9. 官舎 零の部屋 タイしゃぶとかぶと煮

「美味しい……!」


 ラプターは土鍋から上げたタイを口に運んで言った。


「口に合ったならよかった」


 零からすると、ラプターが喜んでくれているだけで満足だった。


「ミラ、よかったらもっと飲んで!」


 ジェフが酒を注ぐ。


「ありがとうございます、いただきます」

「おいおっさん、あんま飲ませんなよ!」

「ミラはこのくらい余裕だろ?」

「まあ……これくらいならまだ余裕ですけど、これ、飲みやすいので危険ですね」


 余裕。いやあ格好いいな。零はなんだか嬉しくなってラプターの周りをブンブン飛び回った。彼女は面白そうに笑っている。


「おい、零、テーブルでも椅子でもどこでもいいから着地しろ着地! 落ち着かねぇだろ」


 零は仕方なくテーブルの端に降り立った。


「ラプターが喜んでくれてよかった。さっきの煮付けはもうちょっと待ってね」

「ミラ、よく食うなぁ……どんどん食べて」

「昨日の仕事を終えた後、疲れてずっと寝てたので、ものすごくお腹が空いてたんです」

「そこを俺が捕まえたと」

「ええ」


 昨日の仕事。確か、ラプターの飛行隊はスクランブル待機だった。その頃、零は船団の後方を偵察していた。


「昨日、大変だったな。応援に行きたかったけど、囮だと困るから俺たちは後ろ側に釘付けだった」


 あの時、船団前方に敵機出現の一報を受けたのち、零たち船団後方に展開していた部隊は大規模な電波妨害にあって司令室と通信が不可能になった。

 ドルフィンは悩んだ、ドルフィンたちが進行方向に飛んでいったら、ガラ空きになった後ろ側から攻撃されるかもしれない。零は部下にも現在の宙域で偵察続行と伝えた。ホークアイも同じ考えだったようだ。


 零よりよほど高性能な通信機器を揃えている彼ですら、司令室とも前方を飛ぶエーワックス、サンダーボルトとも通信ができないと言っていた。超近距離でしか通用しない特殊回線のおかげで零とホークアイはなんとか通信できたが、他はさっぱりだったのだ。


「ドルフィンも飛んでたんだね。後ろってことはホークアイも一緒?」

「そう。前方に奴らが現れたって聞いて、あいつが一番そわそわしてたな。無事でよかった」

「最近どうにかしてやがるよな。このままじゃあこっちが消耗するだろ。ま、こういう時は美味いもん食うに限るな。じたばたしてもなるようにしかならんし……って言っても、俺はパイロットじゃないからこうも悠長なことが言えるが、二人はそうはならんよな」

「ああ、とてつもなくストレスフルだ。自分だけじゃなくて部下の命も預かってるからな。というわけでラプター、俺の分も食べてくれ」

「了解」


 ラプターは承知とばかりに拳を天井に突き上げた。


「これ、最後雑炊にすんの?」

「ああ、もうご飯炊いて冷やご飯にしてある。多めに炊いておいてよかったよ」

「私、燃費悪いからたくさん食べるよ!」


 ラプターは開き直ったように言った。零は苦笑する以外の選択肢はなかった。


「まあ、それだけ体温高けりゃ燃費悪いよなぁ」


 ジェフがうんうんと頷いた。


「長時間の訓練中、とにかくお腹が空いて困る」

「だよなぁ……あ、そろそろかぶと煮見てくる、二人で話してて」


 零はカメラの視野リンクをキッチンに切り替えた。


***


「零、めちゃくちゃテンション高いな」


 やっぱミラ呼んでよかったな、とぼそりとジェフが言う。


「普段はもっと静かなんですか?」


 ミラの知っているドルフィンはいつもあんな感じである。ミラは先程鍋に追加していい感じに煮えた水菜をもしゃもしゃ咀嚼した。


「うん、あんまり喋んないし。超クールな感じ。見た目通りの。あ、零の仮想現実の姿見たことあるだろ?」

「ええ」

「なんかさっき、落ち着きのない空飛ぶ犬って感じだったな。ドッグランでリードから解き放たれたハイテンションな犬」


 ミラは吹き出しそうになって口元を抑えた。想像してしまったのだ。真っ黒で上半身ががっしりとした体格のいい、立ち耳のオオカミのような大型犬が走り回る姿を。


「誰が犬だ誰が。せめてイルカと呼べ」


 ドローンのランプがチカチカ光った。ミラがすかさず口を開いた。


「ダイバーの周りをぐるぐる泳ぐイルカ」

「それだ! かわいいダイバーがいたから仕方ない!」


 また始まったよ。ミラは苦笑した。自分のようなかわいいとは対極にいる女によくそんなことを言う。まあ、おそらく女性には皆にそんなことを言うタイプなんだろう、彼は。

 その時、配膳ロボットがキッチンからこちらに向かってゆっくり走ってきた。


「へいお待ち。かぶと煮がいい感じに仕上がりました。味つけはとりあえずジェフの好みくらいにしてある。とりあえずジェフ、味見してくれ」

「お、うまそう!」

「見た目グロいけど味はいいと思う」


 まあ、頭そのまんまだからなぁとミラも思わざるを得ない。しかも煮付けだから茶色い。


「うん、うまい。ミラも食ってみろよ」

「いただきまーす!」


 だが、見た目とは裏腹に甘辛い味付けはまさに絶品だった。テリテリで身はふわふわ。煮汁の染み込んだごぼうも最高に美味しい。思わず酒に手が伸びる。


「味付け大丈夫?」

「最高!」

「つくづく思うんだが、ミラって舌はジャパニーズだな」


 言葉は英語しか話せない。だけど、育った環境は限りなく日系人の環境に近かったはず。特に食生活。食事はユキの手料理がメインだった。


「和食で育ってますから。ピザもハンバーガーも好きだけど、やっぱり育った味だから懐かしいし好きです、和食」

「日系人はとにかく飯にこだわる。おかずの品数が多いし、食い物に関する執着がおかしい。元々食事制限のある宗教もなければ、水に恵まれていて新鮮な食材が手に入る。水が美味いから酒も美味い。毎日ルーティーンみたいに同じものを食べてる民族が多い中で、日系人は毎日違うものを食べるからな」


