8. 官舎 零の部屋 白子とタイしゃぶ
見た目の異様さとは違って、それはぷりぷりとしつつもクリーミーで濃厚で、でもどこか甘みがあった。ポン酢の酸味も爽やかでいい。
この酸っぱい風味が懐かしいなと思った。そうか、これはポン酢の味なのかと改めて認識した。
多分、昔はこれの名称も知らずによく口にしていたのだ。何より、日本酒に最高に合う。
「……見た目は白くてブヨブヨしてて意味不明だけど、これ、美味しい!」
「だよね?」
「だろ?」
ドルフィンとジェフが口々に言う。
「よし。次のメニューは俺に任せてもらってもいい?」
「それどころかあのタイの処遇はお前に全て任せているが?」
「え。そうなの? 先に言えよ! まあいいや。次はタイしゃぶにしよう、鍋と
卓上コンロ用意する。ちょっと台所で集中する。あ、暑くなると思うから軽く冷房入れようか」
そう言うと、配膳してきたロボットがキッチンに戻っていった。
「器用だよなぁ……」
「うん、すごいですね」
「ところで、しゃぶしゃぶってわかる?」
「はい。豚肉でなら経験があります」
「なら心配ないな。それの魚版だ。生活、過酷だったって聞いてたけど……思ったよりも食い物は恵まれてたんだな?」
「ええ、身体が資本ですからね、テロリストは。一番辛かったのはきょうだいたちの看病でしたね……」
遺伝子異常、度重なる実験の拒絶反応。皆、身体を壊していった。当時は感覚が麻痺していたが、今思うに明らかに普通ではない状況であった。
「そうだったのか……」
ふむ、とジェフは何か考えているようであった。ミラは、後ふた切れ残っていた刺身の片側に箸を伸ばした。うん、美味しい。
その時、台所でドカンという音が聞こえて、ミラはびっくりして立ち上がった。
「何? ドルフィン大丈夫?」
「あ、ミラ、多分かぶと割り……」
後ろで何か聞こえたような気がしたが、ミラはキッチンにすっ飛んでいった。
「ドルフィン、大丈夫? なんだかすごい音が聞こえたけど……」
「あ、大丈夫、頭を真っ二つにしただけ。これでかぶと煮を作る」
「カブトニ?」
「かぶと煮ってのは魚の頭の煮物ってこと。簡単に言うと、醤油と酒と砂糖で煮る」
タイの頭は、言うなれば右脳と左脳で真っ二つにされ、流水で洗われていた。目の前にものすごく刃の分厚い包丁があった。これでドカンとやったようである。
「なるほど」
「見る? 別に面白いもんでもないよ。さっきざっと鱗は取り終わったから、これに熱湯をかけて、氷水で洗う。そうすると残ってる鱗もきれいに取れる。それにしても、魚の解体とか大丈夫なの意外だね。たいてい気味悪がるけど」
魚どころか、人体が断末魔を上げながら肉塊になるところまでしょっちゅう見てきたのである。今更というべきか。
「魚どころか、人で見てるから……」
「人?」
ドルフィンのアームは冷蔵庫から葉物野菜を取り出した。一方で、別のアームがザルの上のタイの頭に熱湯を回しかけてから、ボウルに用意していた氷水にそれを入れる。
「実験室の仲間たち。追加の実験の拒絶反応とか、遺伝子異常でどんどん大変なことになった。全身の皮膚が無くなったり、骨が身体を突き破ったり。看病したけど、どんどん死んでいった」
「……そうだったのか」
「うん」
ドルフィンは何か一瞬考えた様子であったが、手元の説明に話を戻した。
「……で、残った鱗を取るんだが……皮膚感覚がないから目視で鱗を探さないといかん」
「私やろうか?」
「まじで? お願いしてもいい? 鱗はそこのゴミ箱にお願い!」
「了解、任せて!」
ミラは手を洗ってボウルに手を突っ込んだ。
一方のドルフィンはタイの頭と同時に別のアームで用意していた野菜の入った小鉢を配膳ロボットに乗せ、ロボットはリビングの方へゆっくり進んで見えなくなった。
「今のは?」
