8. 官舎 零の部屋 リビングルーム

 ミラは自分のグラスを持ったまま、リビングのソファに腰掛けた。周りをしげしげと眺めてしまう。成人過ぎまで五体満足だったからか、一般的な人間の居住空間にそっくりである。壁のテレビモニターの周りには鳥たちの写真が貼ってある。


「楽しんでくれてる? 今回半ば強引にここに呼んだよな。完璧な自分勝手野郎だと反省した」

「ええ! そんなことはないって! それ言ったら最初に会いたいって言ったのは私だし、楽しんでるよ!」

「……確かにきっかけはそうだな。あの時はびっくりしたな、唐突だったし。シミュレーターのドッグファイトで負けたから次は直に殴り合い……つまりフィジカルでの地上戦闘訓練でリベンジしたいって言われてるんじゃないかと一瞬考えてOKした」

「なんで!?」

「だって俺殴り合いできないからさ。ドローン飛ばして行ったらラプターはどんな顔して現れるのかなって思ったら提案されたのカフェでさ、んん? って。そしたら女性だったし。驚いたなぁ……確かに女性パイロットが一人いるってのは聞いていたが、ラプターだとは知らなかったからなぁ」


 ドルフィンはしみじみと言った。ミラも口を開く。


「どんな人が操縦してるんだろ、って率直に気になって思わず会いたいって送ってしまったんだ」

「そうか、若造の鼻っ柱を折ってやるぜと無駄にミサイルを撃ってトドメを刺してしまった……きっとムカつく野郎だと思われてるだろうなとは思ったけど会いたいと思われるとは思わなかったな」


 シミュレーターでのダメ押しのミサイルのことだろう。それか、わざとロックオンさせたことだろうか。もうこっちは蜂の巣になっているのに、と確かになんて野郎だと思ったのは事実である。


「本当に! うわひっどいなって思った。だから会いたくなったんだ。どんな人なんだろうって」

「いやー、灰色の小鳥が乗っているなんて知っていれば、あんな鬼畜なことはしなかったな」


 ははは、と笑いながらすまんすまんと謝られる。

 小鳥。頬が一気に熱くなった。ミラは誤魔化すようにグラスの水を口に含み、ミラは内心ため息をついた。これはまずい。パイロットとしてだけでなく、確実に異性としての彼に惹かれ始めている自分に気がついたのだ。

 地上戦闘訓練でも男性に引けを取らず好成績を収めるような自分を「小鳥」なんて呼んでくる男は初めてなのだ。戸惑う。戸惑うが悪い気はしない。

 ミラは顔を上げた。ハリスホークの写真と目が合った。


「そこに写真の鳥たち、全部実家にいた頃に飼ってた鳥なんだ。じいちゃんが鳥類研究所の関係者だったのもあって」

「育児放棄された文鳥のヒナを生後初日から育てたこともある。ちゃんと成長して飛べるようになった。パイロットになろうと思ったのもそれがきっかけだ。俺も空を飛んでみたいなって思ったんだ。で、飛ぶなら境界のない宇宙がいいなと思った。本当は空を飛びたいけど、それは無理だしね」

「そうだったのか……」


 自分はなんだろう、この肉体を最大限に生かすならばやはり軍に入るのが一番だと思った。そんな単純な動機だったと思う。


「今度一緒に飛ぶのが楽しみだ」


 ミラはなんだかおかしな気分だった。もう恋愛はうんざりだと思っていたのに、こうして簡単に誰かを好きになってしまう。

 自分は普通の人間じゃないのに、なぜなのだろうかと思った。


「そうだ、デザート食べる? アイスとかフルーツとか用意してあるよ。それとももう少し飲む?」


 ぐるりと首を回らして、壁の時計とリビングで盛り上がる三人を見た。まだ夜の八時だ。自分はともかく。連れの友人はデザートではないな、と思って視線を戻す。


「もう少し飲んでもいい?」


 ミラがそう言った時のことであった。


「すごいな……首も鳥並に回るのか」


 感嘆の声が上がる。ミラの首は猛禽類と同じくほぼ180度真後ろを見ることが可能だ。


「首の骨も普通と少し違うんだ。便利だよ」

「パイロットとして最高だな。天職だね」


 戦闘機のパイロットは前方だけを見て飛んでいるかと思われがちだが、上空後方、ありとあらゆる方面に首を振り回して周囲を見ながら飛んでいる。実際便利なのである。彼だからこそわかる事実であった。


