10. 官舎 ミラの部屋 二人の夜

「いきなりごめん……」

「いいや、謝ることじゃない。一緒に飛んだ相手なら当然だ」


 泣き止んだラプターはソファに腰掛けてペットボトルの水を喉に流し込んだ。彼女は膝の上にフクロウのぬいぐるみを乗せた。少し落ち着いたようだし、もう彼の話はやめにした方がよさそうだなと零は判断して話題を変えた。


「君の友達を紹介してくれないか?」

「あ、この子? ニコって言うんだ。昔、実験室にいた時からの相棒」


 少しくたびれて見えるのはそういうわけらしい。子供の頃、こういうものを与えてくれる大人がいたのだな、と少し安心する。


「シロフクロウのメスは羽に黒が混じってる。でもその子は純白だからオスだね」

「詳しいね?」

「俺は無類の鳥好きだからな」


 君の髪はハトの首の輝きに似ているねだの、手がインコちゃんの足みたいでかわいいねだのといらんことを言いそうになるのもきっとそのせいだ。流石に公園にいるハトに似ているなんて言われたら気を悪くするだろうから口が裂けても言わないが。


 鳥は犬のように従順でもなんでもない、忖度をしない自立した生き物だ。人間が管理できる生き物ではない。自分が誰だろうと関係ない。だから鳥が好きなのだ。彼らは自分が朝倉家の御曹司であるという事実から逃げさせてくれる砦だった。


「鳥好きから見ると私ってどう見えるの?」


 どう答えりゃいいんだ? 零は一瞬押し黙り、意を決してスピーカーをオンにした。


「髪はクジャクの羽みたいな構造色。うっとりするほど綺麗だ。また恒星の光の元で見たいな。室内のシーリングライトじゃ君の魅力が半減する」


 ハトの首っぽい、という言葉を飲み込んだ。グレーの髪にピンクや紫の色が混じっているので、実際のところはハトっぽいがクジャクとしておいた。


「……うん」

「目はまさしく猛禽の目だね。君の目こそホークアイだと思う。あいつはタックネームを返上すべきだ。猫とか狼っぽいとも言える。捕食動物だね。その目で見つめられると獲物にされた気がしてゾクゾクする。いい意味でね」

「……」


 ラプターの頬が羞恥からか赤くなってきた。間違えてないようで安堵する。女性を褒めるのは得意ではないのだ。


 零にとって、女性とは自分の見た目や家名に勝手にすり寄ってくる鬱陶しい存在であることの方が多く、自分から積極的に褒めたり、口説いたりなんてことはしたことがないのである。

 先程泣き腫らした目元が赤くてセクシーでもある。目に毒だ。零はこっそりカメラの角度を変えて目を逸らした。


 だめだ。自分はどうにかなっている! ここからは綺麗だのゾクゾクするだの抽象的な面ではなくて機能を褒めよう。

 正直、零は混乱していた。

 かつてはその外見と知名度と家族の七光りでぼうっとグラスを傾けているだけでモテる彼だったが、それがない今、恋愛偏差値は五十を大幅に下回る。


「俺たち地を這うことを選択した人類と違って、君は三次元を生きることに特化している。パイロットとして羨ましい限りだ。さっきベランダからすぐに俺を見つけただろ? きっとフクロウかヨダカの遺伝子も入ってるね。視力が良くて夜間でもよく見える」


 人間はXとYの二軸で生きる生き物だ。左右と手前から奥への奥行きの二次元。鳥は違う、生まれながらにしてそこにZ軸という縦方向を生きる本能が備わっている。生を受けたその時から将来三次元を生きることを約束された、空を舞う生き物だ。


「その視力に鑑みて、君はスナイパーになるために生まれたんだろうな……俺が教官だったらまずライフルを徹底的に覚えさせる。それにその拳と爪なら、武器を失っても素手で戦える」


 言って滑ったのではないかと不安を覚えた。しまった。身体があったら滝のように冷や汗をかいていただろう。


「正解。ずっとスナイパーになる教育を受けてた。よくわかったね!」


 ラプターは胸元にフクロウのぬいぐるみを抱いたままこちらに身を乗り出してきた。あ、しくじったわけではない様子だ。ほっと胸を撫で下ろす。

 好きすぎて、気を使いすぎて、ものすごく疲弊している自分に気がついた。零は愕然とした。今までここまで誰かに惚れ込んだことがなかったことを自覚してしまったのだ。


 たとえ「付き合う」という将来を考えられなくても、それでも嫌われたくないのが男心なのだが、ここまで見た目やなんやらに言及しパーソナルスペースにズカズカ踏み込み、心の奥底では彼女がうんざりしているのではと不安にすらなる。顔色を伺う感じ問題はなさそうだが。


「やっぱり。でも君がパイロットになってくれてとても嬉しいよ。君と飛ぶのは楽しい」

「うん。人を殺すだけじゃなくて防衛できるのがパイロット。だから転向して良かったと思ってる。ところで、鳥類で最高の成功作品って言われた私だけど、一箇所だけ失敗した場所があるって言われたんだ。どこだと思う?」


 作品という言葉に苛立ちを覚える。彼女の創造主が言ったのだろう。想像に固くない。

 零はミラの姿をまじまじと見た。髪が目立つとかそういう意味だろうか? 手も確かに爪は焦げ茶色で長め、だが、別にネイルしている女性とあまり変わらない。鱗だって肌色だから言われるほどには目立たない。もしや、服で見えない部分に何か?


