12. 統合軍本部 セントラル棟 シミュレータールームでの再戦
「君は普段から結構敵機のコックピットを見てるだろう。だから昨日の敵も、俺相手の実戦もかなりやりにくかったはずだ」
そう、その通りである。一瞬。たとえそれが0.3秒でも敵が向いている方向が分かれば瞬時に反応するのがパイロットというものである。そうミラは思っていたし、もちろんクリムゾンやドルフィンはそれができるパイロットである。
ミラとドルフィンは基地にあるシミュレータールームに向かっていた。今は夏気候に片足を突っ込んでいていい陽気である。
「前回シミュレーションで模擬戦した時、ドルフィンはコックピットにダミーの映像使ってたでしょ?」
ミラの目には、コックピットに人影が見えたのだ。実際の彼はコックピットに座っていないにも関わらず。
「その通り。君はめちゃくちゃダミーのパイロットにつられてた」
なんてことをするんだ、酷くないか、試すなんて。
「ひどいなぁ。ダミーの画像を差し込むなんて」
「0.2秒でも0.1秒でも君は即座に反応した。それには流石に驚いたが、君が0.5秒の差し込みにすらつられてなかったら、俺は会おうとは思ってなかっただろうな。その程度のパイロットと模擬戦する時間も会話する時間も勿体無いと思って仕掛けさせてもらった」
ある意味、それは最高の褒め言葉であった。でも、この男、仕事中はかなり合理的で手段を選ばない性格なのだろうなと思った。彼が教官ではなくて良かったと心から思う。心が挫けていたかもしれない。
プライベートで会うのも楽しいし、一緒に飛ぶのも楽しいが、この男、仕事中のメンタルは最強のゴリラだとミラは感じていた。
(じゃなきゃ生命維持装置が必須になるほどの事故に遭ってサイボーグになって、またパイロットに復帰なんて絶対無理だ……)
でもなぜ彼がアグレッサーに所属していないのか少し分かった気がする。アグレッサーは自軍の教官役になるときに、相手の能力を見極めてギリギリ負かすのがセオリーだ。だがこの男、多分誰に対しても全力でボコボコにする。空気を読むなんてこと、戦闘中は絶対しない。効率だけを求める。
とんでもない男と仲良くなってしまったものだ。いやしかし、向こうもこちらを結構好意的に思っていることが流石に鈍いミラにもわかった。嬉しい。
じゃなきゃ朝まで一緒にいないし、その後こうして一緒にシミュレータールームに向かうことだってない。朝ごはんを食べている時も適度に話しかけながら待ってくれていたし、その後もゆっくり準備してと言って、彼はくつろいでいるような様子でソファからテレビを見ていた。ドルフィンたちサイボーグはネットワークと頭が直通なはずなので、わざわざドローンを介さなくてもテレビなんて好きに観られるはずなのに、わざわざミラの部屋のテレビを観て待っていてくれたのである。
どうしよう。
ミラはきょろきょろ視線をさまよわせた。
***
(こういう婉曲的な褒め方の方が利くんだな……あんまり好きじゃないが)
きっとラプターは褒められ慣れてない。実験室は一体どんな環境だったんだろうか。
自分も優秀一家の落ちこぼれで少々卑屈なのは自覚済みなのだが、彼女はもっとひどい。
あときっと、ものすごく寂しがり屋だ。そして今の自分にはそれすらもかわいく思えてしまう。重症である。
「参ったな……」
「ん? 何が?」
しまったスピーカーから音声を出してしまった。たまにやるのだ。昔よりはダダ漏れではなくなったが、切り替えをたまに間違えてしまう。
「ああいや、なんか昨日のアレがあって、そこら辺の公園で平穏に遊ぶ子供達見てると頭がギャップでおかしくなりそうになるなって」
慌てて全然違う話題で言いつくろう。言いつくろったがこれは実際彼が感じていることであった。
基地の渡り廊下から、軍人の子供達が預けられている保育園の園庭が見えての咄嗟の言葉であった。やばい、こんなことを言ったらまた話題が暗くなる。
「うん、思ったよりもダメージあるね。普通の育ちじゃないからああいうのには強いかと思ったけど、そんなことなかった。私は訓練を受けていただけで、実際に殺しをしたことはなかったし。むしろ、目の前でもう助からないってのが一眼でわかる妹や弟をずっと看病したり、見送ったりってことの方が多かった。もう誰にも死んでほしくない」
ラプターのいた実験室で行われていた実験。これに関しては証拠隠滅のために施設に火が放たれたためほとんど資料が残っていない。彼女ら生き残った被害者の証言や、告発者、施設の職員の証言。だが探せばそれなりに色々と出てくる。実験に次ぐ実験で幼い子供達大勢が被害に遭い、それでも生き残った者たちは互いが互いの看病をしたという。
零が調べた範囲でも、壮絶という言葉では言い表せないそんな環境で彼女は生きてきた。