「びっくりされることもあるけど、個人的にはこの身体を気に入ってる」


 それは本心からの言葉であった。


「そうか、羨ましいな……俺はまだこの身体に慣れなくて、こうして五体満足な人間が普通に生活するような部屋を作ってしまった。滑稽だよな」


 憧れのドルフィンが弱音を吐いた。

 だが、それさえも今のミラには嬉しいことであった。ミラはよくよく理解していた。自分が普通ではないからこそ、彼は己とこうして仲良くしてくれるのだろうということを。


「成人過ぎるまで軍人できるほど瑕疵かしのない身体で過ごしていたなら当たり前だ。私は生まれた時からこの身体だし、エリカだって子供の頃サイボーグ化されたはずだから慣れている。だから、そもそも普通ってものが分からないけど、途中からってなるとかなり大変だったはず。だからドルフィンみたいに成人過ぎて全身機械化しているのは本当にすごいと思う」


 その点は心からすごいと思う。しかも事故だから徐々にではなく突然であったはずだ。覚悟も何もなく、突然肉体を失ったのだ。想像を絶する。


「そうだね、大変だった……」


 何か思うことがあったのだろう、彼は感慨深げにそう言った。そして、何か思い出したように、あ! と声を上げた。


「そうだ、何飲む? 酒だよね。ごめんごめん、脱線してしまった。ウイスキーにビールにウォッカ、日本酒に焼酎になんでもあるよ。カシスとかもあったかなぁ……ソーダもあるからカシスソーダにハイボールも作れる」


 彼は話題を変えたいようであった。深入りするつもりはない。自分も色々と訳ありだからだ。ミラは自然に何を飲もうか考えた。

 なぜ飲食できない男の家にそれほど酒があるのだろうか。疑問に思いつつも彼女は口を開いた。


「ハイボール、もらおうかな」

「OK! 持ってくる!」

「私も行くよ」


 キッチンにある棚から取り出した瓶三本に、ミラは目を丸くした。


「とても、高い、ウイスキーだな……?」


 全部地球産である。何が起こっているんだ、どういうことだこれは。外で飲んだら一杯いくらしてしまうんだ。一杯十万ドルしてもおかしくない。


「偉い人が飲んで置いて行った瓶だから好きに飲んで。そろそろ飲まないと香り抜けると思うし、珍しくかなり良いのが揃ってる」

「い、いいの?」

「いいよいいよ。せっかくだからロックかストレートが美味しい銘柄だとは思うけど」


 ミラはごくりと唾を飲み込んだ。実は、根っからの酒好きである。彼女は迷って視線を彷徨わせた。


「さっきから見てる限り酒強そうだし、せっかくだから全部飲んでみる?」


 悪魔的な囁きに、ミラはぶんぶんと首を縦に振ったのであった。



「美味しい……! 何これ香りがすごい!」


 木だ。木の匂いがする。よくわからないが、きっと樽の香りってやつだだろう。残念な感想が思い浮かんだが、それを伝えていいか分からずとりあえず香りがすごいと言っておく。


「よかった。そろそろ飲んでもらわないとアウトだと思っていたんだ」


 ドルフィンは嬉しそうに言った。

 どこからか出してきたナッツが小皿に出される。こんなに至れり尽くせりで頭がどうにかなりそうである。


「偉い人って……誰? 聞いてもいい?」

「えーっと、その一番左のバーボンは大統領の息子が置いて行って、その隣のスコッチは中将が飲んで行ったあまり。もう一つは誰だったか……あ、前の官房長官が置いて行ったやつだ!」

