3. ウィーンブロック カフェ・モーツァルト

 約50年前、太平洋上に正体不明の宇宙からの客人が飛来した。母船一隻と一回り小さい宇宙船の計三隻からなる宇宙船団。そこから各国の空軍が有する戦闘機そっくりの小型戦闘機が次々と出現、人類を混乱の渦に巻き込んだ。


 米軍はハワイの基地からAI制御型ドローンを差し向けたが、全て撃墜されてしまった。次いで有人の航空機と遠隔操作型偵察航空機が緊急スクランブルしたが、一筋縄で倒せる相手ではなく、全機が太平洋の藻屑となって散った。人類は史上初めて中、米にロシア、それから日本の自衛隊や欧州、中東の各国軍とイスラエル軍までもが結託した。


 戦況は混乱を極めた。敵は人類の兵器を破壊するだけでなく、捕縛し回収した。それによってこちらの回線を把握したのか遠隔型の航空機は全てハッキングされて操られ、レーダーも全て封じ込まれた。この状況で飛べるのは遠隔補助を必要としない完全自立型AI搭載機と有人機のみであった。しかし、敵はついに各国の戦闘機、兵装や地上配置型兵器のコピーすら作成し、自立型AI搭載機ですら敵に捕縛され、敵空母から解き放たれた暁には人類を攻撃し始めた。


 勝てる見込みはゼロに近く、人類は滅亡の危機に瀕していた。


 一方、不時着した敵機を米軍協力のもと日本の極秘研究機関で解析したところ、中には俗にいうところの「宇宙人」と呼ばれる知的生命体はおらず、母船との通信によって制御された機体であると判明した。通信の周波数までは特定できなかったが、自衛隊は米軍海兵隊と独自開発した防空システムの使用を決定した。


 日米はNATOとも協力し、環太平洋でジャミング装置、つまり妨害電波を広範囲に発したのである。これは賭けであった。広範囲に発する以上、周波数の幅を広げ、低出力にせざるを得ない。どこまで効果があるかもわからず、味方の通信すらも経つジャミングを発することは一歩間違えれば人類が滅びかねない状況を引き起こすことを皆理解していた。


 結果として人類は敵の小型攻撃機全ての撃墜に成功した。母艦との通信を断つことに成功したのである。

 それと同時に、日本の人工知能開発の権威、ドクター・アイカワの提案で偽の情報を仕組んだプログラムを作成し、囮のAI搭載型航空機を飛ばしてわざと捕縛させ、母艦のシステム内に侵入した、それによって敵の機能を停止させ、残りの二隻も完全に沈黙しこれを制圧した。


 のちに機能停止した二隻の母艦に侵入したところ、内部に生物の存在も確認することができなかった。船内からは一切の有機物が発見されることはなかったのである。

 人類は彼ら地球への侵略者を「ゼノン」と呼ぶことにした。

 この度人類は宇宙からの攻撃的な来訪者の迎撃に成功したが、向こうはおそらく地球の場所を把握している。テクノロジーに対して地球を攻め込む作戦があまりにもお粗末であったことも人々の不安を煽った。またいつ襲われるかわからない。次こそ彼らの本体が来るかもわからない。


 人類はオーバーテクノロジーともいうべき敵機の情報を収集して、飛躍的に技術躍進を遂げ、地球外に出て種としての生存の可能性に賭けることに決めた。その輝くべき第二隻目、それこそ今ミラが暮らす移民船団ブラボーⅡである。


 ***


 移民船団はさながらいくつもの浮島を橋で繋ぎ合わせたかのような形で宇宙を飛んでいる。メインアイランドはその中核を成す中央にある巨大な船で、半径十キロはゆうに超える大きさである。


 統合軍の本部があるのもここだ。もちろん、ミラもメインアイランドの官舎に住んでいた。

 カフェ・モーツァルトはミラが住んでいる官舎からも近いウィーン・ブロックに位置していた。ミラは待ち人が来るのを心待ちにしていた。若干不安でもあった。


 あのあと、ドルフィンが自分のタックネームを調べてしまい、本名を知り、そこから出自を知ってしまったら本当に来てくれるだろうか。人ではないのだから強くて当たり前。がっかりするのではなかろうか。


 彼女は半獣人だ。遺伝子操作した人類が創られることは倫理面で禁止されている。彼女は実験室の子供と呼ばれ、彼女を作り出した産みの親は逮捕され現在は地球に送還されているのである。

 十年ほど前に彼女の存在は世間に明らかとなった。それから彼女は施設に預けられ、高校に編入した。しかし、正直言えばまともに学校には通っていない。その辺りも普通ではないのではないかと思う。


