13. ウィーンブロックの外れ トルコレストラン カラ・デニズ
看板には「カラ・デニズ」とあった。
異国情緒たっぷりで、旗がかかっている。赤地に三日月と星。そう、トルコの国旗だ。ケバブ、コーヒー、持ち帰り! とでかでかと書いてある。店内ではドネル・ケバブの肉がグリルされながら回っているのが確認できる。
ドアは昔ながらの取っ手がついた手動ドア。ドルフィンのドローンでは開けるための動作が大変なため、ミラがドアを引いた。カラカラとベルが鳴る。
遅めの時間ながらちらほらと客が入って、テーブル席は半分が埋まっているようだった。
「いらっしゃいませ~、あれ、ラプター?」
「俺もいるぞ。なんでお前、店に出てるんだ?」
そこにいたのは、昨日自分たちを宇宙へ送り出してくれたドルフィンのウイングマンのソックスだ。
「母親が腰痛めてるんで、非番の自分が代打に。あ、2階の個室どうぞ」
「アハメット、お知り合いかい?」
厨房から恰幅の良い男性が出てきた。
「あ、こちらうちの隊長。サイボーグシップのアサイ大尉、ドルフィン。あと所属は違うけど、同じくパイロットのスターリング大尉、ラプター」
「隊長ってお前が一緒に飛んでる隊長さんかい?」
驚いたのか、ソックスの父親らしき人物は驚いたように目を白黒させた。
「アサイと申します。いつも息子さんに背中を守ってもらっています。サイボーグなので飯は食えないのですが、医務局の友人の行きつけと聞いて」
「これはこれは、ようこそ来ていただいて! うちの息子が世話になっております!」
挨拶合戦が始まったので、ミラはなんとも言えない顔をしているソックスに目を向けた。
「実家はご飯屋さんだったんだ。ドルフィン、おすすめの店としか言わないからびっくりした」
「自分もびっくりしましたよ……それにしてもお二人、昨日も一緒にいたのに今日も一緒にいたとは。ははは。二階の個室にどうぞ。親父、お客さんが困ってるから二階に案内するよ」
メニューを手にしたソックスを追い、階段へ向かう。一緒にいたのは確かだ。うん、確かである。
「急なので足元にお気をつけください。隊長、飛び回るのは結構ですが、ランプにぶつからないように気をつけてくださいね」
「わかってる」
「すごい! 綺麗だ」
二階の天井は一面トルコランプが下がっていた。壁沿いのソファ席は赤を基調とした異国情緒あふれる布張りで、クッションがいくつも置いてある。壁にもタイル飾りがかかっている。
「すごいな。確かにこれは気をつけないとぶつかる」
「こちらの席へどうぞ。隊長もこちらに」
テーブルの上、向かいの席にカラフルなランチョンマットが敷かれた。ドルフィンはそこに降り立った。
「二人とも無事で本当に良かったです。無事というのは聞いていたんですが、ようやく安心できました。さて、こちらがメニューになります。ランチは五種類です」
ミラはメニューを覗いた。合成チキンのケバブ、合成ビーフのケバブ、トルコピザ、マントゥ、イスケンデル・ケバブ。説明書きもきちんと記載されている。マントゥというのはトルコ風のラビオリらしい。イスケンデル・ケバブというのは合成ビーフのケバブにトマトソースとヨーグルトを添えたもの、とある。ミラは飲み物のメニューにも目を通した。
「気になるものがあれば聞いてくださいね」
「了解。ちょっと考える、あ、ラストオーダーギリギリだ。急ぐね」
「大丈夫、ゆっくりしていってください。すぐに帰られたら自分が父に叱られます」
うーん。どうしよう。悩み始めてしまった。それを感じ取ったのかどうなのか、ドルフィンはソックスに昨日の話を振った。
「昨日、お前はどうしてた?」
「お二人を見送って、それからシミュレーターに乗ってたんですよ。表に出たら蜂の巣をつついた大騒ぎでした。自分たちは生憎隊長もいない上に機体の整備中。替えの機体で上がるかもしれないとのことでしたが結局出撃要請もなく、バンバン上に上がっていく友軍を見送って……という感じでしたね。隊長とラプターが敵機と交戦したと聞いて肝を冷やしました」
ソックスが失礼しますと椅子を引いて、ドルフィンの隣に腰掛ける。
