17. 統合本部 シミュレータールーム 教官

 その日のミラは、惨憺たるありさまであった。自軍の最強部隊、アグレッサーとの模擬戦だったのだが、戦績は目も当てられないほど。ウイングマンであるダガー、つまりフィリップとの連携も最悪。


 格納庫に戻って控室に向かって歩いていると、向こうからこちらに向かって歩いてくるのはひよっこ時代のミラの教官で第七飛行群司令兼アグレッサーの隊長。アジア系のミシェル・リー大佐。大佐なのに自らもパイロットとして現役の異例中の異例人物である。ミラが師匠と慕う人物だ。ミラは身構えた。絶対に怒られる。


「教官……」

「どうした、ひどかったな? 体調でも悪いのか?」


 どやされて然るべきところ、あろうことか体調を心配されてしまった。ミラは俯いて縮こまった。むしろ怒って欲しいくらいだ。


「申し訳ありません」


 バシバシ背中を叩かれた。実は二人で飲みに行って、潰れた大佐をご自宅まで送ったりなどと割と気心知れた仲だったりする。彼の妻であるアリアナにはよく食事に招かれる。


「他の奴らなら弛んでるんじゃねぇぞと尻でも蹴り上げてるところだが……これは模擬戦だ。実戦で死ななきゃ問題ない。そう気を落とすな。あれか、きっかけはドルフィンか?」


 え? とミラは顔を上げた。いつになく甘い。どうした、一体何があったのだ?


「この前の模擬戦の映像見たぞ。あそこまでよくやった。あいつの戦闘能力は異次元だ。そう気にするんじゃない。無人のコックピット相手だとやりにくかっただろ?」


 ああ、ドルフィンとの模擬戦で負けたことを言われているのだな、とミラは理解した。確かに、ドルフィンのコックピットは無人だ。腕のいいパイロットは敵機コックピット内のパイロットがどちらを見ているかを常に観察しながら飛び、次にどう出るかを予測するものだ。特にミラは目がいいので、その依存具合が高かった。


 その上、ミラは同期で負け知らず。きっと「人生初の挫折」に打ちひしがれているのだろうと気を遣ってくれているに違いない。確かにぼろ負けしたことには純粋に凹んでいるのだが、でもそれだけではないのだ。なので、ミラはなんと言っていいかわからずモゴモゴと俯くしかない。


「今度、シミュレーターに乗った時、起動したら即F1キーを連打しろ。そうしたら、パスコードの入力欄が出てくる。パスはメカニックドルフィン」

「メカニック? ドルフィン? ですか?」

「ああ、異次元の化け物と対戦できる。経験を積め。そしていつかあいつの鼻っ柱をへし折ってやれ。お前にならできる」


 ミラは理解が追いついていない。疑問符を浮かべまくったままの状態である。


「了解しました」


 返事だけは立派にしておいて、首を傾げながら更衣室に入った。

 一体、なんなんだ? メカニックドルフィン?


 ブラボーⅡの統合軍の戦闘機や一部輸送機には各々のシンボルがペインティングされている。ミラは言わずもがなのオウギワシだ。翼を広げ、嘴を開いた灰色のワシ。カナリアことエリカは背中にマシンガンを背負った黄色い鳥、そのままカナリアの姿である。ダガーことフィリップは蛇が巻きついた短剣だ。


 ドルフィンも言わずもがな、シンボルはイルカである。シルバーカラーで鋲が所々打たれたメカイルカだ。そこにブルーの文字で「ドルフィン」とある。


「そのままだな?」


 ドルフィンのシンボルを思い浮かべて、シャワーコックをひねる。


「つめたっ!」


 頭から冷水を浴びる羽目になり、狭いシャワーブースで一人ばたばたすることになったミラであった。


 翌日、早速シミュレーターに乗ってみたが、それで恐ろしいことがわかった。

 どうも難易度が振り切れているようである。フルスピードのまま直角に曲がる、二十Gの方向転換を行うなど驚異的な動きに翻弄され、十戦して十敗。


 通常の難易度MAX状態とは格段にレベルが違った。まず、シミュレーター上の敵機のスピードと機動が尋常ではない。だが、癖は明らかにドルフィンそのもの。機体は彼のシンボルが刻まれたアマツカゼだ。


 彼がいくらサイボーグシップで肉体が特殊機構に包まれていたとしても、結局機体の中央には肉体がある。あのように高速のまま直角に曲がれば、脳がシェイクされたプリン状態になってジ・エンドである。だから、ケーニッヒであの動きはありえない。


 だが、彼が所有するもう一機、遠隔操作のアマツカゼならば理論上はあの動きが可能だということだ。


 おそらく近くの宙域のケーニッヒから遠隔操作している、という設定でありとあらゆる安全装置、リミッターを外したモードがメカニカルドルフィンなのだ。

 以前、シミュレーターで直接対決した時の飛び方も人外の飛び方であったが、あれは一応なんらかのリミッターがかかっていたようである。これが本当の彼のアマツカゼだ。


「逆に心が挫けそうだが……?」


 教官もなかなかのサディストである。わざと優しく接してきて谷底に蹴り落とすのが彼らしい。だが、シミュレーターの戦闘も所詮は慣れである。いくら人間を乗せていない設定だからといって、万能なわけではない。相手が自分を追い越してきたところでレーザーの嵐を浴びせて一度は撃墜に成功した。


