3. 官舎 ミラの部屋 仮想現実空間とのテレビ電話
画面の遠くの方で、ホークアイとエリカが酒を酌み交わしている。サミーとキャシーは先ほどまで格納庫で一緒だったはずなのに、楽しそうに話している。いや、キャシーがとても楽しそうにしている、と言うべきか。うん、あの姿、絶対キャシーの好みだと思う。
ドルフィンが乗っ取ったエリカのドローンはミラのベッドの上にいた。ミラの膝の上にはタブレット端末があって、公共放送が垂れ流されている。彼女はそれをベッドのヘッドボードに立てかけた。
「大統領の会見、あと30分か。もうそんな雰囲気じゃあないけど」
ミラは周りを見回したのち、ドローンに視線を送った。
「こんなトンチキな状況になるとは思ってなかった。酒はイカンな。俺も久しぶりすぎてちょっと変だけど」
先ほど試しに飛び上がったドルフィンは若干ふらついていて、ミラはそれをとっ捕まえてこのベッドの上に連行したのだ。床に墜落してエリカのドローンが壊れたら事である。
「危ないから飛ばないでね。行きたいところあったら連れて行ってあげるから」
「君にベッドに連行されるとは思わなかったなぁ……悪い気分じゃないね」
この男はこういうことを言わずにいられないのだな、とミラは苦笑した。さっきのかわいいだのなんだのも、多分それだ。ああ、びっくりして損した。びっくりというか一瞬の期待とも言えるかもしれない。
「ドルフィン。そんなこと言ってたら、さっきのホークアイをどうこう言えないよ」
「そうだな……」
その時、ミラのタブレット型端末がニュースに切り替わる。
「ん?」
緊急速報が入りました。ニュースキャスターが感情の籠らない声で大統領府からの声明を読み始める。緊急事態により大統領の会見は中止、とのことだ。例のお客様のことを会見で発表するのではなかったのか? と疑問符を浮かべたミラに対し、地球、ブラボーⅠ、その他大規模船団の各要人と緊急の情報交換を行うことになったとキャスターがのたまった。驚いたのはその理由であった。
「母星とブラボーⅠに異星船からの攻撃……? 他の船団も? そんな……」
呆然と呟いたミラに対し、ドルフィンが冷静に声を発した。
「人類への同時多発的な宣戦布告。……なるほどな」
キャシーとサミーの動きが止まる。それから、酒を片手に盛り上がっていたエリカとホークアイも驚いたように顔を上げた。
「ちょっと待って、ドルフィン、ご家族は大丈夫?」
モニターの向こうのエリカが立ち上がってドルフィンに問いかける。
「軍人でもないし無事だろ。多分。今家族全員にメッセージ送った。今の距離だと、明日になれば何かしら連絡入るはず」
ニュース番組はブラボーⅡへの異星船の攻撃を速報として流していた。血税で作られた戦闘機五機が宇宙の藻屑となり、パイロットが一人殉職。観測衛星が大破し、制御していたサイボーグも殉職。今ここにいる皆が知っている内容である。
「今ネットワークに繋いで少々調べました。母星の被害は月面基地の壊滅ですか……死者多数。想像を遥かに凌ぎますね。一方のブラボーⅠは被害軽微です。軍関係者に命に別条のない負傷者が数名出た程度です」
ニュースで発表もされていないような詳細状況を話し始めたのはサミーだ。きっとどこかにアクセスして自分たちでは知りようもない機密情報を得たのだろう。
「月面基地壊滅って相当やばくないか? 嘘だろ……」
キャシーが呆然と言う。
「ええ、ですがあそこは私のような自律型AIが多いので、人間の犠牲は少なかったもようです、そんな不安そうな顔をしないでください、キャシー。最後どうにもならなくなったら、私のコックピットにあなたを乗せて飛んで逃げます。あ、もう一つ情報が。こちらは朗報です。ブラボーⅠが地球型惑星、つまり移住先を見つけたとの情報が。半年前ですね。すでに先遣隊が現地に降りて調査、環境改善を行っているとのこと」
「それ、私たちに話していい情報なのか?」
「どうせすぐに発表されます。私も話す相手は選んでいますし」
ミラはちらりとドルフィンを見た。
「移住先を見つけてもあれだな。これだけ広大な宇宙に散らばった人類を同時攻撃ってことは、奴ら俺たちの居場所を把握してる……」
ドルフィンがミラにしか聞こえないような音量で言った。彼の言うことはもっともであった。ミラは立ち上がった。
「キャシー、私ちょっとベランダで涼んでくるからそのままみんなと話してて」
「ああ、わかった」
「ドルフィン、ちょっとつきあってくれる?」
「もちろん」
ミラはドローンを抱え上げ、そのままベランダに出て息をついた。彼女は先日の戦闘のことを思い出していた。
「この前のあれさ、私らは遊ばれてたんだな、って思った」
「そうだな……、あの四機は確実にこっちをおちょくってた。俺たちよく死なずにすんだな」
胸元に抱えたドローンからドルフィンの声が聞こえる。
あの四機とは、言わずもがなクリムゾンと一緒に落とした正体不明機とは別に、後から現れ観測衛星に攻撃した四機のことである。