「今見える範囲では見当たらないな。でも君は作品じゃない、そこだけは覚えておいてほしい」


 彼女は少々うろたえているように見えた。ずっとモノ扱いされてきたのだろう。彼女は人殺しの兵器として生み出されたのだ。


「……ここが一番異形だね。時代が時代なら、フリークショーに出られる」


 そう言って、彼女は靴下を脱いだ。確かに、そこは他の部分に比べたら一般的な感覚で言えば異形であった。まず、指は四本しかない。人と比べたらおかしいかもしれないが、鳥類は基本的に足の指は四本だ。むしろラプターの手が五本指であることに驚くべきなのだろうか。鳥の翼は三本の指の骨が融合して作られている。


 爪は手と同じ色。形は人と同じで貝殻のような形。鱗も薄く見えるが、肌色でそれほど違和感はない。強いて言えば、指が長めだから物が掴めそうということか。


「まあ確かに人の足とはちょっと違うな。うーん、だけど鳥って四本指がデフォだからそんなに違和感もないし……あ、エミューは三本指でダチョウは二本指。走ることに特化しているからね。でも普通の飛べる鳥は四本指だよ。恐竜時代からこれは変わらない。むしろ、手の指が三本じゃなくて、改めてそこに感心してしまうよ」


 自分は何を語っているんだろう。零は己自身にうんざりした。


「気持ち悪くない?」


 その質問で気がついた。ああ、何か言われたか、ひどい態度を取られたことがあるのだなと。彼にも経験があったからである。


「まさか。確かに人は見慣れないものに基本的に三つの反応を見せる。好奇心丸出しになるか、忌避するか、全くの無関心になるか」

「あなたは?」

「俺は残念ながら、その三つに当てはまらない。鱗がある足を見慣れているからだ。本物の鳥の足をだ。これが君にとって気休めになるかより一層ショックを受けるのかはわからんが、一つだけ言えるのは君の足くらいなら、見慣れればなんとも思わないと言うことだな。たとえ今日びっくりしたやつにも明日明後日と毎日見せてたら愛着が湧く」

「……この足を医療、警察や学者なんかの関係者と施設の人間以外の男の人に見せたのは、あなたで二人目だ」

「……その一人目は拒否反応を示したんだな?」


 彼女は何も言わずにワイングラスを手に取ると、残っていた赤ワインを一気飲みした。

 それは零の目に肯定を意味していた。


「俺も、医療関係者と家族以外で本当の姿を見せた女性が一人いる。彼女はショックで気を失った。そして色々あって、結局関係が壊れた。よく茶化して言ってるが、直視できない見た目っていうのはそういうわけで本当なんだ」


 黄金の目がこちらを見た。零は笑い声を漏らした。


「フル・サイボーグの人間なんてみんな生身の部分はそんなもんだ。俺と仲良くしてると、傷を舐め合ってるとか思われるぞ?」

「私たちは普通じゃない。だから……こんなことを言うのはあれだけど、本当に申し訳ないけど、そんなドルフィンに興味を持ったのかもしれない。きっかけはパイロットとしてのドルフィンだったけれど」

「違いない。きっと五体満足な頃の俺だったら、そもそも君と仲良くなれなかっただろうなぁ。本当に嫌なやつだった。君に紹介したくない」


 あの頃の自分には彼女の苦しみも辛さも何も理解できなかったと思う。

 ラプターは楽しそうに笑った。


「逆に会ってみたかったかもしれない」


 零もつられて笑った。


「やめてくれ。君に嫌われたくない」


 その時、零の視界に警告が現れた。バッテリーが10%を切っている。彼は声を上げた。


「あ、しまった! 充電が切れそう! ごめん今夜これじゃ帰れない……おしゃべりに夢中になって忘れてた」


 ラプターはデスクの方にすっ飛んで行って充電器を持ってきた。ソファの上にそれを設置する。


「どうぞご飯の時間です。召し上がれ」

「ご相伴に預かります」


 零の言葉に、ラプターはニコニコと笑みを浮かべてクラッカーを口に放り込んだ。そうして、彼のドローンのお泊まりが決まった。

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