11. ウィーンブロック パーク・フォルクスガルテン
「二十世紀で有人パイロットがいなくなることが定説だったのに、あんたがパイロットになるなんて意味がわからんってばあちゃんがいつも言ってた」
ゼノンの襲来以前、パイロットは絶滅すると地球では一般人の間でも言われていたという。まあ確かに遠隔機で事足りる。
かつて地球でゼノンが遠隔機を乗っ取ったので、やはり有人機に勝るものはないとパイロットの寿命が伸びたらしい。
「でも、今の時代も私みたいな人間の肉体っていう脆弱部品が制御する航空宇宙船が大半を占める」
「そう。未だに人間がパイロットをしている。ゼノンがAIを乗っ取るなんてなぁって当時の研究者も思ったらしいよ……。だから結局人間が乗って操縦してっていう前時代からの繰り返しだ。ま、それを踏まえてサミーは開発をされて、あんなふうに強い自我を持ってる。簡単には操られないような、強力な個性の自分を。……それにしても鳥、いないな」
「全然来ないね」
今、ミラとドルフィンはウィーンブロックにある公園の池の前のベンチにいた。
彼らはカルガモの親子の観察に来たのである。彼の言った散歩とはこのことであったのだ。バードウォッチングの相方が欲しかったのである。ミラはそれに律儀に付き合っているのであった。
公園をぶらつくのはもともと嫌いではないし、彼女としてはドルフィンと一日過ごせるのであればもうなんでもいい。
だが、肝心のカルガモどころか他の鳥も一切いない。
「カラスかトンビに食われたかな……いつもこの時期ここの池にいるんだけど……」
明らかに不穏な空気になる。その時、ミラの視界を何かがかすめ、木の枝にとまった。
「あ、別の鳥だけどなんか来たよ。そこの木に止まってる」
「ヒヨドリだね~かわいい。やばい!!」
グレーの羽を生やした鳥だった。カラスやハトよりは小さいが、スズメよりは大きいサイズである。ピーヨピーヨとけたたましく鳴いている。
そういえば、ドルフィンはこの前ミラのことをヒヨドリちゃんと呼んでいたことをふと思い出した。ああ、あの時の鳥か。
羽はグレー。頬が赤茶色。スズメやハトと違って、なかなか気の強そうな顔をしている。
「あ、あの鳥がヒヨドリか」
「……英語だとなんて言うんだろ。鳴き声は大きいけど、見た目も性格も好きだな。スマートで気が強くてかわいい。ああ見えて好みが花の蜜とか果物ってのもポイント高い」
「へぇぇぇ! 虫とか食べてそうな見た目してるのに」
「だよな、かわいいよな……たまに頭の羽を逆立てるのもいい」
本当に鳥好きなんだなぁとミラはかたわらのドローンを眺めた。
「鳥、本当に好きなんだねぇ……」
「うん。好き」
自分も鳥要素は持ちうるが中途半端だ。鳥人間というのがしっくりくる。
(なんでこんなことになってしまったのか……)
もう恋愛なんてしないと思っていたのに。ミラはスニーカーに隠れている自分の足に目をやった。彼女は初めて好きになった人に猛アタックした時のことを思い出していた。大好きだった。その人も日系人で、珍しく自分より背が大きい男だった。多分、ミラは、自分自身より背の大きい男が好きなのだ。
今思うと、ドルフィンとは性格は真逆だ。あの男は今時珍しい女は黙ってついてこいと言うようなタイプであった。
(ドルフィンの方が確実にいい男だな。仕事だってできるしご飯も美味しいし、威圧的な態度を取らない。いっつも褒めてくれるし……)
はっとして我に返ったミラがドルフィンのドローンに目をやると、なおもカメラはヒヨドリに熱視線を向けていた。なんだか羨ましい。
「かわいい」
スピーカーから言葉が漏れた。楽しそうにしているドルフィンを見ているのは気分がいい。ミラは知らず知らずのうちに口元に笑みを刻んでいた。
その時、ミラの視界の端を何かがかすめた。カモだ。後ろを毛玉がよちよちと追いかけている。
「ドルフィン! カルガモ親子いたよ! ほわほわだ、かわいい!」
まるで歩く毛玉だ。なんてかわいいのだ。
「え! どこどこ?」
「あそこ! あ、親が池に入った!」
「あああああ! いた!かわいい! 雛が……めちゃめちゃいるな」
親カルガモがするりと池に入る。親にくっついている雛は10羽近くもずらずらと追いかけていく。
「あ、コケた」
一番後ろにいた雛が転んでバタバタしている。かわいい。だが大丈夫か。
「え! 大丈夫? ひっくり返ってると狙われるぞ」
そうこうしているうちに、その雛も起き上がって池にぽちゃんと飛び込んだ。必死で親兄弟を追いかけていく。
「よかったねぇ……それにしてもほわほわのふわふわだね。ドルフィンが見たがってた意味がわかった」
「だろ? かわいいだろ? よかった。このままだとただ散歩に来て公園のベンチで雑談するだけの会になってた」
「別にそれでも構わなかったけどね。あ、なんか別の鳥も泳いできたよ」
茶色っぽい鳥が水面を泳いでいる。背中からぴょこんと何かが見えた。え、雛?
