シューターとスマイリーの二人は休暇中で、二人してアイランドワンでサーフィンに行っていた。まだ見つかってない」


 シューターとスマイリーはドルフィン率いる小隊の三番機と四番機だ。ドルフィンの話を聞く限り、絶望的だと思った。


「……ラプターの小隊の三番機と四番機、ブルーとサラマンダーは死んだ。木っ端微塵だ。遺族に何も返せない」

「ダガーは?」


 ダガーはラプターの二番機。彼女のウィングマンであるフィリップだ。


「ダガーは他の飛行隊と合流させた。機体の損傷も聞いていない。きちんと戻ってきたと聞いている」

「よかった」

「ラプターに頼まれたからな……」


 フローリアンはその後、自分が宇宙空間で見たことを全てドルフィンに語った。巡洋戦艦の轟沈、駆逐艦が敵母艦に一発喰らわせた話。敵母艦はすぐさま亜高速空間へ逃げ込んだ話。


「このメインアイランドの損傷状況じゃあ、しばらく亜高速航法はできんな」


 ドルフィンがこの宙域から逃げるに逃げられんと頭を抱えたその時だ、フローリアンの携帯端末が鳴った。画面表示を見る。


「エリカだ」

「エリカ……カナリアか!」


 ドルフィンが顔を上げた。


「フロー、今玄関にいるの。鍵を開けて!」


 フローリアンはその場からすぐさま電子キーを操作して鍵を開けた。バタバタと足音を響かせながらフローリアンのいとこであるカナリアことエリカが入ってきた。


「二人とも無事だったのね、よかった」

「私たちはな。ラプターは外傷を負ってはいないが念の為検査入院中。まあ、座るといい。コーヒーを淹れよう」


***


 カナリアと話をしていると、しばらくしてホークアイがコーヒーを持って戻ってきた。零はホークアイとカナリアが「Dankeありがとう」「Bitteどういたしまして」と言っているのを眺めていた。そういえば、この二人はオーストリア系。母語はドイツ語だったっけなぁと思い出す。


 ブラボーⅠは日系人も多いがドイツ語圏をルーツとする人間も多かった。故に、上流階級でドイツ語は必修科目。


「遮ってしまったな。二人でなんの話をしていた?」


 ホークアイが椅子に腰掛けた。


「艦内戦闘の話だ。ドイツ語で構わない。ビジネスレベルで話せるからな」


 零がドイツ語で流暢に話し始めて、ホークアイとカナリアが目を丸くした。


「君、母語は日本語ヤパーニッシュだろう? 英語もあれだけ話せるのに、ドイツ語も話せるとは」

「実は英語よりドイツ語の方が得意だ。東方重工の半数がドイツ語圏の人間だ。だから子供の頃から叩き込まれたよ。……話を戻そうか」


 そこからの会話は全てドイツ語だ。


「今、ドルフィンが無事でよかったって話をしていたのよ。ミラもサミーも大丈夫みたいでよかったわ」

「ああ、私も本当に安心した。ところでエリカ、君の友人たちは皆無事か? うちの親戚どもが無事ってのは聞いているだろう?」

「ティロおじさんが避難中に足を捻ったらしいけど、他はみんな平気ね。友達は……一人だけ実はまだキャシーと連絡が取れないんだけど、整備士だからきっと忙殺されているんじゃないかと信じたいわね」


 キャシーか……。


「キャシーならサミーに聞くのが一番だ」


 零は端末を手に取った。メッセージを送れば、仕事中でもなければいつでも返事をくれる、それがAIであるサミーだ。

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