10. 医務局 ジェフの執務室

「体調は大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。昨夜は悪かったな。完徹明けだったから意識を失ってしまった。ミラにもキャシーにもエリカにも今度またお礼言わないと」

「そりゃあよかった。あーそれにしてもわけがわからん、全く、なんでラプターがうちに宿泊……」


 零はぶつくさとジェフに文句を言い続けている。件の大宴会の翌日のことであった。

 今は昼休み。ジェフは朝起きてバタバタ一度自宅に戻り、今や職場の自分の部屋にいた。

 診察用のベッドの上には零のドローンがあった。零はわざわざ保温ジャーに入った野菜スープと数種類のサンドイッチを持って様子を見にきてくれたのである。


 一度懐に入ると、この上なく優しい男なのだ。世話焼きである。甲斐甲斐しい。家にいっぱいペットの鳥がいたというのも頷ける。


「ミラにお泊まりしていってもらえたんだからよかったじゃねえか」

「あんなの合宿みたいなもんだろうが!」

「もうぞっこんだな」

「うるさい。ご期待に添えなくて申し訳ないが、あの子とどうこうなる気はないからな!」


 なんでそんな宣言をするんだよ、とジェフは思った。好きなら好きでガンガン狙っていけばいいじゃないか。同じ軍所属のパイロットだから機密事項の問題もクリア、仕事の悩みだって話せるし、お互い仕事が変則的なことは承知している。いいではないか。


「なんで?」

「なんでってお前さぁ、そんな残酷なことよく訊けるな。こんな身体でどうしろっていうんだよ」

「それを決めるのは向こうだろ。なんでお前が自分で決める」

「……手を繋いでデートもできない男と付き合ってくれる生身の女性がいるかよ」


 ジェフはサンドイッチに手を伸ばした。


「だから決めつけるなよ。にしても、うまいなこのきゅうりのサンドイッチ」

「さっぱりしたもの食いたいんじゃないかと思ってな」

「だからこの甲斐甲斐しさをミラにだなぁ……」

「手繋ぎデートで悩んでるレベルだったらいいよ。もっと先進んだらどうするんだ。セックスできない男に需要があるか?」


 はぁ、とジェフはため息を吐いた。


「いいか、この世にセックスできない男なんてごまんといるぞ? それでもパートナーがいることもあるだろ。触れ合えなくたって結婚してる男もいるぞ。五体満足な人間と結婚してるサイボーグもいるだろ」

「この船団に一人しかいない特殊な例を挙げるなよ。最初はいいよ。だけど、結局生身の男に走るんだ。そしてどうせ俺は捨てられる。そんなことされたらとてもじゃないが耐えられない。それに、残ってる生身の肉体を見てみたいとか言われたら目も当てられんし。やっぱり引きこもってるべきだった。女性と仲良くなるんじゃなかったな」


 彼の治療をしていた頃を思い出した。医療関係者ですら目を逸らすほど「人をやめた何か」にしか見えないことをジェフ自身もよくわかっている。


仮想現実VR空間なら触れ合えるだろ」


 その言葉に、零はそれだけはだめだ、と言った。


「なんで?」

「俺は神経接続してるから向こうでも触覚やらなんやらとにかく……昔と変わらない。だけどな、それを生身の人間に求めるのは酷だ。頭に電極埋め込むんだぞ。させられるか。しかもこの船団ではまだ未認証、しかもあの子はパイロットだ。その時点でキャリアも何もかもおじゃんだ」


 脳のシナプスを機械と直接接続したサイボーグは、仮想現実空間で視覚も嗅覚も触覚も感じることができる。その気になれば一般人とほぼ変わらないような日常を送ることができる。飲食に関してはまだまだ限られて嗜好品の酒くらいしかないがそのうち解禁されるだろう。


 一般人も仮想現実空間を体感できるが、感覚に関しては脳を直接接続されているサイボーグと違って機能に制限がある。サイボーグと同じように感覚を得るには、頭に直接電極を接続する必要があるし、仮想現実空間にいる間、肉体は半休眠状態となる。短時間ならばともかく、その時間が長ければ長いほど弊害が出るのである。


「確かに、軍のパイロットは頭に何か埋め込んだ時点で免許剥奪だな」

「飛べないオウギワシを手に入れてどうする? その時点でもうラプターじゃない」

「確かに。その点において、お前の言う通りだ。……あの子と仲良くなったこと、後悔してるか?」

「半分後悔してる」


 そうか、とジェフリーはため息をつき、ややためらいがちに問いかけた。


「零、お前、今でも死んだほうがましだったって思ってる?」

「ああ」


 ジェフは目を伏せた。彼は零をなんとかして救おうと発足された医療チームの所属だったからだ。意識が戻った時からこの男はこうだ。生命維持装置を切ってくれ。なんとかなだめて誤魔化してここまでこぎつけた。


「そうか」

「悪い……」


 零はバツが悪そうに言った。


「いや、嘘をつかれるより、俺には本当のことを言ってくれて感謝してる」


 その時、設定していたアラームが鳴った。昼休みだったことを思い出してジェフは我に返る。


「残り十分か。俺はそろそろ帰る」

「ああ、昼飯ありがとう」

「弁当箱とジャーは医務局の受付にでも預けておいてくれ。夕方にでもまた散歩がてら回収に来る」


 零のドローンは低いモーターと風切り音を響かせて飛び上がった。自動ドアがぱっと開いて、彼はそのまま飛び去っていった。


「くそ! やっちまった」


 ジェフはミネラルウォーターの水を一気飲みした。がっくりと肘をデスクについて、頭を抱える他なかった。


「どうしたら、あいつを救えるんだろうか……」


 ミラの存在が毒になるか薬になるか、この時のジェフには全く見当もつかなかった。ジャーのスープを飲み干して、立ち上がった彼は給湯室に持って行き洗い始める。

 それにしてもおかしい。この前まで、ミラを家に呼んでしまった! とテンション高々報告してきたじゃないか。あの時は前向きだったのになぜ。


(まじで好きになっちまったって自覚でもしたんかなぁ)

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