第二章
1. 宇宙空間 散歩コース
休憩時間、ジェフはベランダから空を見上げた。ドーム状の格子のような骨の隙間は透明素材で出来ていて、そこから宇宙が透けて見える。メインアイランドは巨大船の上にビニールハウスが乗っているような構造であった。一度でいい、この檻のような移民船から出て空を見てみたい。そう思ったこともあった。
今頃飛んでいるのだろうな、零はミラと。
ここまでこぎつけるのにえらい時間を要したものだ。
「一週間?」
「そうだ。あと一週間だけ生きろ。俺を人殺しにした挙句自殺させる度胸があるなら来週お前の生命維持スイッチを切ってやる。いいか、一週間後だ。でも、その時にここでもう一度同じことを聞く。その時決心がつかなければまた一週間延長だ」
彼はまだ動けない身であった。目の前の培養槽に、彼はいた。処置中に二度心臓が止まったが、強心剤を投与しこちらに無理やり戻ってきてもらった。
四肢は切断。目は光を失い、ほぼ全身の皮膚を失い、臓器の大半が機能を停止。「あの光」の影響を受けにくい心臓と脳や神経系が機能をしているおかげで、生命維持装置で無理やり生かされているだけの神経系を中核とした人の形を保ってすらいないが生きている「何か」という有り様だ。
ジェフとて戸惑う。彼のことは学生の頃からよく知っていた。容姿端麗で頭脳明晰、スポーツをしていて、高身長で見事な肢体、男女問わず魅了する男前でそれでいて成績も優秀。雑誌の表紙や有名ブランドのモデルのオファーをいつも断っているという噂も聞いたことがある。母親は大企業のトップで、祖父母は有名な研究者。地位も身分もそれに伴う気品さえ、何もかもを備えていた。いつも女性からの黄色い悲鳴を浴びていた。たまに女性と遊んではいたようだが、それも許容の範囲と言える程度。
ハイスクールの時は、誰が彼のダンスパーティーのお相手を務めるのかの話題をさらい……自分とていつもこの男の次席であったが、それなりにモテたし女性に困ったこともない。だが自分のそれとは明らかに格が違っていた。成績だけはこの男に勝ちたいとずっと思っていた男だ。結局叶うことはなかったが。
そんな彼が、声と目だけはスピーカーとカメラを繋いで意思疎通はできるが、全く身動きが取れない状態である。彼は自らの意思で自死することは叶わず、身分はこの船団の特級市民。立場上、安楽死は許されなかった。
確かに哀れだと思った。だが、嘆いたって仕方ない。
「ジェフリー・関。君は……中学の頃から成績優秀だった。容体が急変したとか、いくらでも小細工できるだろう」
「嫌だね。あんた、俺のこと認識してたのか?」
最初の頃こそ患者として丁寧に接していたが、もうそんなことはとっくにやめていた。
「当たり前だ。いっつも俺の次に名前があったんだから嫌でも認識する。その若さで優秀な医者だということを俺は身をもって体感した」
ジェフは歓喜に震えた。あれだけ焦がれた男が、自分を学生時代から認識してくれていた。
「だったら生きろ。俺がお前をまた宇宙に送り出してやる」
「え? そんなの無理だろ。この身体で」
零の母親は宇宙最先端をいく重工のトップなのだ。それを利用しない手はない。
「お前、忘れたのか。自分のお袋さんが東方重工の総裁だってこと。機械の身体を作ってもらおう。サイボーグシップになるんだ。お前の頭脳なら戦闘機のサイボーグシップになれるだろ。まずはそこを目指そうぜ。一週間後、延長を希望することを期待してる」
ジェフの予想通り、一週間後に零は延長を希望した。流石にいざ死ぬとなると怖気づいたのかもしれないが、ジェフは何も言わなかった。毎週水曜の約束。それは今日まで継続されている。
最終的に零には東方重工より最新鋭の戦闘機の身体を与えられた。XW-27ケーニッヒは、彼が宇宙の王に君臨するために設計された、この世で最も高価なプレゼントだとジェフは思っていた。
***
今日こそ、待ち望んでいたその日だった。
「こういう気ままに飛ぶのって初めてだ」
ぼそ、とミラが言った。すかさずドルフィンが乗ってくる。
「だろ? ドライブさせてあげたいと思って。
確かに車のドライブに似ている。ヘルメット搭載のディスプレイには目安となる針路が指示されるが雑談も自由だ。
ミラとドルフィンは宇宙空間を飛んでいた。ミラはSE-25アマツカゼ、ドルフィンこと零は、もちろん自分が収まっているXW-27ケーニッヒ。
お誘いがあった後、実はミラは色々と大変だった。実は、彼女の上官であるジョン・サリバンという男が非常に面倒な性格であるからだ。彼はどうもサイボーグシップをあまり良く思っていないらしい。ドルフィンとの模擬戦の結果もこんこんと説教されたし、今度散歩に誘われたので、と許可を求めた時も嫌味の嵐であった。
彼曰く「一回飛ばすのに税金がいくらかかるかわかっているのか」とのことだ。そんなことはミラ自身よくわかっているが、お供を指定できるのはサイボーグシップの権利だ。身体が船体なのだから、自由に飛べる時間があって然るべき。それでなくとも、彼らは社会への貢献度が高いのだから。
