7. 官舎 零の部屋 酒と刺身
ジェフが日本酒を開けてくれたので乾杯し、酒を酌み交わす。
うん、美味しい。香りはどことなく甘いが、風味としては辛口。ミラはなんでもいける口なので、美味しく飲める酒である。
「ラプター、大丈夫? ジェフが変なもん飲ませてない?」
心配そうな零の声をよそに、ミラが答えた。
「香りは甘めだけど、美味しいよ。大丈夫」
「お前……俺をなんだと思ってるわけ? 流石にミラに変なもん飲ませないよ。患者だし」
「患者じゃなければ女の子に変なもん飲ませちゃうわけ?」
「んなわけねぇだろが!」
ミラは笑うしかなかった。この二人、面白すぎる。
「二人って、ブラボーⅠからの友達なの?」
「いや、ハイスクールまで一緒だったけど、実際にこう、認識して会ったことはないよな?」
「ああ、お前のこと知ってはいたけど、実際会って話したことはなかったな」
ジェフとドルフィンは口々にそう言う。ミラとしては意外だった。二人は幼なじみなのかと思っていたからだ。
「幼なじみなのかと思ってた」
「いや? そんなことないよ? まともに喋ったのは俺がこの身体になってから」
ミラには意外でしかなかった。そうなのか、と思いつつ刺身を口に運ぶ。タイの身はしっかりして歯応えもありつつもねっとりと柔らかで旨味もあった。美味しいことこの上ない。
「そうそう、救急搬送されて、最初は受け答えできたからその時と、あとはサイボーグになってからだな」
「俺は学生の頃から万年次席野郎がいるなあってジェフの名前だけ知ってた」
ジェフは皮肉げに口元を歪めた。
「これだよ、これこれ、こいつはこういうやつだから。ミラ、騙されんなよ」
「騙されてないだろ。ま、昔の俺はクソ野郎だったって前にも言ってるし。ところでラプター、和食の所作、誰に教わったの?」
ミラは顔を上げて、目をしばたたかせた。
***
いただきますと手を合わせたのち、ラプターは左手で箸を持って右手に持ち替えたのだ。おいおい完璧な所作じゃあないかと零は動揺した。箸や取り皿の使い方もとにかくスマートなのだ。確かに先日餃子パーティーをしたときにもその片鱗は見えたが、どうやら零の見間違いではないらしい。
「実験室にいたとき、ユキって名前の人から教わったんだ。ご飯茶碗は左手で持ちなさいって。あと、汁物は右に置きなさいって言われた。合ってる?」
「完璧」
ジェフが感嘆の声を漏らす。
「今時日系人ですらもまともにできないのにな。驚いた」
零も驚きを隠せなかった。その辺にうるさい祖父母に叩き込まれたが、その分周りの所作が目につくことが多いのだ。
「ユキは私の母親がわりの人。名前もくれたんだ」
「ミラってつけてくれたのもその人なんだ?」
「そう。私はサンゴウって呼ばれてた。
三はミ。そしてRaはそのままラ。なるほどミラである。
「ミラだ……」
「うん、ミラだ……」
零とジェフが口々に言う。
「数字の三はミ、ともいう。なるほど理解。ユキさんは名付け親でもあるのか」
「そう。番号由来でごめんねって言われたけど、一時期はいっぱいいたからユキもきっと大変だったんだろうなぁって思う」
だからサンがスリーのことだとわかるのだ。ああ、色々なことが繋がった。きっとラプターにニコ……あのフクロウのぬいぐるみをあげたのもそのユキという日系人だ。零は、会ったこともないそのユキという人に感謝した。彼女がラプターを人として可愛がってくれたから、ラプターは実験動物でもなく兵器でもなく人として育ったのだ。
彼女が言った、「一時期はいっぱいいた」とはつまり、後で減ったのだ。更なる実験が行われたのか、役に立たないと処分したのかは後から調べただけの零にはわからなかった。警察のガサが入る前に実験室のトップであった松山という男はサーバーごとデータを証拠隠滅のために焼却処分したからだ。