 は、と彼女はため息を吐いた。


 席は植栽の影の目立たぬ位置にした。ここならば手を晒しても大丈夫だろう。ミラの手は、どこからどう見ても人外の手であるからだ。


 でもドルフィンにはこの肉体の種明かしをしようと思っている。遺伝子操作で強化された自分が全く敵わない相手だ。全て正直に話してシミュレーターではなく宇宙空間で実機による模擬戦闘訓練を申し込みたい。チャットした時の誠実そうな雰囲気から快く頷いてくれるのではと少し期待をしてしまう。ミラは初めてデートを経験する10代の女の子のようにハラハラしていた。


 その時のことである。サーキュレーターが風を切るような奇妙な音が聞こえてきて、ミラは顔を上げた。

 彼女とどこからかやってきた小型のドローンが対峙し、一陣の風が頬をなでた。


 ***


 零は少々混乱していた。指定されたカフェのテラス席に一人で座っている人物を、ドローンに内蔵されたカメラで見渡しながら探していた。

 零は普段外をうろつく時にもっぱらドローンを愛用していた。

 零がカメラを動かしてあたりを見回すと、カフェの席に一人で読書をする文学少年がいた。しかし、見た目からして軍人ではない。絶対に違う。あとはネクタイを締めたサラリーマンの二人客。おしゃれなご婦人方。コーヒーを飲むカップル。


 他にいる一人客は艶やかなグレーの髪をした見たところ二十代の女性である。ノースリーブのカットソーとは少しちぐはぐにも見える革製のグローブを手に嵌めていた。ここを指定したのは戦闘機パイロットだ。ほとんど女性はいないはずである。まさか、と思いつつも、彼女がいるテーブルの上に己が操っているドローンを移動させホバリングする。目が合う。素直にかわいい人だと思った。

 彼はスピーカーから音声を発した。


「君が……もしかしてラプター?」

「ああ。あなたがドルフィン?」


 恒星からの陽光に照らされた野外のテラス席。二人がついに対峙した。

 いや、まさかこんなにかわいらしい女性だとは思っていなかった。零は柄にもなく動揺した。動揺しながらもテーブルの上に着地し、プロペラを折り畳んで収納した。


 女性といえども、もちろん軍人らしく体格はいい。かなり鍛えていそうだし、あの成績を叩き出すにおかしくない。

 人種はともかく男性だと勝手に思っていたが、ラプターは白人の女性であった。意思が強そうだが愛らしい目をしている。目はなかなか見かけないオレンジがかった金色。あまり日焼けしていない眩しい肩と上腕は女性らしくもシャープな筋肉を感じさせた。布地を押し上げる豊満な釣鐘型のバスト。座っているので下半身は見えないが、魅惑的な肢体を思わせる。率直に言って好みである。もちろん言うつもりなど微塵もないが。


 そして、何より不思議なのは髪の色だった。角度によって七色に輝いて見える。カメラの調子が悪いのか? それとも頭がおかしくなったのか?

 己の心拍数を確認すれば、戦闘中並に急上昇している。なんてこった、ジェフはラプターが女性だと知っていたのだ! あの野郎、だから面白がっていたのか。零は心のうちで毒づいた。


「俺がドルフィンだ。初めまして」


 彼女は瞳孔をまん丸にして、首を傾げてこちらを見下ろした。昔、ハイスクールの頃に飼っていた、自分によく懐いていたハリスホークを思い出した。


「私がラプターだ。本名はミラ・スターリング。第十八飛行隊所属で階級は大尉。あなたがアサイ大尉?」

「ああ、俺が零だ。階級は君と同じ大尉。第二十七飛行隊所属。サイボーグシップで身体は生命維持装置の中に入っているんだ。ここに身体が入っている戦闘機を飛ばしてきたらあっという間に俺は引っ立てられる。直にお会いできず申し訳ない」


 少しふざけてそう言ってみる。びっくりしたように彼女がこちらに身を乗り出してきた。


「仲のいい友人にもサイボーグシップはいるから慣れてはいる……ごめんなさい、知っていたら、こんなカフェを指定しなかったのに」


 あ、しまった。零はそう思った。確かに誘いに乗ったのは自分だが、決して彼女を困らせたかったわけじゃない。


「いや、いいんだ。俺は別に気にしないし。場所代、お礼代としてチップも想定しているからウエイターに支払える。君に負担をかけるつもりはない」

「でも、あなたを飲食の場に呼び出してしまって申し訳ないというか……」


 彼女の眉尻が下がった。ああ、本当にいい子だな、と零は思った。黙っていたのは自分なのに、ここまで気を遣ってくれる。


「構わないよ、俺は事故でこんな身体になってしまったが、それまではこういうカフェで昼下がりによく読書をしてた。ここ、来てみたかったんだ。普段一般居住区をうろつくことなんてそうそうないし、今日をとても楽しみにしていた。好きに頼むといい」