ミラの右斜め前をドルフィンが悠々と飛んでいる。二機で飛ぶからには編隊を組まないと気持ちが悪くて仕方ない。お互い自分は二番機でと譲り合って、彼がその場にいた相棒にくじを作らせて決めた。正直に言って笑った。そして、ソックスに生暖かい目で「楽しんで~」と手を振られて送り出された。誤解されているような気がする。
断じてそんな、期待されるような関係ではないのだが。だが、任務でもなく宇宙を飛んでいる。そのことは率直に楽しい。
「偵察帰りだったの?」
「ああ、君もそうみたいだね」
「予定航路、
ぼやくようにミラが言う。目視で確認できる距離で小天体が分散していた。まさに、岩だらけという有様であったのだ。ほとんど
「ブロックこそ違うが、俺も予定航路偵察だったんだ。あれ、おかしいと思うんだよな。惑星の輪でもないのに、あそこまで密集するか?」
土星の輪のように天体の重力に引かれて集まった小天体ならなんの違和感もない。しかし、そうではないのが不思議なところだ。
「確かに……彗星が惑星にぶつかったとか……? でも惑星がここまで粉々になるとは思えないし。多少本体っぽい大きな塊があって然るべき」
「未知の文明が惑星をとんでも兵器で粉々にした、なんかも考えられるぞ」
それまで人類が考えもしなかった高度技術を有した異文明。それが地球に襲来したことは事実である。空想の話ではすまない。
「自分で言っておいて、なんだか少しぞくぞくしてきた」
ドルフィンが半分おっかなびっくり、でもどこかで楽しそうに言った。なんだか彼の感情の機微がわかるようになってきたミラである。
色々といらぬ想像をしてミラも背筋がぞわぞわしてきた。半分はドルフィンのせいである。実戦を想定して日々訓練に明け暮れているが、実際のところ殉職の可能性が孕んだ実戦なんて考えたくもない。今まで生きていて楽しかったことなんてあんまりないが、今すぐ死にたいとは流石に思わないミラである。彼女はドルフィンに一つ提案をした。
「この話、やめようか……なんか怖いし」
「うん。そうだな。うん。本題に入ろうか。本当になったら嫌だし」
だが、妙な緊張感はほぐれた気がする。宇宙に上がった瞬間は、彼と二人で飛んでいるかと思うとどう話せばいいかわからず正直言って吐きそうだったが、今やそんなことはない。
「あの件だけど、」
ドルフィンはそう切り出した。そう、例の話だ。自分はアナーキストによって将来のテロ工作員として生み出されて、彼はそのテロ活動によって肉体を失った。
「結構凪いだ気分だよ。もうこんな身体になっちまったもんはどうしようもない。あの組織ことを肯定はできないけど、表立っては言えないんだけど……だけど、一つだけ否定しきれないことがある」
「どういうこと?」
なんのことか分からなくて、ミラは素直に聞き返した。
「君だ。君がいなきゃ、この前のあの楽しい模擬戦は出来なかった。今日だってそうだ。だから、君の存在には感謝しているんだ、ラプター。それ以外にも、最近毎日がとても楽しいしね。君自身、自分の出生をどう思っているかはわからないんだけど……気を悪くしてたらすまない」
「そんな。ドルフィンが気にするようなことは何もない。うん。生まれてこなきゃよかったなんて思ったことないし」
ミラは狼狽えた。なんと反応していいか分からない。生まれてきたことを肯定されたことが衝撃だったのだ。言えば、ドルフィンはどこか躊躇いがちに口を開いた。
「……なら、これからもプライベートでも仲良くしてもらえると嬉しい。もちろん、また模擬戦もしたい」
「う、うん。こちらこそ」
ミラは研究所を出た後、どこでも厄介者扱いされてきた過去がある。正直困惑していた。生まれてきたことを否定されることばかりであった。それで死のうとするような性格ではなかったが、嫌な思いをしてきたことなんて数え切れないくらいある。
もしかして、彼は多少なりとも「ミラ・スターリング」個人に興味を持ってくれているのかもしれない。そう思うと、なんだかどうしていいか少しわからなかったりもしたが、それは決して負の感情ではない。だが、こうして話す時間を作ってくれる彼には、好意的な印象を抱かざるをえない。
「あーこれで俺も気が軽くなった、ああよかった!」
流石に普段の偵察飛行やら訓練中やらに比べると多少ぼうっとしていたミラである。ドルフィンはミラに並ぶと、機首を跳ね上げ、ミラの操縦するアマツカゼの上で完璧な百八十度ロールを決めてみせた。背面飛行のままミラの頭上を飛び、ミラの左舷側にぴたりと収まったのである。
「ドルフィン!」
「ちょっとくらい遊んでも問題ないよ。そのための散歩だ」
ならば、とミラも彼に倣って機首を跳ね上げた。彼が行ったように自分も背面飛行してドルフィンの左舷側につく。
「これでどう?」
「最高だね」
ミラは笑みを噛み殺した。こんなに楽しくていいのだろうか。
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