「君のウイングマンも実験室出身なんだろ? 昔から仲がよかったんだな」
「うん。ダガーは、フィリップはパイソンのPなんだ。蛇なのはみんな知ってるかと思うけど」
パイソン。つまりはニシキヘビ。他の飛行団のパイロットに正直興味がなさすぎた零も、実験室出身の鳥と蛇の遺伝子が組み込まれた人間がパイロットになったという事実だけは数年前に噂で聞いていた。正直、噂の人物と本人がイコールになったのはこの三ヶ月といったところであったが。
「ニシキヘビか。なるほどな」
ニシキヘビは蛇の中でも特殊で、熱を察知するピット器官という特有のレーダーのような器官を持っている。確かにそれを人間が取得できれば諜報活動には便利かもしれない。松山とかいう阿呆が最低なことは変わりないが、目の付け所は理解できる。
「私に比べたら見た目が普通だから暮らしやすいとは思うんだけど、ずっと失敗作って呼ばれてたんだ……一般人に比べたら十分優秀なんだけど、突飛な能力も発現しなくって。だからあの子は殺処分寸前だった。それでユキが告発したんだ」
殺処分。恐ろしい単語を聞いて零は言葉を発せなかった。
「俺も医者としては君に関わってるけど、正直あの組織のことはよく知らないんだ。あの頃、こいつの治療でろくに寝てなかったからニュースなんて全然見てなかったし。でも確かに、とある女性の内部告発ってのは聞いたことがある」
「まあ、俺が一番死にそうだったときだったからな。俺自身は意識不明だったから知らないけど?」
「他人事みたいに言いやがって……あ、ミラ、どんどん飲んで」
ジェフはガラスの涼やかな酒器を手に取ってミラのぐい飲みに注いだ。
「あ、ありがとうございます。これ飲みやすいですね」
「俺はいっつもこれ、ミラも気に入ってくれたなら嬉しいな」
「それ、ブラボーⅠの酒蔵の酒だよ。昔はたまに飲んでたなぁ。日本酒はあんまりわからないんだけど、それは家族も愛飲してた」
今も味が変わらなければ、辛口ですっきりとして食事にも合う日本酒だ。
零はミラやジェフと会話しながら、実の所台所ではタイの白子を処理して茹で、氷水に入れ、たっぷりのポン酢と紅葉おろしと刻んだ小ネギを添えて二品目を作っていた。
これは最高ではないかとロボットに乗せて運ぶ。
「さてどうぞ、日本酒に合いそうな白子ポン酢。ラプターが思ったよりも日本食大丈夫そうだから」
「やばい……ブラボーⅡで白子ポン酢食えるなんて!」
「シラコポンズ? さっきも気になったけど、シラコって何?」
「白子ってのは、魚の精巣を言う」
「え! そんなところを食べるの……!?」
ラプターは目の前の小鉢を目にして動揺している。面白い。
大豆ミートやアジ、サーモン、鶏肉あたりを主として食べるブラボーⅡの人間からすれば、魚の精巣を食べるなんて驚くだろう。
「うん、さっきこの白いの取り出してただろ? これ、見た目はともかく美味しいよ。魚種によっては卵巣の方が美味い時もあるけど、タイは白子が美味いよな」
ラプターは目を白黒させていた。さもありなん。普段加工食品ばかり食べていると推測される彼女のことだ、混乱して然るべきである。だが、食料が限られる移民船団であれば、内臓まで綺麗に食べるべきだと零は思う。
「無理なら俺が食うよ。でも、タイの白子は美味しいよ。オーソドックスなのはタラだけど」
「いや、いきなり白子ポン酢にして出した俺も悪かった。なんかもっと見た目が紛れる天ぷらとかにすればよかった」
「大丈夫、食べてみる」
ラプターはそう言って箸を伸ばした。
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