 そうして気がついた。本物のドルフィンだったらもっと機転が利くだろう。そう、これはドルフィンの飛び方を核としたAIだ。まだ、未完成。まだ学習の足りないAIなのだろう。


 これは自分が知ってもいい情報だったのだろうか、と背中を汗が伝う。

 なぜドルフィンが核なのだ? そもそも、一介の軍所属のパイロットであるドルフィンが専用の遠隔機を持っていることがミラには謎であった。そもそも、遠隔操作の機体はコスパが悪い。


 敵が装備のよい兵器を有する場合、遠隔操作機は投入できない。それはなぜか。電波妨害による電子攻撃を仕掛けられれば操縦不能に陥るのである。これはおもちゃのラジコンだろうが戦闘機だろうが関係ない。


 ゆえに、船団周囲の偵察業務などでは遠隔操作型の偵察機も採用されているが、戦闘機は配備されていないのだ。もちろん、技術的に「ノン・サイボーグ」の人間には遠隔操作の戦闘機を操ることが難しいという点もあるのだが、第一は電子攻撃を恐れてのことである。


 確かにドルフィンは不可解な部分が多い。あの強さでアグレッサーに所属していないのも謎だ。これに関してはサイボーグであることが何か関わっているのかもしれない。フィリップが少々警戒するのもわかる気がしなくもない。

 だからと言って、サイボーグシップを一律に信用できないとは思っていないミラであった。


 色々と考え込みすぎたし、何よりシミュレーターに乗りすぎて頭痛が止まらない。カプセル状のシミュレーターから降りて、彼女は猫のようにしなやかな伸びをした。



 仕事後、ミラは事務処理と上官の小言が多くてぐったりの疲労困憊状態であった。早めにベッドに入ったがどうも眠気は感じられずに天井を眺める。ジェフに会って三日後のことであったが、頭は未だドルフィンのことでいっぱいだった。彼もあの組織の被害者だったとは。自分はこの世に生み出され、一方彼は身体を失った。


 その時、枕元の端末がメッセージの着信を知らせた。ミラが気怠げに腕を伸ばして確認すれば、相手は噂のドルフィンである。彼女はベッドから跳ね起きた。


 一言『少し話があるんだが、寝ていたらすまない』とあった。大丈夫だ。夜の十時。早朝からの仕事でもない限りはいつも起きている。それに、プライベートの回線は翌日の仕事に影響ないよう、寝る前に通知を切るようにしている。全く問題ない。


 真面目な男にミラはくすりと笑って『起きてるから電話しようか?』と返信した。その途端に電話がかかってくる。早い。


「びっくりした、早すぎ」

「ごめんごめん、ほら、普通の人と違って、頭で電話しよう! と思えば間髪入れずにコールできちゃうから」


 その辺りはエリカで体験済みである。ミラは笑みを浮かべた。


「大丈夫。ドルフィンは元気にしてる?」

「ああ、俺は変わらずだよ。君は?」

「私も悪くないかな」


 合成音声からはなんの感情も読み取れない。ミラは思い切って問いかけた。


「あの……もしかして、ドクターに何か聞いた?」


 一瞬の沈黙。ああ、やっぱりそうか、とミラは思った。生身の人間ほど声の調子で感情をおもんぱかることはできないが、多少なりともわかるというものである。


「まさかテリヤキチキンの話でバレるなんてなぁ、ってジェフが電話してきた」

「やっぱり」

「察しが良くて助かるよ。俺もどう話そうか悩んでいたところだったんだ。実は、俺は君のことを少し調べた」

「マツヤマの話はしてたから、好きに調べてもらって構わないよ」

「君もあの組織の被害者だったとは……。驚いた。うん、なんて言えばいいんだろうな」


 彼は言葉に迷っているようであった。思い出すのも嫌だろう。きっと苦労したはずだ。何かしらトラウマだってあるだろう。

 事故とか戦闘とか、その後にストレス障害になるなんてよくあることだ。あれだけのテロ事件に遭った彼のことだ、今に至るまで精神面でなんの傷もなく元気に過ごしたなんてことはないだろう。


「あの人たちに生み出されて、工作員になるために育てられた。タイミングが違えば、もしかしたら私がドルフィンに何かしてたかもしれない。そう思うと私にもう会いたくないはず。ストレスだって思うなら……」

「それはない!」


 こちらが話終わる前に彼は話を遮ってきた。


「それはないから、逃げないでくれ。頼む。今日はそれを言いたくて電話したんだ。君から連絡は取りにくいだろ?」


 確かにそれは事実である。また会いたいけれど、話したいけれど、どうしようとそればかり考えていたのだ。


「今度腹を割って話そう。誰にも邪魔されない場所で」

「誰にも邪魔されない場所?」

「宇宙で。俺たちサイボーグシップは宇宙空間で自由時間を与えられてる。一緒に飛ぼう」

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