「俺はあの戦闘機、無人だったと願ってる。いや、信じてるよ」
軍人だからといって、人を殺したいわけじゃない。そう、ここにいる皆の暮らしを守りたいだけなのである。
「私もそう思うことにしてる。じゃないと本当に辛い」
「俺たちができるのは腕を磨くくらいだな。昨日の感じだと大統領閣下は意外と好戦的なようだし。俺も人のこと言えないが」
昨日の自分は酷かった。一人で攻撃を仕掛けて行ってラプターを巻き込むなんてことがなくて本当によかった。その点は大いに反省している零であった。
「上官に怒られなかった?」
「レコーダー確認したはずだから、俺がギャンギャンホークアイに喚いてたのを知っているはずなのにスルーだった」
「逆に怖い」
「本当にな……さて、早速始めますか?」
気づけば箱型のシミュレーターがずらりと並ぶ部屋にたどり着いた。
***
シミュレーター内が一気に明るくなった。ハッチが開いたのだ。ミラはまぶしさに一瞬顔をしかめる。
まず最初に聞こえたのは歓声。
シミュレーターで模擬戦を行っていると、戦闘の様子がモニターで室内にいる人間に丸見えなのだ。人だかりができていた。
勝った。三戦中一本取った。一戦目は大敗。二戦目はお互いミサイル弾薬、そしてエネルギー不足でお開きとなったので実質引き分けである。
「ドルフィン!
ミラの声がシミュレータールーム内に響いた。集まっていたパイロットたちがどよめいた。
ブーンと低音を響かせながらドローンがミラのところにすっ飛んできた。
「三本目完璧に負けた……。あああああ君はやっぱりすごいなぁ!」
そしてまた見物人たちがどよめいた。皆、シミュレーターの撃墜王、ドルフィンを知っている。昨日の正体不明の敵機を撃墜しまくったエースだということも皆知っている。そして、ミラが実験室出身だということも半数程度のパイロットは知っている。響いてくるのは大体賞賛の声である。ミラへの賞賛、それからドルフィンへの賞賛。しかし、中には違うものも混ざる。
(ドルフィンってサイボーグだったのか……)
(なんだよ、どっちも人外じゃねえか)
(せっかくラプターにも勝ってたから期待してたのにな)
「だったら次は一機ぐらい落としてみろよ。俺にばっかり活躍されたら悔しいだろ? 期待してるぞ」
ミラの頭のすぐ横でホバリングしていたドルフィンのスピーカーが響いた。
「行くぞ、ラプター」
「あ、うん」
小走りでミラはドルフィンの後を追いかけた。回廊を半ばくらいまで通り過ぎた時のことである。
「悪かった」
「何が?」
「君が言い返す場を奪って逃げた」
ああ、そんなことか。ミラは基本的にああいう場面で言い返さない。何か言い返したら負けだ。女が感情的に喚いていると嘲笑されるからである。
「事実だからさ。私が人じゃないのは。腕力だって視力だっていい。心肺機能も言わば、天然のドーピングしてるようなもんだし」
「それを言ったら男は女性に比べてみんなテストステロンって天然のドーピング状態だ。しかし個体差と幅振りがかなり大きい。人種によって差もある。そもそも、そこそこの家柄で教育や医療を受ける環境で育った普通の男性パイロットたちも、実家が恵まれなかった面々からすればスタート地点で得をしている。生まれ持ったものでズルをしているなんてことは思わないことだ。それで個性を殺したらなんの意味もない」
テストステロン、つまり男性ホルモンである。人間の基本体は女性体だ。男性ホルモンの影響で筋力や骨格が強く大きく変化する。それから闘争心も。
彼の言いたいことはよくわかっている。生まれ育った環境や家庭の経済力などでそもそも選択肢が変わるのは世間一般的にも言われていることだ。
「そうだね……」
「君は育った環境が特殊だ。実験の被験者で社会に出てバリバリ働いているのは一握りだろう? 君はすごいよ」
あの頃のきょうだいたちでいっぱしの社会人として働いているのは自分とフィリップくらいだ。早々にドロップアウトして非営利団体などで手伝い程度の小遣い稼ぎをしながら政府の援助で生きている者が過半数なのは事実である。大抵が学生時代に不登校になり挫折する傾向にあった。
その時のことだ。人気のない回廊を、間抜けな音が響いた。ミラの腹の虫である。
「……ごめん」
ミラは頬を染めた。確かにお腹が空いたとは思っていた。まさかまた鳴るとは。
「もう昼時だったね。食堂行く?」
恥ずかしい。こうもシリアスな話をしているときになぜ。どこかに隠れたい。
「食堂はやめておくかな。なんか人目を引きそう」
「じゃあ、とっておきの店を紹介するよ。俺は食ったことないからジェフのおすすめなんだけど」
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