11. 官舎 ミラの部屋 朝

(あの後どうしたんだっけ……?)


 酒が残るほどではないが、そこそこ飲んだ記憶はある。最後どうしたんだっけ、とミラはうすぼんやりと考えた。


 ベッドからもぞもぞ起き出す。時計を見れば、午前8時。

 枕の隣には相棒のフクロウのぬいぐるみがくりくりした目を虚空に向けている。起こしてやってぽんぽんと頭を撫で、そろりと起き上がった。

 ソファの背が見える。裸足をペタペタ言わせながら背後から近づいて、ひょいとそこから座面を覗く。


 ドローンはイエローのライトがついたスタンバイモードだ。電源は入っているが通信が来ていない。この状況を彼女は知っていた。エリカはこの状態の時、睡眠状態だからだ。


「寝てるな……」


 ミラは水分補給をしながら携帯端末で朝食を注文し、洗面所に向かった。今のうちにシャワーを浴びておこうと思ったからである。


***


 零は目が覚めた。癖でパッとケーニッヒのカメラに繋ぐ。格納庫の中は人が多くざわざわしていた。つづいて自室のカメラに繋ぎ、机の上にドローンがいないことに気づく。


(あ、そうだ、ラプターの部屋に泊まったんだった)


 まずはマイク、つまり耳を接続した。人の気配はない。続いてカメラ、つまり目を繋いだ。カーテンの隙間から光が漏れている。充電は満タン。とりあえず飛び上がるとくるりと後ろを見た。

 ベッドはもぬけの空だ。


 ラプターの相棒のシロフクロウの金色の目がこちらを見つめていた。零はぐちゃぐちゃのベッドの上に降り立った。


「君のワイルドなご主人はどこに行ったんだい?」


 昨晩の泥酔したラプターは最高にワイルドでかわいかった。7時間前のことである。

 疲れていることもあったのだろう、ワインが空になった時、彼女は酔いも手伝ってかなり眠そうであった。


「ラプター、もう寝たほうがいいんじゃないか?」

「……ニコとドルフィンと一緒に寝る」

「……は!?」

「一緒にベッドに行こう。うん、それがいい」


 何がいいのかわからない。わからないが全力で拒否をしなければならない。彼女はこのドローンをベッドに連れて行くつもりだ。ドローンと一緒に寝たら下手をすれば怪我をする。


「俺ほら充電終わってないから……」

「じゃあ隣で寝る」


 フクロウを抱き抱えたままのラプターは座布団を枕にソファの足元。つまり床の絨毯の上に横になった。腕と豊満な胸元に挟まれ抱き潰されて顔面が歪んだあわれなシロフクロウと目があった。

 叶うなら、自分がああされたいと少々思ってはっと我に返る。


「床はダメだー! 起きて、起きよう! まず水を飲もうか!」


 しまったぞどうするか。なんとかベッドで寝てもらわないとならない。こういう時に五体満足な健常者であれば抱き抱えてベッドに放り込むのだが、悲しいかな、五体満足の健康な成人男性だったら夜中に部屋になど入れてもらっていなかっただろう。このシチュエーションは出張ドローンだから生まれているのである。


「起きろ、ミラ・スターリング! 敵襲だ!」


 さっきまで敵と戦っていてこんなことを言うのはどうかと思ったが、音声をやや大きめにして再生する。どさくさに紛れて本名を呼んでみた。なんだかドキドキした。

 やおら、彼女はむくりと起き上がった。


緊急発進スクランブル?」

「そこでそのまま寝ると、虫歯菌と身体を痛くする奴らが襲いかかってくるぞ」


 彼女は首をこてりと傾けた。目がほとんど開いていない。


「歯を磨く」

「あ、はい」

「ニコをお願い」


 ぼん、と隣にぬいぐるみが置かれた。


「お、オーケー?」


 彼女は裸足でスリッパも履かずにペタペタと洗面所に向かった。バタンとドアが閉まった。


「君のご主人最高に面白いな?」


 もちろん返事はない。

 しばらく待っているとラプターが重そうな足取りで戻ってきた。


「ニコとベッドで寝てくれ」

「うん」


 むんず、とわし掴まれたフクロウを見送る。


「ドルフィンは?」

「ソファで寝る」

「おやすみ」

「おやすみ、ラプター」


 ソファの背もたれの向こう側で、ごそごそと寝支度をする音が聞こえて、そして静かになった。零はバッテリーが30パーセントになったことを確認して飛び上がった。ベッドを確認すると、ラプターはきちんと上掛けをかぶって寝ている。