 そう言うと、彼女は少々狼狽えたように見えた。困ったようにこちらを見下ろす仕草が愛らしい。


「ええ、でも……」

「大丈夫、好きなものを頼むといいよ。甘いものは好き? アプフェルシュトゥルーデルウィーン風アップルパイ? それともザッハトルテ? ここの名物はこのモーツァルトトルテらしい」


 零はドローンにくっついているアームを操作してメニューを差し出した。ミラのウイスキーのような琥珀色の目がメニューの表面に釘づけになった。はしばみ色とも違う不思議な色合いの大きめの双眸。零の目であるカメラもその目に釘づけになる。


「ザッハトルテにしようかな?」

「いいね」

「ドリンクはこっちかな?」


 零はアームを伸ばしてメニューをめくった。


「ドリンクも全部天然のミルクやクリームを使ってるみたいだね。さすがウィーン地区のカフェハウスだ」


 さて、彼女は何を選ぶのだろう。一番人気は地球のオーストリアの首都、ウィーンでよく飲まれているというメランジェという温めたミルクとコーヒーを同量注いだコーヒー。その他、カプチーノやモカもある。


「メランジェにする」

「OK」


 ウェイターを呼んで注文する。メニューが下げられて、改めて彼女に声を掛ける。


「驚いた。あれほどの機動が可能だと言うことは、かなりG耐性が強いんだな。恐れ入った」


 航空機で急旋回などの高機動をすると、肉体に遠心加速度、いわゆる「G」がかかる。耐Gスーツや下半身を鍛えることにより多少の軽減はできるが、彼女の機動は訓練された成人男性でも脳への血流が阻害されて意識消失に至るほどであった。各個人の実機による戦闘訓練結果や耐G能力はシミュレーターにフィードバックされているので、彼女は実際にあの機動で宇宙を飛べるのだ。これは恐るべきことである。


「こちらこそあなたの飛行機動には驚かされた。でも機体はケーニッヒなのにシミュレーターはアマツカゼだったけど……」

「たまに遠隔操作でアマツカゼを飛ばすから、そっちのデータで登録してあるんだ。君も知っていると思うが、ケーニッヒは足が遅いからな」


 普通の人間が遠隔操作で空対空の戦闘をするのはなかなか難しく、偵察機や一撃離脱型の戦法を取る機体ならともかくドッグファイトとなるとうまく運用できた例がない。その点、脳を電子回路やコンピューターに直接繋いで普段から手足のように戦闘機を操る零には遠隔で小型戦闘機を操ることなど造作もないことであった。

 普段、自分の肉体が収まっている機体を動かすこととやっていることは何も変わらない。


「種明かしをすると、私は普通の人間じゃない。十年前に発覚した、マツヤマという男が禁忌と言われた遺伝子操作をいくつも重ねて実験室の子供達を生み出した事件、それの被験者なんだ。もしかして名簿とか何も確認せずに今日ここへ?」


 彼女は一瞬ためらいながらも手に嵌めていたグローブを外した。普通の人間のそれより分厚く鋭い爪。皮膚の表面には鱗のようなものが確認できる。爬虫類だろうか? 確か蛇の遺伝子が組み込まれた実験室の被験者と、鳥類の遺伝子を組み込まれた被験者がパイロットになったと数年前に聞いた記憶がある。どっちだ?


「ああ、名簿の検索もせずに性別や本名を確認せずに来た。そうか、十年前か……ちょうど俺が事故に遭って意識不明だった頃だ。申し訳ないがわからないな。あとで調べてみる。それにしても、その手、とてもクールだな!」


