9. 官舎 ミラの部屋 零の訪問

 零は一瞬で仮想現実の世界からログアウトして、ドローンのカメラと自分の視界をリンクさせた。ああ、これだ。自分の目で見る感じに近い。素直にそう思う。仮想現実空間と現実世界でビデオ通話すると、仮想現実側でもモニター越しの会話となる。これが嫌で仕方がないのだ。


 三階の角部屋。カメラの角度を変えると、ベランダに飛び出したラプターが手を振っている。「実はあなたの家の前にいます」なんて気持ちの悪いことを言う男を普通に歓迎するラプター、大丈夫なのかと少々心配にもなる。ひょいひょい男を家に上げてるのか? いや、その割にはソックスが悪ノリをした時に男に慣れていない感じがした。


 きっと、サイボーグである自分を男と思っていないのだろうという結論に行き着いた。若干へこみはするが、その分距離を縮めてくれるならまあいいじゃないかと自分を納得させる。彼女とどうこうなるつもりもないし。だが、仲良くはなりたいものである。それが人間というものだ。


 零は一目散に三階まで飛んだ。ベランダで出迎えてくれたラプターの下半身はショートパンツ姿であった。日に焼けていない肉づきのいい太ももにカメラが囚われるが、無理矢理視線を正面に向ける。


「どうぞ入って。ドローンの充電器もあるからのんびりしてね。エリカのだけど」

「お邪魔します。メーカー同じはずだから使えると思う、ありがとう」


 エリカ、つまりカナリアはここに入り浸っているようだ。きっとキャシーもそうなのだろう。


「いつから下にいたの? もしかして、電話かけたと同時にドローン飛ばしてたんじゃない?」


 核心を突かれてどきりとした。零は促されるままソファの上に降りた。

 ソファには先客がいた。ひと抱えほどの大きめなぬいぐるみだ。真っ白いフクロウである。


 見回すと、思ったよりも面積は大きめだが、なんの変哲もない1Kの部屋だ。デスクと本棚。それからベッド、ローテーブル。床の上に絨毯が敷いてあって、丸い座布団が敷いてあった。彼女はそこに横座りして、ソファの座面に腕を乗せてこちらを上目遣いで見上げてきた。金色の目がキラキラしている。かわいすぎる。どうしたもんか。零は平静を装って問いかけた。


「なんでそう思った?」


 彼女は目をそらしてもじもじしていた。かわいい。やばい、やめてほしい。目に毒とはこういうことを言うのか。なるほど理解した。人ならざる綺麗な輝きを放つ髪がきらめいた。


「ホークアイが、ドルフィンが私を心配して居ても立っても居られない感じだったって言ってた……もしかしてその時にもうこっちに向かってたんじゃないかって」


 鋭い。酒が入ってこれか。もうちょっと私生活ではほわほわしていると思っていた。隠しても仕方がないので白状することにした。


「ほんっとうにいらんこと言うなあいつは。そう、電話をかけるのと同時に飛ばした。だからまあ……三十分くらいホバリングしてた。実は」

「早く言ってよー。そうしたら直接話せたのに」


 直接と言ってくれるのか。この姿でも。


「直接って思ってくれるの?」

「ドルフィンからしたらそうじゃない? カメラもマイクもスピーカーもあるしアームもある。身動き取れるし、好きな方向も向き放題だし。私からしても、モニター越しよりこっちの方がいいな。同じ空間にいるから。でもまあ、ドルフィンからしたら仮想現実空間の方が自然だよね。身体があった頃とあんまり変わらないんでしょ? コーヒーとか紅茶とか、飲み物もあるってエリカも言ってた」


 ラプターは苦笑してみせた。


「自分の部屋に引きこもって読書するとかはいいんだけどさ、外は出歩かないな……右を見ても左を見ても蝋人形でできた美形って感じのアバターだらけで違和感がすごいんだよ。さっきのホークアイもサミーもすごかっただろ。ファンタジーゲームの登場人物かってくらいの見た目」


 ミラは赤ワインのボトルに手を伸ばし、それをどぼどぼ言わせながら豪快に注いだ。


「ドルフィンもゲームでカタナ振り回してそうな見た目だった……」

「俺は元からあの見た目だ。まあ、先祖はサムライらしいし。実際」


 実は大名の血を引いているとかいう噂もあるのだが、黙っておいた。地方を治める領主だったなんて言ったらこの娘、興奮して面倒くさいことになるに違いない。


「すごい! サムライだったの!」

「夢を壊すようで申し訳ないが、サムライ……つまり武士ってトップの将軍家なんかはともかく、下っ端は自営業で世襲制の公務員みたいなものだ。つまり今の俺たちと何一つ変わらん!」