 昔を思い出す。ご飯は白米の日もあれば炊き込みご飯の時もあった。毎日具の違う味噌汁、納豆や漬物、甘辛く煮た魚やそぼろでご飯を食べた。肉や魚、バリエーション豊かなメインに数品の野菜の小鉢。


「毎日ハンバーガーでもいいけど、もっと美味しい和食が食べられたらって思うことがある。あんまり和食のお店自体もないから難しいけど。自分で作れたらいいんだろうけど、料理できないし」

「ここで食べればいいじゃないか。作るよ」


 ドルフィンがあっさりと言ってのけた。


「いやいやいやいや! ドルフィンだって忙しいでしょ!」

「フィジカルトレーニングがいらない分、君より時間はあるはず。風呂にも入らないし着替えもしないし食事もいらん。三日に一度輸液交換するだけだ。交換も自分でするわけじゃあないし、その間もここにいられる」


 ミラは思わずジェフに視線を向けて助けを求める。


「たまに来たらいいんじゃないか? キャシーでも呼んでさ」

「俺はかわいい女の子が食べてくれたら満足だから負担にはならん」


 自分はそこら辺の野鳥よろしく大人しく餌付けされてしまうのか。ここに来たときに言われた、なんとかとかいう鳥そのままか。


「いいんじゃないか? 零もこう言ってるし」

「ドルフィンって結構ナンパ野郎ですよね?」

「いやいや、こいつはそんなんじゃないよ」

「え……俺ってそんなふうに思われてたの? うそ、まじか……もう誰も信じられない」


 ドローンは1センチほどテーブルから飛び立って、ホバリングしながら背を向けて着地した。しまった、完璧にいじけている。


「……まあ、一歩間違えばセクハラだよな」


 仕事中もこの扱いだったらセクハラ野郎だが、ドルフィンはそこをきっちり分ける。ミラはそれをよくわかっていた。


「この調子なのはプライベートの時だけなので、流石にセクハラだとは思ってないからいいんですが……ごめんドルフィン、機嫌なおして」

「ジェフ」

「なんだ?」

「雑炊の準備しろ。タイの骨で出汁が取れた」


 出汁の入ったボウルと冷やご飯、卵、刻んだネギが運ばれてきた。ミラはドルフィンのドローンを抱えてこっちを向けた。カメラをつぶさに見つめる。


「ごめんね。言われ慣れてないから思わず」

「俺こそ拗ねてごめん。こっちこそここのところヒヨドリちゃんとかペンギンちゃんとか調子に乗りすぎた」

「お二人さんすまんが、卵どのタイミングで入れればいい?」


 ミラはドルフィンのドローンを抱き上げて、カメラを鍋の方に近づけた。


「もうちょっと沸騰してから」

「了解」


 土鍋の中で出汁を吸ったご飯は実に美味しそうである。


「ところで今日のお礼ってどうすれば?」

「俺はいらん。強制的に連れてきたようなもんだし」

「俺もいいかなぁ……あ、今度散歩にでも付き合ってよ、陸上の散歩。宇宙空間だと君の上官がごねそうだし」

「ドクター、何かお礼させてくださいよ」

「えー、でもこのタイも貰い物だしなぁ……あ、今度またパーティしたいからエリカとキャシー呼んでくれよ。それでいい」


 そんなことでいいのか……割に合わなくないか? ドルフィンもこれほどの食事を作る労力への礼が散歩。この二人こんなでいいカモにされないか?


「ジェフ。沸騰してきた。そろそろ卵」

「了解!」


 ジェフは溶き卵を回し入れた。


「スープと卵が混ざらないように優しく二回くらいかき混ぜろ。そう。そんな感じ。で、火を止めて蓋を閉めろ。20秒待機!」

「このネギは?」


 ミラはドルフィンのドローンに目をやった。


「器に盛ってから散らすのが我が家流。好みでポン酢をかけて召し上がれ」

「OK! とりあえず何もかけずそのままで食べる」


 器に盛った雑炊にネギを散らし、レンゲですくう。結構食べたはずなのに、立ち登る湯気が食欲をそそる。


「熱いから気をつけてな」


 ドルフィンに言われてミラは頷いた。十分に冷ましてから口を開ける。

 タイの身は一切れも入っていないのに、タイの旨味と香りが広がった。美味しい。先程から美味しいとしか言っていないが、とにかく美味しいのだ。幸せすぎる。


「このままでちょうどいい。最高」

「いい感じにラプターの味の好みを把握してきたぞ。いい舌を持ってる」

「俺はバカ舌だからポン酢入れるわ。ミラに飯作ってやるなら、俺より薄味でよさそうだな」

「作りがいがある。腕がなるぞ」


 ミラは悟った。自分は完璧に胃袋を掴まれた。


「おかわりしていい?」

「好きなだけ食べて!」


 もうミラの器はとっくに空だった。ミラはおたまを手に取ると、意気揚々と器に盛った。

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