2. 仮想現実空間 零の部屋
「ついにこっちの世界にも酒が登場するなんてな」
零は右手のワインボトルに視線を走らせた。
今夜は大統領の会見があるとのことで、皆でテレビでも観ようかと仮想現実空間の自室に人を呼んだのだ。当初零はジェフと過ごそうと思ったのだが、彼はどうも当直で医務局から動けないようであった。ならばと最近仮想現実空間で発売された酒をネタに、ホークアイとサミーに声をかけたのだ。
不思議そうな顔をしているホークアイとサミーを横目に、ドルフィンはその白ワインをグラスに注いでみた。
まあこちらの世界でも散々コーヒーや紅茶、タバコなんかが出現してきたから、そろそろ酒も出てくるのではと思ってはいた。一応、本体に作用するらしく酔えるらしい。
これでちゃんと酔えれば、ラプターとリモート飲みができる。
ワイングラスを目線に持ち上げた。見た目には違和感はない。品種はオーソドックスにシャルドネ。見た目も少し黄色っぽくてそれらしい色合いだ。
「飲んでみてくれ。酒がわかるのなんてサイボーグ界隈じゃ君くらいしかいない」
ホークアイに言われて、確かにそうだな、と思った零はグラスを傾けた。
「……ワインだ」
おお、とホークアイとサミーがどよめいた。
「樽熟成の濃厚なシャルドネだ……コクがあって、リッチでゴージャス。悪くない」
実家で出てくるのは高い酒ばかりだった。母親はワインが好きで、その影響で零もそこそこワインには詳しかった。
「何を言ってるのかまるでわからんな」
「ワインは大まかにふたつ、ステンレスタンクと樽熟成があるらしく、後者のような風味ということですね」
サミーが教科書のようなことを言ってのけた。
「ああ、グラタンとか合いそう。これはいいな、酔えるんだろ、完璧じゃないか」
ロゼも赤も買ってある。10年ぶりの酒は最高だった。
三人で味見して、一本目はとうに空いた。他のものも気になる、と言うので次のロゼをホークアイにも注ぎながら、大統領の会見を待つ。
「酒自体は美味いとは思わんが、酔うとはこんな感じか」
ホークアイは今年で三十二歳とのこと。年下だったのかと少々驚きながらも、その年で酒を初体験とは、と感慨深く横目で観察する。ちなみにエリカは二十八。見た目は当てにならないので置いておくこととして、プライベートではエリカの方がしっかりしていて歳上に思える。
「味は慣れだ。コーヒーもそうじゃなかったか? 最初からそんな美味いもんでもないだろ」
「確かに。コーヒーはコーラのようにわかりやすい美味しさではないが、慣れると病みつきになった」
ふむ、酒も悪くない。とホークアイはグラスを傾ける。
「人間というのは不思議ですね。わざと頭が鈍るものを飲むとは」
「人間は生き物にしては色々と考えすぎるからこういうものも必要なんだ」
ああなるほど、とサミーが膝を打った。
「人など、知能の高い生き物ほど精神性ストレスが起きますからね。確かにその通りです。今のお二人には必要ですね」
鳥もそうだ。文鳥やカナリアなどではストレスによる問題は滅多に起きないが、インコやオウムなど知能の高い種類はよく毛引きという問題が起こる。自分の羽根をむしってしまうのだ。飼育下でしか起きない行動で、ストレス性という説が高い。
「ああ、ストレスフルだよ、例のお客さんのせいでな。ところで、会見伸びたのか?」
大統領の会見とは、例の異星船の攻撃のことである。ここにいる面々は皆知っている内容だった。なので、新発売の酒でも飲みながら片手間に観ようなどと思っていたのだが、公共放送を再生していても全く始まる気配はない。
「あ、テロップが出たな。……一時間延期? 何かあったのか?」
ホークアイは不思議そうに眉を顰めた。
「サミー、何か聞いてるか?」
「いえ。今ネットワークに繋いでいないので……お二人と話しているのに片手間で情報収集をするのは失礼に当たるでしょう? 気になるようでしたら調べましょうか?」
このAIが思ったよりもまともっぽく育っているようで零は感心した。まあ、一時間したらどうせ始まるだろう。酒を飲んで待てばいいだけだ。
「待てばいいさ」
ホークアイは自分と零のグラスに酒を注いだ。美味いと思わんとか言いつつも、思ったよりも杯を重ねている。
「気に入ったか?」
「なかなかな。ドルフィンといるとネタが尽きないから最高に楽しいな」
「俺たちサイボーグはどうしても生活が単調になるからな……」
零は、ホークアイが注いでくれた最後の一杯を一気に飲み干した。
「サミー、赤開けるけど、お前もどうだ?」