「カイツブリだ! 雛を背中に乗せてるね。やばい、まさかカイツブリまで見られるなんて!」
ベンチの座面から飛び上がったドローンがミラの頭上をブンブン飛んでいる。最近気がついた。テンションが高まると、この男、その辺を飛び回る。
空は晴天。ドルフィンのシルバーのドローンのボディがキラキラ光っている。ひとしきり鳥を見て、色々しゃべって、喉が渇いた。
すぐそこに売店がある、飲み物を買ってくるか。
「ドルフィン、ちょっと飲み物買ってくるね」
すると、ドルフィンが言った。
「君に持ってもらった荷物に飲み物と軽食が入ってる」
確かに、今朝はドルフィンの部屋が集合場所で、手提げひとつ分の荷物を持ってきた。冷却バッグだったので不思議だとは思っていたのだ。
「あ、これ、私の?」
「そう、君に持たせるのは忍びなかったんだが、このドローンじゃ充電あっという間に切れちまうって思って。どうぞ開けて」
ミラは混乱した。軽食と飲み物だって? 自分はこの前の食事のお礼にこの散歩に付き合うというていで呼ばれたのではなかったのか?
少々戸惑いながらも手提げのジッパーを開けて中を見る。飲み物が入ったボトルと、四角いボックスがあった。
「あ、ありがと……飲み物、いただくね」
「お茶だからよければ飲んで」
保冷剤で冷やされていた茶色の液体が入った透明ボトルを傾けた。香ばしい香りが懐かしい。
「これなんだっけ……ムギチャ? だったっけ?」
「正解! やっぱり子供の頃麦茶飲んでるな?」
彼の顔が見られるなら、してやったりと言った表情をしているのだろう。促されてランチボックスを開けると綺麗にラップに包まれたバゲットサンドが半分に切って入っていた。
「今日の本当の目的はピクニックだ。そろそろ腹も減ってるだろ。よかったら食べてね」
ミラは言葉を失った。これでは先日の礼にならないではないか。
ミラはバゲットサンドに目を落とし、それからゆっくりとドローンに目をやった。
「もしかして、このサンドイッチボックスとボトル……買ったの?」
「……」
ドルフィンは返答に困っているのか無言だった。ジェフ用のブルー一色のランチボックスをキッチンで見たことがあるがそれとも違う。
この男がランチボックスやら飲み物の携帯ボトルを使うわけもない。なので、もちろん持っているわけもない。しかも、手元にあるそれはポップな絵柄のニワトリとヒヨコがプリントされた可愛らしいデザインだ。
「なんでそんな……」
「君は俺の飯を喜んでくれるから。それだけだ」
「これじゃあ、この前のお礼にならない」
「一緒に過ごしてくれるだけで礼だよ。一緒に出かけてくれるだけで。それだけで嬉しいんだ」
この男は過去に何があったんだろう。どうしたら、あれほど恵まれた容姿と頭脳で生まれた男がここまで卑屈になってしまうのか。テロに遭ったからと言うだけではあるまい。前ちらりと言っていた過去の女性と相当な何かあったのだ。
だが、それをこの場で聞くべきではないなと思った。自分が今この男のためにできるのは、ありがたくこのバゲットサンドをいただくことだ。
「……これ、ありがたくいただくよ。ちょうどお腹も空いてたとこだし」
「召し上がれ」
一個目を手に取ると、サバサンドだった。豪快にサバの半身が挟まっている。他の具材はどうやら玉ねぎとレタス、トマト。
「ソックスにレシピを教わった」
一口かじる。サバとオリーブオイルの風味、それからレモンの酸味がきりりと効いている。美味しい。ミラはドルフィンを見つめながらブンブンと首を縦に振った。サバを頬張りすぎて喋れないのである。
「もう一品はハニーマスタードチキンのサンド。ラプター、チキン好きだろ。ゆっくり食べてくれ」
ミラはサバサンドを嚥下し、麦茶のボトルを傾けた。
「美味しい。何これ、ものすごく美味しい。だけど、それとこれとは別で、この前のお礼こんなことでよかったの? またご馳走してもらってて」
「君の今日一日をもらってるんだ。時間ほど大切なものなんてないだろ? これはおまけだよ」
ミラは目を細めた。確かにそうだ。この男と過ごせる時間ほど大切なものなんてないのである。
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