暗澹たる気持ちとは裏腹に、涼やかな風がミラの髪を揺らした。
外は真っ暗だが、ミラの目は街頭や室内から漏れる灯り、繁華街のビルや宙に浮かんだホロ・ネオンを拾って薄明るく見えた。
一つ一つの光が、人の営みである。守らなくては、自分が。だが、守り切れるのだろうか。
「ミラ・スターリング。今ここでごちゃごちゃ考えても何にもならんぞ」
急にフルネームを呼ばれてどきりとした。ミラが考えていたことなど、彼には筒抜けだったようである。
「そうだね……ドルフィンは何を?」
「俺? 美女の胸に抱かれて見る夜景は最高だなと」
ミラは閉口した。基本的には真面目な男だが、たまにこんなことを言う。自分のような恋愛ど素人が近寄ってはいけない危険な相手な気がする。
ミラは何も聞かなかったことにした。
「今のは置いておくとして……戦場だと、余計なことを考えたら死ぬ」
「そうだ。俺たちファイターパイロットに考えている時間なんてない。考えた瞬間に撃墜される」
彼の言うことはもっともなことであった。ミラは相槌を打った。
「日常もそうだ、誰も明日なんてわからないのに、考え込むのはよくない。なるようにしかならない。10年前の俺は、まさか自分がサイボーグになるだなんて考えてもなかった。もちろんサイボーグになってまでパイロットしてるとも思わないし、ブラボーⅡに移籍するなんて想像もしてなかった。でも今日こうして仲間内で集まってそれなりに人生楽しんでる」
楽しんでいるとの言葉にミラは純粋に嬉しさを感じた。彼女の目に、この人は生きることに疲れているように見えたからだ。
「今楽しい?」
「ああ、この10年で一番楽しい。だからお客様のご訪問にふざけんなという気持ちでいっぱいだ。実は俺は何度も自殺を考えたことがある……でも、君やあの部屋の面々といるともうちょっと生きるのも悪くないかなと思える。……いきなり重い話だったな」
きっと彼がテロに遭って感じた苦しみも辛さも簡単に語れるほどのものではないはずだ。生命維持装置から出たら彼はきっと一瞬で死んでしまう。文字通り、肉体の喪失だ。
同じように肉体を持った人と触れ合うこともできず、呼吸をすることも、一緒に食事をすることだってできない。生きることに絶望したとしても不思議ではない。
「私もドルフィンと出会ってから楽しいから、無理ない限りでもう少し生きていて欲しいかな」
プレッシャーを与えないようにそう言ってみた。この言葉選びが合っているのかミラにはさっぱり判断できかねたが。
「今俺がいなくなったらみんな大変だろ? 戦力としてはそこそこ役に立つ。そんな無責任なことはしないさ」
「仕事のことを抜きにしてもってこと。確かに、あなたと飛ぶのはものすごくいい刺激になった。模擬戦だって学ぶべきところがたくさんあったし。でも、そういうのを抜きにしてここ数日一緒にいて楽しいんだ」
わかった? 畳みかけるように言う。
「わかってた。なんだか照れ臭くなってしまって。……悪い」
照れ隠しか、とミラはうっすら微笑んで、腕の中のドローンを抱え直した。最高に優秀で格好いいパイロットで、大人で男っぽいところと子供っぽいところがいい感じに同居しているのがかわいい。
「……ラプター、すまんが前が見えない」
「あ、ごめんごめん。カメラ塞いだ」
「重いだろ。もう戻ろう」
「全然重くない。筋トレにもならない」
ミラはそう言って、ドローンを目線まで上げたり下げたりした。
「酔う……」
「あ、ごめんごめん」
意外だった、戦闘機乗りであれば、自分は操縦をしない場合もある。例えば見習い期間や複座の機体に乗った場合などがそれだ。
そうすると自分の意思とは無関係にあっちにこっちにぶん回されるわけだが、
彼もそれに慣れているはずであった。だから多少大丈夫だと思ったのである。
「このドローンかなり古いモデルだ。カメラのブレ補正機能が弱い。小刻みに振り回されるとダメだな。飛んでる時とはまた違う、カクテルにされた感じだ……しばらく人の操縦で飛んでないのもあるかもしれない」
「あんまり機体を人に預けたくないでしょ?」
「ああ。俺はごめんだな。だが、ホークアイは場合によっては自分の機体を他人に操縦させるらしいな。信じられん」
「もともと単座でコントロールする機体じゃないから、忙しくなったらホークアイもレーダー見ることで手一杯だろうし。そもそも普段一人で飛ばしてるのがおかしいってみんな言うよね」
先日、観測衛星を大破させた四機をドルフィンがロックオンしてミサイルを発射したが、あの時のレーダーはホークアイ経由である。彼自身飛行しながら複数の部隊への管制とレーダーでの支援を行うのである。それがエーワックスだ。
「ああ、あいつはおかしい。いい意味でな」
「最高の褒め言葉だ。本人に言わないの?」
「そのうちな」
ミラは笑いを噛み殺した。
ドルフィンが認めている男なんて、そうはいないだろうと思ったからである。
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