「ご相伴に預かります」
味やらなんやら、どこまでこのAIがわかっているのかわからないが、人と同じように扱ってやりたかった。零にとってはサミーの頭は叔父であり、身体も兄弟みたいなものである。
零は続いて赤ワインを開けてみた。なかなかフルーティーな香りで楽しめるものであった。
その時、零の携帯端末が鳴り響いた。カナリアだ。
珍しいな、と思いつつもツーコールで出た。
「ドルフィンだ」
「あ、ドルフィン? 私、カナリア。今キャシーとミラと一緒なんだけど、ちょっとお時間許せば話さない?」
「こちらも仮想現実空間でホークアイとサミーと酒盛りしてる。テレビ電話しようか。今誰の家?」
「ミラの家よ。ミラ、ほらテレビ繋いで」
サミーとホークアイに目くばせをすれば頷いていたので、すぐに映像を繋ぐ。ラプターも一緒だと聞いた時点で、零のテンションは素直に爆上がりしていた。
モニターに三人の姿が映った。結構飲んでいるのか、少し顔の赤いラプターと、呆然とこちらを見つめるキャシーに、カナリアのドローンだ。
「ホークアイ、あの右側の女性が私の整備士のキャシーです」
「私はエーワックスのホークアイだ。よろしく」
キャシーがホークアイに何か言ったが、零の耳には何も入ってこなかった。彼の目は画面の中のラプターに釘づけであった。
「かわいい灰色ペンギンちゃんは今日も結構飲んでるみたいだな。顔がちょっと赤いね」
思わずそんなセリフが口をついた。久しぶりの酒だったし、アルコールはきちんと本体に作用していたので、零は少々酔っていたのである。ラプターの顔が一層赤くなった。
「ちょっとドルフィン、酔ってるの? ミラは初心なんだからそんなプレイボーイっぽい発言はやめてちょうだい。あなた、ブラボーⅠにいた時どれだけ女泣かせだったわけ?」
「君の期待を裏切るようで申し訳ないが、ご期待されているような素行不良じゃなかった。そうそう、ワンナイトラブなんかはやったことがないんだ。……よく知りもしない相手といきなりホテルとか行けるか?」
零は大袈裟に肩をすくめて見せた。
「「意外」」
カナリアとキャシーの声が重なる。
「え……俺ってなんだと思われてるんだ?」
零はかたわらのホークアイに目をやった。ホークアイは片眉を上げながら皮肉っぽい笑みを浮かべて見せた。
「君のことだから、泣かせるどころか啼かせてたんじゃあないのか?」
「……サミー、この下品なエーワックスを始末してくれ」
ぱちん、とサミーは指を鳴らした。途端にホークアイの姿がシュンッと音を立てて消えた。
「これでいかがですか? 強制的にログアウトさせました。まあ、すぐに戻ってくると思いますが」
思わず始末しろと言ったのは自分だが、きちんと意を汲んでくれたようで零は驚きのあまり言葉を失った。本当に始末してくれなくてよかったと安堵する他ない。
「やっぱりサミー? 個別ログインしてないからドルフィンの名前しか出ていなくて、誰だろうって思ってたんだ……!」
キャシーの声が聞こえた。モニターに目をやると、目を見開いてこっちを驚いたように見つめているキャシーの姿があった。
急いで繋いだので、零のアカウント一画面で全員が映り込んでいる状態だった。慌てて個別にログインし直す。画面中央にはラプターの部屋が映り、周りに2画面に分割されて零とサミーが映っている。テレビも見たいので、隣の空間にモニターをもう一つ出現させてテレビを流す。仮想現実空間ならば、このようなことはお茶の子さいさいである。
「そういえば、キャシーにこのアバターを見せるのは初めてでしたね。どうですか?」
「機体も格好いいけど、こっちのアバターも最高だな。ワイングラスがものすごく似合う。サミーも飲んでたのか? あれだろ、そっちの世界も酒の販売が開始したって聞いた」
「俺がサミーを付き合わせてた。カナリア、こっちきて飲まないか? せっかくワインがあるし」
「あら、いいの? ちょっと気になってたのよね。じゃあお言葉に甘えようかしら」
「ああ、その間、そのドローンを貸して欲しい」
「お安い御用よ。ま、フローもそろそろ戻ってくるでしょうし」
零はラプターそばに行きたかったのである。仮想現実世界からテレビ電話すると、どうしても自分は水槽の中に閉じ込められた水族館のイルカのような気分になってしまう。
触れられなくてもいい、自分だけのカメラで見て、マイクで声を拾って、彼女のそばに在りたいのだ。
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