「えーそんな、夢のない」


 彼女はグラスをゆっくり傾けて美味しそうに飲んだ。


「現実なんてそんなもんだ。そんなわけで俺は仮想現実空間があんまり好きではないんだが、しばらくあっちに入り浸りかもな。サミーの世話があるし」

「そのことなんだけど、サミー、ドローン必要じゃない? いろんなところ連れて行ってさ、実際見せたりした方がいいんじゃないかって。じゃないと頭でっかちなAIになりそう」

「悪くないかもしれないな。もしかして君も協力してくれる? あいつの教育に」

「うん。あとエリカとキャシーも巻き込む……と言うよりもキャシーは多分もう巻き込まれてるだろうし。多い方がきっといい。みんな育ちも違うし、きっと色んなことを学べる」

「ありがとう、助かるよ」

「私は……あの実験施設で役に立たないって処分されるきょうだいたちをいっぱい見送った。だからできるだけ協力したい。ドクター・アイカワなら変なAIは作らないと思うけど、でもキャシーも私も親無しだ。人種、性別、いろんな育ちの面々が関わるのはいいことだと思う」


 サミーの創造主、つまりドクター・アイカワは俺のばあちゃんだ。本気でやばいやつを孫には預けないと思うからそこまで深刻になるな、という言葉を零は必死で飲み込んだ。


 自分はとんでもない上流階級の育ちで、金に困ったことだってない。だからこそ大変な目にもあった。偏見だってあった。でも、皆自分を朝倉家の御曹司としか扱わなくて、それにうんざりしていたのだ。しかし、今の自分は朝倉零ではないレイ・アサイというただのサイボーグだ。


 実験室育ちで辛酸を舐め、しかしながら自分の手で未来を切り拓いてきた彼女に出自を明かしたくなかった。恥ずかしかったのだ。自分はなんの苦労もせず、一人息子なので可愛がられ育ててもらい、順風満帆に中学、高校に進学し、敷かれたレールの上を路面電車よろしく素直に走ってきた。サミーを預かっているのだって、いわば祖母と母親の七光りに過ぎない。


「どうかした? 何か悩んでる?」


 急に黙り込んだ零を不思議そうにラプターが覗き込んだ。零は慌てて応答する。


「ああいや、それも確かにその通りだなと思って。カナリアは一見ぶっ飛んでるけど常識人だし」

「うん、ぶっ飛んでる……今思い出したんだけど、ごめん、その件で謝らなくちゃならないことがあるんだ。あの……ブラボーⅠにいた頃のドルフィンの動画、エリカがどこからか持ってきてキャシーと三人で見てしまったことがあって……あの、ごめんなさい」


 ああ、なんだそのことか。実はカナリアには事前に相談されていたのである。別に見せても構わないと零は言ってあったのだ。ただし、本名がバレないようにだけはしてくれと念を押して。


「ああ、もう見てたんだな。以前カナリアに相談されて、俺が見せてもいいよって言ったんだ。どうせ仮想現実と繋いだらわかることだし。他のサイボーグは両親の姿を元に比較的自由にアバターを作るが、俺は元からあの姿ってのが証明できるだろ?」


 それを聞いたラプターはソファの座面に突っ伏した。


「なんだ……てっきり私は勝手に見てしまったのかと……」

「あれを見てたから今日あんまり違和感がなかったんじゃないか? 若干老けさせたけど」

「うん、違和感はない。ホークアイもサミーも芸能人ばりの顔だから接続した一瞬驚いたけど。ところで、サイボーグ界隈大騒ぎじゃなかった? 一人殉職って……」

「ああ、大騒ぎだったよ。ホークアイも動揺してたな。君の方もそうだろ。アグレッサーから一人殉職者が出たって」


 結局行方不明だった一人は遺体として見つかった。マイケル・スギヤマ。日系人。


「うん……実感が湧かない。実験室を出てから知り合った人が死んだのは初めてだ」

「面識あったか。そうだよな……」


 自分みたいな引きこもりサイボーグでもなきゃ、パイロット同士顔くらいは合わせてるだろう。かく言う零も殉職したその男のことは知っていた。話したこともあったし、まあそれなりに腕はよかった。彼が日系人であったこともあってこちらから話しかけたが、性格が致命的に合わないと思って、個人的な交流こそしたことはなかった。


「元隊長だ。まだ私が二機編隊長の資格しかなかった頃の四機編隊長。私は三番機だった。私が四機編隊長の資格を取ったとき、あの人はアグレッサーに引っこ抜かれていった」


 ラプターは膝を抱えて顔をそこに埋めた。


「辛いな」

「よくわからない……」


 彼女は泣いているようであった。肩を抱いてやりたかったが、ドローンのアームじゃどうにもならなくて歯がゆいばかりであった。ああそうだ、こういう場面でいつも辛い。

 零は静かに泣き続ける彼女のそばに無言で寄り添い続けたのであった。

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