「とりあえず野菜の酢のものとさきイカでも食っとけって言っておいた。ジェフにはテレビでも見ながら酒飲んで待っててもらう」
残っていた鱗は取り終わった。ドルフィンのアームは野菜を綺麗に洗って手早く包丁でぶつ切りにした。
「よし終わった!」
あらかた鱗は取れたのではないか。残っていてもご愛嬌だ。ミラはタイの頭をザルに上げた。
「ありがとう! 申し訳ないんだが、下の戸棚から卓上のクッキングヒーター取り出してくれると嬉しい」
ミラは言われた通りに戸棚を開けて、戻ってきた配膳ロボットの上においた。それから土鍋に野菜が入った鍋がどんと置かれた。
「手伝ってくれてありがとう。もう大丈夫だ。タイの身用意してかぶと煮仕込んだら戻るよ。テレビ見て飲んだくれてるおっさんになんか話しかけてやってくれ」
ミラは配膳ロボットにくっついてリビングに戻った。
「あいつまたおっさんとか言ってた?」
「言ってましたね」
「歳変わらんのに……テレビは消すか。なんかくだらないし」
ジェフはそう言ってバラエティー番組がかかっていたテレビを消した。ミラは元の席に腰を下ろした。ドルフィンがおっさんおっさんと呼ぶジェフは軍人とは言いつつ内勤。だが、そこそこ鍛えていて言うほどおっさんでもないし、服装次第で同世代くらいに見えないこともない。ミラが配膳ロボットの上のクッキングヒーターを卓上に置くと、ジェフが鍋を置いてピッチャーの液体を注いでから火を付ける。
「これが出汁」
出汁なら馴染みがある、ユキに教わった。結局料理は全くであるが。
「昔、みんなでうどんを打ったんです。その時に教わりました、出汁」
「おお。そうだったか……すごいな。俺もうどんを一からはないなぁ。とりあえず、無難に中火にしておけばいいかな?」
ジェフはそう言って加熱を開始した。自分もそうなのだが、ジェフも全く料理をしなさそうな気配を感じた。
鍋もヒーターも卓上に移したからか、配膳ロボットがキッチンに戻っていった。ミラは首を回らして見送る。
「器用だよなぁ。俺はあいつがリハビリを始めたばっかりの頃も知ってる。全然なんにもできなくて荒れまくってたけど、こうもなるなんてなぁ……」
壁際のカメラが青くチカチカと光った。
「おいジェフ、聞こえてんぞ」
「ああ? 聞こえるように言ってんだよ、こそこそ言うかよ。一応お前は患者で俺は医者なんだからよぉ」
壁際、立ったミラの目線の少し上あたりにカメラがあるのだ。ドルフィンはリビング壁のカメラやキッチンのカメラ、ドローンのカメラを瞬時に切り替えて器用にこちらとやり取りするのだ。
「この前説明したかもしれないけど、青く光ってたらリンク中ね。そっちのドローンは今スタンバイモード」
サイドボードの上のドローンは黄色いランプが光っている。ミラはもう一度壁際のカメラを見た。シルバーの殺風景な壁に青いランプが光っている。ポスターの一枚も貼っていないが、だがそれがドルフィンらしい。カメラの下、正方形のパネルのようなものがある。材質は金属のような光沢がある。一体あれはなんだろうか。
その時、壁のランプが黄色に変わった。ドローンのプロペラが回転を始めて、こちらに飛んできた。今度はドローンのランプが青く光っている。
「さて、タイしゃぶ用のタイは皮付きにしたぞ! あ、これ取り箸と取り皿。ポン酢はここね。鍋の火力は沸騰したら弱火に」
配膳ロボットの周りをブンブンとホバリングしながらドルフィンはテンション高く言う。実に楽しそうだ。
「ラプター、半生くらいが美味しいから早めにあげるといいよ!」
「わかった、ありがとう!」
ミラは早速野菜を取って、綺麗に並べられていたタイに取り箸を伸ばしたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます