5. 官舎前 グレーの鳥
急旋回するたびにコックピット内で窮屈にしている身体を締め上げられるパイロットにとって、運動は欠かせないものであった。
敵機について報告を上げたミラは軍内の運動施設に赴き、ショルダープレスなどのマシンでトレーニングに打ち込んで、筋肉のこりをほぐした。次いでランニングマシンで走り込む。
その後はシャワーを浴びて官舎に帰り、惰眠をむさぼった。
目が覚めるともう昼間の三時であった。
今日の夕飯はどうしよう、そう考えながらだらだらとベッドの中で携帯端末をいじくった。スーパーかコンビニで何かしら買わなければ、今宵の夕飯にありつけない、と仕方なしに身体を起こす。
だるい。だるいが起きなければ食料がない。ピザを頼むか……と思いつつも、もう少しさっぱりしたものが食べたい気がする。
ミラはとりあえず鏡を見て髪型などの身繕いをした。部屋着からジーンズとラフなシャツに着替える。スニーカーを履いて、手にはいつものグローブ。
携帯端末だけ持った彼女は足早に部屋を出た。天気は曇天。
官舎ブロックの角を曲がったところで、ミラは驚きの声を上げた。
「ドクター!」
「お、ミラ! 元気してるか?」
「はい、変わらずです。ドクターもお元気そうですね」
「ああ、仕事が忙しくて身体が爆散そうだけどな。まあ、これはお互い様だな」
そう言って笑った男はジェフであった。彼はひと抱えもある発泡スチロールを小脇に、大量の野菜を左手のビニール袋に下げていた。彼もこの近くのブロックに住んでいるようだ。だが、あまりにも大荷物である。どこかでバーベキューでもするのだろうか。
「大荷物ですね」
「ああ、これからちょっと零のとこに飯を食いに行くんだけど……君はこれから出かけ?」
レイという名前を聞いて心臓が跳ねた。ドルフィンではないか! が、それを表情には出さずにミラは努めて平静を装って口を開く。
「ええ。夕飯買いに行かないと冷蔵庫が空なので、スーパーにでも行こうかなと」
「じゃあさ、一緒に零の家行かない? この食材、貰い物なんだけど一人じゃ食い切れないし」
いきなり訪問なんていいのか? ミラはぎくりとした。
「私は大丈夫ですが、いきなりなんてドルフィンも困るんじゃないですかね」
「大丈夫、余しても零も困るだろうから、一緒に食べてくれると嬉しい。じゃ、ちょっと電話するからこれ持ってくれる?」
有無を言わさぬ、といった剣幕だ。ジェフはどうしてもミラを巻き込みたい様子である。野菜の入ったビニール袋を渡されたので、戸惑いながらも受け取る。
ミラとしてはドルフィンに会えるなら嬉しいが、ジェフに何か見抜かれているのではないかと若干視線をさまよわせた。彼は小脇に発泡スチロールを抱えながらも器用に電話をかけ始めた。スピーカーはオン。
ドルフィンはワンコールで出た。
ミラには意味はわからないが、日本語を話していることだけがわかった。なるほど二人は普段日本語で会話しているようだ。
日本語は出自もあって多少挨拶くらいならわかるが、話すことも読むこともできない。ジェフが羨ましいなと思った。ジェフは日本語で話すドルフィンを遮るように英語で話し始めた。
「あー、ちょっと今人と一緒でスピーカーオンにしてるから英語で頼む。さっき道端で鳥を保護しちゃったんだけど連れて行ってもいい?」
ミラは笑い声が出そうになって口元をぐっと引き締めた。なるほど、そういう戦法か。ジェフがこちらを見てニヤリとした。
「はあ? なんかお前と電話してるのに英語で話すって変な感じだな。いいかこの時期は種類によっては巣立ちの時期だ。絶対に近くに親鳥がいる。今頃ピーピー鳴き叫んで子供を探してるはずだ。そこに誰といるんだか知らんが戻してこい!」
「あー雛じゃないんだ。もう大人」
「大人? 怪我でもしてるのか? 何色の鳥?」
「怪我はしてない。色はグレー」
ドルフィンは未だに本物の鳥だと思っているのだろう。面白すぎる。鳥というよりは鳥人間なのだが、と言いたくなった。笑い声が漏れないようにミラは必死である。
「メインアイランドにいるグレーの鳥って言ったらヒヨドリかなぁ……ヒヨドリって英語でなんて言うんだ? わからんがとにかくその鳥、ほっぺ赤くない?」
「いや? そんなことはないぞ? 普通の肌の色? ともかく腹を空かしてるから連れてってもいい?」
「肌色……?」
ドルフィンは混乱している様である。ジェフは必死で笑いを堪えていた。
「もしかして、ラプター?」
「ハァイ!」
ミラはようやっと声を出した。ジェフは爆笑している。
「ラプターか、なるほどな。君なら歓迎だから来るといいよ。なんだよびっくりしたなぁ。だから英語で話せって言ったのか」
そのままぶつっと電話は切れた。
「喜んでる喜んでる。あいつわかりにくいんだよな」
ジェフ端末をポケットに突っ込むと、こちらに手を差し伸べてきたので固辞する。
「その発泡スチロール重そうなので、こちらは自分が」
「仕事中じゃないんだからさ、こういうものは俺に任せておけって」
ビニール袋に入っていた野菜をむしり取られて、行くぞと言われるのでミラは一歩踏み出した。
「本当に喜んでますかね?」
「喜んでるって。それだけは間違いない、安心して来るといい……あ、鳥扱いしちゃってごめんな。気を悪くしてないといいんだけど」
「気にしてないですよ。実際鳥ですし。じゃなきゃ、
それは心からの気持ちであった。仲間内では自分自身に組み込まれた動物の要素を気にする者も多いが、ミラにとっては鳥であることがアイデンティティであった。
そりゃ、化け物扱いされたら嫌だが、今回のようなものは歓迎である。しかも相手はドルフィンだ。実際、ドルフィンが自分を小鳥と呼んでくれることだって悪い気はしない。
「それならよかったけど……」
「サイボーグシップをサイボーグ扱いして怒る人なんていないでしょう? 私も一緒です。鳥人間じゃなきゃ、あんなに上手く宇宙を飛べなかったと思います。ドルフィンのサポートも上手くできたとは思えません」
ミラは、冗談めかしてそう言ってのけた。それどころか、この能力がなければドルフィンと仲良くなれてはいなかっただろうと思っている。鳥の能力は、今や彼女にとって誇れるものの一つであった。
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