10. 官舎への帰り道 送り狼

「いや~フルコースだったなぁ」

「美味しかったです。あのタイ釣った方にお礼言ってください」

「おうよ」


 零はラプターとジェフの斜め上を飛んでいた。二人の官舎は地上階にある。外はもう暗くて、街灯が輝いていた。メインアイランドの地上階に住めるのはよほどの特権階級か狭い官舎に詰め込まれるように住んでいる軍人くらいだ。ほとんどの人間が地下で暮らしているのである。

 ミラがこちらを振り仰いだ。


「ドルフィン、シェフだね! 美味しかったよ。今度焼き鳥パーティしよう! 買い出しするよ!」

「ありがとう。楽しみだな」


 ラプターが見ていないところでチラチラこちらに目を向けてニヤつくジェフが目について、零は彼の端末に嫌がらせのようにバッタだのカマキリだのの画像を送りつける。ジェフは虫嫌いなのである。零は虫に抵抗はない。子供の頃、近所の公園の草むらに行ってバッタを取ってきては家にいる鳥たちのおやつとして振る舞っていたくらいである。


 ジェフに期待されても困る。この身体でどうしろと言うのである。

 そうは思いつつもラプターと一緒にいる時間が楽しいのは確かである。向こうもこちらに友好的な視線をくれる今のこの状況が最高なことは事実であった。


「ドクター、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、いきなりだったのに付き合ってくれてありがとな」


 ラプターは恐縮しきりだった。彼女にしてみれば、いきなり高級食材を食べることになって感謝しかないだろう。

 ジェフの官舎とラプターの官舎はブロックが分かれている。ここの角で二人はお別れだ。


「俺はラプターを送る」


 零はぶっきらぼうに言った。


「じゃあな、送り狼になるなよ!」

「送り狼? 誰がなるかよ!」


 ジェフが笑いを噛み殺していた。誰がそんなことをするか。というより、物理的に無理だというものである。早く端末を見て虫画像に絶叫するといい。


「あ、零! あと一件」

「なんだ?」

「あの件どうする? 延長?」


 あの件。それで零はピンときた、そう、今日は毎週一度の更新日だ。生命維持装置を切ってくれと懇願して、ジェフが承諾したあの日から毎週水曜が更新日。だから毎週水曜日に彼と会うか何かしらの連絡を取るようにしているのである。


「ああ、延長だ」

「了解。じゃあな。ミラ、おやすみ」

「おやすみなさい!」


 零は急旋回してラプターの顔の横にぴたりとついた。


「聞いていい?」


 ラプターがこちらを見上げた。


「なんだ?」


 更新の件だろうか?


「オクリオオカミって何?」


 零が二足歩行をしていたら、思いっきりずっこけるところであった。そっちかと思ったのだ。彼は絶対更新の件だと思っていたのである。


「えっとな、日本の慣用句の一つなんだ。優しい顔して女性を送り届けるふりして、そのまま家に上がり込もうとしたり襲ったりする男のことを言う。オオカミってのはウルフの意味だ」


 零は感心した。一度聞いただけの単語をこうも覚えてしまうとは相当に耳がいい。日本語を聞き慣れているのもあるかもしれないが、それでも相当なものだと思う。


「へぇぇぇ! なるほど!」

「元々は夜中に山中を歩いていると後をつけてきて、転ぶと食い殺してくるイヌとかオオカミの妖怪のことを言ったんだったかなぁ。日本に昔生息していたニホンオオカミはナワバリに入った人間の後をつけて監視する習性があったらしい」

「日本にもオオカミがいたんだ」

「第二次大戦のかなり前に絶滅したはずだけどね」


 送り狼の解説をしていると、あっという間にラプターの官舎の前についた。ここでお別れだ。楽しい時間も終わりである。


「じゃあ、俺はここで」


 ラプターは中央玄関で手をかざした。生体認証で自動ドアが開く。

 彼女はドアの前に立ってそこから動かなかった。当然、自動ドアは閉まらない。彼女は言った。


「ね、ドルフィン。うちで充電していかない?」


 彼女の金色の目が街灯の光を拾ってキラキラ光っている。夜のハンターの目だ。零は空中でホバリングしながら彼女の魅惑的な提案に一瞬惚けた。そして我に返る。充電。なるほど。


 そんな誘い文句があるのかと零は感心してしまった。まあ、彼の身体は二人で飲み直そうとか言われても無理である。お茶やコーヒー飲んで行くかと言われてもそれもまた無理な話である。


「……今さっきあんな話してたのに?」

「だってうちに泊まったことあるんだからさ、今更じゃない?」


 らしくもなく心臓が高鳴った。そうか、それもそうだな。

 事実、手を出せるわけでもない。いつも通りおしゃべりするだけだ。


「OK、まあお互い明日は仕事だから早めに帰るけどな」


 階段を登り始めたラプターの後を追う。そして零は気づいた。玄関からお邪魔するのは初めてであるという衝撃の事実に。それに気づいたかのように彼女が言った。


「こっちから入るの初めてじゃない?」

「そうだね、ベランダから間男みたいに上がってたからな」


 そう言うと、階段を上がっていたラプターはこちらを見て噴き出した。


「別に、何もやましいことはしてないじゃないか」


 これには零も笑わざるをえなかった。


「そうだな」


 零は思った。もう一週間更新はやめよう、次は一ヶ月だ。一ヶ月でいい。

 次にジェフに会ったときにそう言おう。


「入って入って!」

「ああ。ニコに挨拶させてくれ」


 シロフクロウのぬいぐるみはきっと今日も彼を歓迎してくれる。


「もちろん」


 自室のドアを開けたラプターの誘いに応じない零がいるはずもなかった。

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