「はぁ?」


 ミラは素っ頓狂な声を出した。


「俺ちょっと有名人なんだよね」


 合点がいった。このやたら大きな物件に住んでいるのもきっとそういうことだ。


「わかった。それ以上は聞かないでおく」

「そうしてもらえると大変ありがたい」


 結局ミラは三種類それぞれロックで味わった。そこそこ酔いも回ってきた頃、ポケットに何かあることに気がついてはっとした。


「そうだ! ドルフィン、これ。あの……今日のお礼に持ってきたんだ。忘れるところだった、危ない危ない」


 一般的なサイズのカードである。コードが記載されていて、三十ドル分電子書籍が買えるものだ。それをローテーブルの上のドローンにそっと差し出した。


「え、俺に!? そんな……気を遣ってもらって悪いな」

「お呼ばれして参加費以外何も持ってこないなんてどうしてもできなくて。気持ち程度だがもらって欲しい」

「ありがとう。こんな相手だとこういう時困るだろ。食い物や飲み物ってわけにもいかないし。暇な時ってドラマとか映画とか見るか、読書するかが大半だから嬉しい。本当に嬉しい」


 でも、とスピーカーから音声が発せられた。


「次からはいいよ。気になるなら、みんなで飲み食い出来るものを持ってくるといい。そうしないと、次から俺に何を渡すか悩みに悩むスパイラルが始まる。来てもらえるだけで嬉しいんだ」


 そう言われて、ミラは率直に喜んだ。社交辞令でもいい、次があるのか! と思ったからである。


「また呼んでくれる?」

「もちろん、また呼ぶよ」


 耳に心地いいバリトンがそう答えて、ミラの心臓がどきりと跳ねた。

 その時、エリカのドローンが飛んでくる音が聞こえてミラは頭を上げ、ドルフィンはカメラをそちらに向けた。


「ミラ、ドルフィン、あの二人、もうダメよ。なんかあの日本酒がよっぽど美味しかったみたいね。どんどん飲んじゃってあの通り」

「はぁ!?」


 ドルフィンが声を上げた。ドローンが一目散にダイニングにすっ飛んでいく。


「え、ジェフどうした? 寝てくか? ベッド用意してあるぞ。……だけど、まじかよ。俺も流石に人体は運べない」


 ドルフィンはミラの目にかなり焦っているように見えた。多分、ジェフは普段ここまで酔わないのだろう。


「私が寝室まで担いで行く。大丈夫、キャシーも連れて帰るよ」


 ミラがそう言うと、近くをホバリングしていたドルフィンがあからさまに空中をオロオロし始めた。なんだろう、動揺するドルフィンは結構かわいいのではないだろうか。


「え? そんな、こんなおっさん捨てて帰りなよ! 水でもぶっかければ起きる! 自分で歩かせよう!」

「これ絶対に無理だろ。それに体調崩されたら困るのはドルフィンだ。ベッドに放り込んでしばらく様子見るよ。まだ夜中ってほどでもない時間帯だし。あ、キャシーは一回ソファに寝かせるかな」

「もうミラも泊まっていけばいいんじゃなくて? 明日、二人とも非番でしょ?」

「い、いやいやそれは!」


 流石に悪いだろう。そう思ってミラがエリカに声を発すると、ドルフィンはこう言った。


「ベッドルームが二つあるから片方にキャシーと泊まればいいよ。ソファベッドとダブルベッドがある。ジェフはもう一個のベッドルームに放り込めばいい。大丈夫。君たちの部屋へのカメラは切るけど、ジェフのとこはたまに監視しておくから。ドクターに死なれたら困る」


 なんでサイボーグな上明らかに独身っぽいこの男の部屋にそれほど寝室があるんだ? ミラはそう質問を投げかけたくなるが黙っておいた。先程の地球産高級ウイスキーの件といい、多分、彼は訳ありに違いない。


「ドルフィンって、こういう時大変そうだな」

「それはきっと君もそうでしょ? 真面目そうだし」


 否定はしない。だからちらりと視線を送って肯定しておいた。キャシーは尚も爆睡している。


「ドクター、大丈夫ですか? ベッド行きますよ?」


 肩のあたりを叩きながら言ってもうめき声しか発しない。肩を掴んでやや乱暴に揺すってみてもぐっすり寝ている。


「やっぱり水でもかけておく? ホースで!」


 ミラは流石にホースはやめておけとドルフィンを一瞥した。それから彼女は寝室を確認してジェフリーを担いで雑に運んだ。丁寧に運ぼうとしたら、ドルフィンがごちゃごちゃ文句をつけてきたからである。

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