敵の空母が間近に迫っているなどもっと事態が深刻だったら、上がれる機体は全部上げていただろうが、今回はそこまでは至らなかった。そこまで対応し切る前に例の四機は観測衛星に攻撃を仕掛けてヒットエンドランの要領で逃げたのである。
「シューターとスマイリーは?」
ドルフィンは己の三番機と四番機パイロットについて問いかけた。
「アグレッサーがやられたと聞いてかなり動転していました。まあ無理もないです。まさかの実戦で敵は正体不明機。しかも、よりにもよってこのタイミングで散歩なんて隊長、持ってるなと」
「皮肉はいらん……俺もびっくりだ。死ぬかと思った」
「いやぁ、それであれだけ撃墜しちゃうなんてやっぱり持ってるなぁと思いますよ。良かったですね、ラプターの前で格好良く活躍できて」
自分の名前が出てきてミラは顔を上げた。メニューが決まったということもあったが、そういえば、あの時の礼を改めて言いたいと思ったのだ。
「格好良かった、本当に! 恩人だよ。私こそ死ぬかと思ったのにドルフィンから敵機撃破って無線で聞いたときに本当に……なんて言っていいかわからない。言葉では言い表せない。ありがとうドルフィン!」
「あの時、間に合って良かった。俺が言えるのはそれだけだ」
照れているのかなんなのか、彼は無愛想に返してきた。ミラはくすりと笑った。
「ところでソックス注文いいかな? イスケンデル・ケバブにする。大盛りってできるかな? あとこのおすすめにあるアイランって何?」
「大盛りOKですよ。プラス1ドルになります。アイランは塩味のヨーグルトドリンクです。暑い時期に飲むと美味しいですよ」
「じゃあ飲み物それで!」
「イスケンデル・ケバブランチの大盛りにアイランですね。アイランは先にお持ちしても?」
「OK!」
「では少々お待ちください」
ミラは階段を降りていくソックスを見送った。
「接客業で普通に生きていけそうだね」
「だなぁ。あいつも不安なんだと思う。だからせかせか働いてるんだ」
基本的に公務員なので副業NGなのだが、実家の手伝いレベルならば黙認される。彼は確実に実家の手伝いというやつである。
「ちょっと今後どうなるかだよね……」
「もうなるようにしかならないな。戦えって言われたら戦うしかないし。次は超音速ミサイル載せて行きたいな。そうしたら遠距離から落とせるかもしれん。昨日、偵察帰りで実弾積んでてよかったな」
「うん。本当に。じゃなきゃ丸腰でどうにもならなかった。ホークアイも迷っただろうけど、実弾積んだ私たちが近くにいてよかった」
「あいつは戦場でのカンが鋭い。カンに頼るなんてという奴もいるだろうが、最後に頼れるのはそういった第六感だと俺は思っている」
その時のことだ。あ、やばい。ミラはそう思った。そして再度腹が鳴った。
「本当申し訳ないっ」
顔を覆って笑うしかない。
「宇宙で遭難しても君と一緒だったら銀河標準時がわかりそうだなぁ……腹時計って実際存在するのか。仕方ないよ、人よりも体温が高ければ燃費も悪い。俺の前では気にするな」
なぜこうもドルフィンの前で腹が鳴りまくるのか謎である。謎だが鳴ってしまったものは仕方ない。その時階段を上がってくる足音が聞こえた。ソックスだ。ミラはのろのろ顔を上げた。
「お待たせしました。アイランとランチのセットのサラダ、レンズ豆のスープです。どうかしました? なんかドルフィンに変なことでも言われました? こう見えて意外と変態なので気をつけてください」
「誰が変態だー!」
スピーカーから爆音を発しながらドローンが飛び上がった。いいんじゃないか? 多少変態でも。男が変態でなければ人類が滅びる。あの容姿だったドルフィンなら多少遊んでいて然るべきだろう。
ミラはストローに口をつけた。思ったよりもサラサラしている。飲んでみるとさっぱりだけど、うっすら塩気も感じる。確かに夏にこれはいい。ごくごく飲める。
ソックスはするりとドルフィンの隣に腰掛けた。
「ええ? 違うんですか?」
「人並みだ人並み!」