 零自身も安心して充電器の上に舞い戻って眠った。


***


 ミラは歯を磨き、熱いシャワーを浴びてすっきりさっぱり、部屋着の短パンとTシャツを着て、十分後には部屋に戻った。


「あ、ドルフィン起きた?」


 ドライヤーで乾かすのが面倒で、マフラータオルで頭を拭きながらソファに腰掛ける。


「おはよう」

「おはよ、朝まで付き合わせちゃったね」

「気にしないでくれ。どうせ今日は非番だからシミュレーターくらいは乗ろうかと思ってたけど。あ、予約しなきゃ」


 ドルフィンのその言葉に、ミラはずい、と身を乗り出した。


「……飛ぶのは禁止されたけど、シミュレーターはだめって言われてないから、あの、よかったら!」


 再戦したい。絶好の機会だ。


「もちろん。二台予約しておくよ。何時にする?」

「うーん、今8時半だから10時くらいにしようか?」

「いいね。じゃあ今予約するよ。セントラルのシミュレーターでいい? 一緒に行こう」

「ありがとう!」


 インターホンが鳴った。朝食のデリバリーが届いたのである。


「朝ご飯来た。ちょっと待ってて」


 大急ぎでスリッパに足を突っ込んで、手袋をはめて受け取る。ミラはニコニコしながらテーブルの上に並べた。コーラ、ハンバーガー、それからポテトである。ミラは基本的には食事を作らない主義である。コンロはピッカピカ。お湯ですら電気ケトルで沸かすからいつ最後に使ったのか覚えてない。

 活躍するのはもっぱらレンジ。冷蔵庫は飲み物に酒、あとはたまに買ってくるコンビニのデザートやドーナツ、アイスの住処である。


「それは……なんだい?」


 朝食と答えるべきか、見てわかるだろうにハンバーガーと言うべきか。いや、何バーガーと答えればいいのか? よくブラックジョークを言う彼のことだから、自分もたまには言ってみるか。


「共食い」

「はい!?」

「テリヤキチキンだから」


 あ、彼が望んでいた答えではなかったのだな、ということにミラは気づいた。


「俺が聞きたかったのは朝からハンバーガーなんですね……ってことだったんだけど」

「うん、一切自炊しない。いただきまーす!」


 ミラはテリヤキチキンバーガーにかぶりついた。チキンが香ばしい。コクのある甘い醤油だれとマヨネーズの酸味が絶妙だ。レタスもシャキシャキ。今日も間違いなく最高に美味しい。


「あ、君もハンバーガー族か。どうせピザとローテーションなんだろ? なるほど理解。ところで共食いって表現はおかしいよって話してもいい?」


 口に入ったままなので、ミラはぶんぶん頷いた。


「まず、鳥は普通に鳥を食う!」


 ごくりと嚥下し、コーラをごくごく飲んだ。


「へー、そうなの?」

「ワシ、タカは結構同族の鳥を狩るよ。たとえばハヤブサなんか特にそう。オウギワシ……英名だとハーピーイーグルか。確かオウムとかインコを狩るんじゃなかったかなぁ。もちろんナマケモノとかサルとかイグアナも捕食するけど。ジャングルに住んでるからね。カラスだってハトや小鳥の巣を襲う」


 知らなかった。ハーピーイーグルはネズミやウサギを食べるのかと思っていたミラである。


「なるほど。じゃあ私がチキン好きなのも別に普通か」

「うん、普通だよ。一般人をギョッとさせるには最高のブラックジョークかもしれないけど、俺には通じなかったね。なんて言ったって、専門家ではないけどそれなりに鳥には詳しい」


 ニヤリとしている彼がそこにいる気がした。


「負けたなぁ……」


 ミラはポテトを摘んで口に放り込む。


「テリヤキチキンが好きなら焼き鳥も好きだね。串に刺した鶏肉焼いてを醤油ベースの甘いタレで味つけるんだ。最高にビールに合う」


 ミラは目を輝かせた。この味付けのチキンを食べまくれるということなんだろう。なんて甘美な響きなんだ。


「美味しそう!」


「今度焼き鳥パーティしようか。ジェフに手伝わせよう。日系人が経営してる肉屋にでも探しに行くか。焼くだけで済むやつにしよう」

「私も買い出しとか手伝う!」


 彼の話は、昨日恐ろしい敵とドンパチしたことを一瞬でもミラから忘れさせた。それがどれほど彼女の心に安定をもたらしたか、彼女自身も気づいてなかった。

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