 言ってしまって、あ、しまったと後悔する。気分を悪くしたかもしれない。彼女は女性だ。気にもするだろう。

 零が慌ててカメラを顔に向けると、彼女は笑っていた。


「ありがとう。結構気味悪がる人も多いんだけど、そう言ってくれて嬉しいな。握力が強いからこの手は軍人として最高の武器。気に入ってる」

「ドラゴンみたいで最高にクールじゃないか! 君の手を気味悪がった奴と俺は感性が合わないし気にすることはない。君は最高のパイロットだ。一緒に飛んでみたい」

「ぜひ。実践訓練をお願いしたい。あなたの方がOKなら、私の方は上官の許可をもらっているからいつでも大丈夫だ」


 その瞬間のことであった。きゅるる、と何かが鳴った。あ、腹の音か、と零は一瞬で気がついた。


「すみません……昼も食べたんですがお腹が空いてしまって……」

「気にしなくていい! 生理現象だし腹って唐突に鳴るし止めようもないし!」


 真っ赤になって申し訳なさそうに言ったラプターがかわいくて零は狼狽えて早口で言った。その時ちょうどウェイターがやってきて、注文していたケーキとドリンクがサーブされた。


「こういう時に俺たちは腹が減ったりしないから便利なんだよなぁ……どうぞ、気にせず召し上がれ」

「はい。それにしても、恥ずかしい……空腹なのがバレてるってのは。人よりも体温が高いから燃費が悪くて」


 サーモグラフィーカメラに切り替えれば、高いところで39℃近くはある。深部体温を測ったら40℃近いのではないか。え、と戸惑ったが、そういえば鳥類は平熱が42℃くらいある種類もいることを思い出した。空を飛ぶには莫大なエネルギーがいるからである。確かにこれはこまめに食べないとエネルギーが欠乏する。もしかして、彼女は鳥か?


 彼女は左手のグローブも外してフォークを手に取る。ケーキを優雅にカットしてフォークに刺して、口に運ぶ。うん、動作も綺麗だ。


「どう?」

「うん、ジャムの酸味も効いていてなかなか美味しい」

「それはよかった」


 女の子が美味しそうに食事をしているのを見るのは好きだ。ミラはカップにも手を伸ばして一口含んで口の端に笑みを刻む。スチームド・ミルクの泡が口の端について、それをぺろりと舐めとる。零はその仕草にどきりとさせられた。

 ウイスキー色の双眸がこちらのカメラを見た。普段から自分たちのようなフル・サイボーグに慣れている視線の使い方だ。蛇の縦に細長い瞳孔とは違う。人間のようにまん丸な瞳孔。猛禽のような目だ。手を見る。鱗に爪。ああ、繋がった。


「君にはワシの遺伝子が組み込まれているのか!」

「そう、ハーピーイーグルっていうワシ。あと他にも色々猛禽類と鳥類が混ざってるみたい」


 ジェフが言っていたワシだ。和名、オウギワシ。髪の色も謎が解けた。構造色だ。身近なところでいうと、シャボン玉。他には宝石のオパール。クジャクや玉虫の羽。それらは規則的に並んだ微細構造が光の干渉によって鮮やかな色を発する。彼女の髪もそれだ。

 鳥類は構造色を持った種類が多い。公園にいるハトの首の鮮やかな発色もそれだし、光を浴びてほのかに緑や青っぽい色を見せるカラスもそうだ。

 ラプターのグレーの髪は、角度によっては青にも紫にも、それからピンクにも似た光を発している。なんて美しいのだろうか。


「だから猛禽類ラプターなんだな?」

「ああ、教官が名づけてくれたんだ。ドルフィンの由来は?」

「中学高校、それから士官学校時代に結構力を入れて水泳をやっていたから、教官がそう名付けてくれた」


 もぐもぐとケーキを咀嚼していた口元が止まって、ごくりと嚥下した。こちらを不思議そうな目で見つめてくる。


「あの、私の認識が間違っていたら教えて欲しいんだけど、手足とか臓器の一部だけじゃないシステムや機械への完全サイボーグ化って、先天性の障がいがある人が生まれてすぐにするのだと思っていたんだけど……あなたの話を聞いていると、成人してから今の身体に?」

「そう。十年前、事故で肉体の大部分を失った。だからさっきのマツヤマの逮捕事件ってのを知らないんだ」


 彼女はびっくりしたように目を瞬かせた。


「成人してからのフル・サイボーグ化なんてそんな。なんていう適応力……ということはもしかして結構年上?」

「今年三十五だよ。元はブラボーⅠ所属。移籍組だ」


 彼女は目をまんまるにした。思ったよりおっさんで申し訳ない。きっと同世代くらいだと思われていた。そんな気がする。


「え、なんか馴れ馴れしくしてしまったけど、待って、そんな。十近くも上だったなんて」

「気にすることじゃない。階級も同じだ。しばらく休んでいたから、軍の所属年数もほとんど変わらないはず。気楽に話してくれて構わないよ。しかも俺は何年か意識不明だったから気分的には君とあまり変わらない年齢だ」

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