尚も盛り上がっている二人を横目に、ミラはグローブを外してカトラリーに手を伸ばした。ソックスならば手を見せてもいいのではないかと思ったのである。いただきますと小声で。もちろん二人は聞いていない。スープを一口。優しい味だ。美味しい。それからサラダ。
「羊飼いのサラダ、と呼ばれるサラダです。トルコ料理では定番ですね。お口に合えば幸いです」
細かく刻んだきゅうりやトマト、玉ねぎが入っている。うんうん、好きな味である。
「いいね。スープも優しい味で美味しい」
「そう言っていただけて嬉しいです。ところで、この変態に何を言われたんですか?」
話が元に戻ってしまった。面白がって否定しないでおいたが、いい加減事実を教えてやるべきかと思った。
「私のお腹が鳴りまくってドルフィンはフォローしてくれただけなん、だ。ははは」
乾いた笑い声が出た。
「え、まじですか?」
「だからそう言ってるだろうが!」
「あ、じゃあちょっと下の様子見てきますね。ラプター、それほど空腹だったとは。そろそろメインも出来ていると思います!」
一階にすっ飛んで行ったソックスを見送る。
「ああ、叶うなら、ため息をつきたい……」
ああそうか、ドルフィンの声はスピーカーから音を出しているだけなので、ため息はうまく表現できないのだなぁと今更ながらミラは思った。
「仲良しだね!」
「ラプターは今まで俺たちの何を見てたの!?」
「楽しそうだった」
ミラはストローでアイランをかき回す。氷が小気味よい音を立てた。ドルフィンは否定しなかった。
「まあ、あいつ、調子はいいけど仕事はきっちりしてるからな、そこは楽だね。あと俺に変な気を遣わない」
それは彼が言う通りなのだと思う。グローブを外しても別に彼は手を凝視したりなんてことはなかった。最近思った。自分が気にしすぎなのかもしれない。
スープもサラダも早々にたいらげたミラはグランドメニューをペラペラめくった。思ったよりも野菜が豊富だ。それから羊肉料理が多い。酒もビールやらワインやらいっぱいある。ソフトドリンクもざくろのジュースやチェリージュースなんてものもある。デザートも豊富だ。これは夜に来ても楽しそうだと思った。
しばらくして、ソックスはミラが頼んだメインを持って戻ってきた。彼はごゆっくりと言って一階に戻って行った。
「ヨーグルトとトマトと肉、合うね。うん、これ美味しい」
「ソックスにそう言ってやると喜ぶと思うぞ。よく、辛いんでしょ? とか言われてトルコ料理は辛くない、インドとごちゃ混ぜにすんなってキレてる」
確かに香辛料を使ってはいるが、香りや風味づけをするもので辛みはない。
「ああ、わかる。ヨーロッパ以外のユーラシア大陸は全部辛そうなイメージがある」
「ペルシャ料理も辛くないって言ってた。トルコは海を渡ったらギリシャだから、オリーブもよく使うって」
壁にトルコとその周辺の地図が貼ってあったのでまじまじと眺めた。ああなるほどなあと思う。地中海やエーゲ海にも面している。すぐ近くにギリシャがあった。
「サラダにもオリーブオイルが入ってたと思う。野菜も多くてキャシー好きそうだから今度連れて来る」
食後にお茶のサービスもしてもらった。ライスプディングもつけてくれて、至れり尽くせりでゆっくり過ごすことができた。その頃にはミラはすっかりシミュレータールームでの出来事を忘れ去っていた。
昨日のことも、それから何が起こるかわからない未来のことも考えずに穏やかに過ごすことができたことに心から感謝した。
やはり、自分はこの男が好きなのだ。もはや否定のしようもない。
(足も見せちゃったし……)
宇宙空間でのデートこそ邪魔が入ってしまったが、自宅では本当に楽しい時間を過ごせた。昨夜から一緒にいるが、なんのストレスもない。それどころか、もちろんドキドキはするのだが……ドルフィンにはなぜだろう、抵抗がないのである。
もう、昔の男に酷いことを言われたことすら薄い靄がかかった記憶の彼方のことのようだ。全てを忘れてしまうような眩くて鮮烈で、そして抜きん出るほど腕のいいパイロット。
ミラ・スターリングはときめきに胸を躍らせた。
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