2. シミュレータールーム 模擬戦
目標は急加速、急旋回を繰り返す。ミラは
今日は約束のシミュレーターでの模擬戦の日であった。
標準装備の中距離ミサイルでロックしようとするがぬるぬると避けられる。視線には入るが高精度のステルス機能を搭載している上に、右へ左へと巧みにこちらを翻弄するのだ。よってレーザー照準が定まらず、なかなかロックできない。
ならば他の手とレーザーガンで相手の集中力を揺さぶり撃ち落とそうとしたが、ミラの発射するレーザーガンをドルフィンはまさしく海中を踊るイルカのように避けた。
ミラはいい加減じれはじめていた。
さらに距離を詰め、別のミサイルを発射してやろうと手元の操縦桿を操作した。先程の中距離ミサイルよりも距離を詰めなければロックオンできないが、高性能な誘導装置に最終段階での軌道修正能力を併せ持つ。これから逃れられる確率は極めて低いが、ドルフィン相手にそれがどこまで通じるかわからない。
標的ロック。ミラはミサイルを発射。
しかし、ドルフィンは易々と10Gターンを決め、岩塊にぶつかったミサイルが爆発する。
避けられることをわかっていて、わざとロックさせたのだ。なんという男だろうか!
「性格悪すぎだろ!」
それにしても普通の人間ではないミラでもギリギリ可能なターンだ。本当に相手は人間なのだろうか。もしやドルフィンは、人工知能搭載型の戦闘機、つまりアンドロイドなのではなかろうか。
その間もこちらを嘲笑うようにドルフィンは宇宙を泳ぐ。相手はまさしくイルカであった。
シュノーケルとフィンを装着してなんとか水中に順応したホモ・サピエンスを嘲笑うような軌道で華麗に宇宙を泳いでいる。ミラの胸が高鳴った。脳髄に刻み込まれる程の、鮮やかなほどの腕を持つパイロットだ。
(なんて速さだ!)
ミラの腕が未熟なわけではない。ドルフィンが異常であった。追うことに神経を集中していたミラに対し、敵機は急旋回をかけてドッグファイトに持ち込もうとした。
ミラは三次元ノズルを吹かして斜め上方向にピッチアップしてそれを避ける。敵機から目を逸らさずに、眼前に出現したアステロイドさえもひらりと避ける。きっとドルフィンはミラがアステロイドにぶち当たり爆発霧散する未来を読んでいたのだろうが、これを簡単に避けることができるのがミラ能力の一つであった。
動物の遺伝子を組み込まれて肉体を強化された半獣人ともいうべき存在。組み込まれた遺伝子は熱帯雨林を飛び回るワシ、オウギワシことハーピーイーグルを主として鳥類の遺伝子。
空を舞うワシと同じく、進行方向と獲物、同時に二箇所に焦点を合わせられる目を持つ彼女にとっては、障害物を避けながら獲物を追うなどお手の物なのである。
「もらった!」
ミラはこちらに向かってきた小型ミサイルの束をレーザーガンで迎撃、すぐさまドルフィンの未来予測地点に超高機動ミサイルをありったけ叩き込んだ。
着弾の合図の赤い煙が散った。なんだ、途中肝を冷やした時もあったが、意外とあっさりやられてくれるじゃないか。そう思った瞬間、シミュレーターのシートが揺れる衝撃にミラは視線を走らせた。
斜め上方向に、鈍く青く輝く機体、SE-25アマツカゼ、つまりドルフィンの勝ち誇ったような勇姿が燦然と煌めいていた。
先ほど、確かにこちらのミサイルが直撃したはずだ。ミラは狼狽して回避行動を取る間も無く、敵機のレーザーガンの嵐を浴びることになった。
あ、そうか。とミラは一瞬遅れて理解した。敵機にはブースターやミサイルパックなどのオプション兵装がなかった。あれを置き去りにして囮とし、超機動でミラの放った超高起動ミサイルを避けたのか。自分のミサイルは全て囮の兵装に当たって霧散したのだ。
全てを悟ったその時、制御を失ったミラの機体にドルフィンがダメ押しとばかりにミサイルを叩き込む。ここまでするか?
それで決着がついた。自機の被弾、大破の表示にがっくりと項垂れる。
強い。さすがドルフィンだ。お前如きが自惚れるなと強烈な張り手を食らわされた気分である。
「負けた……」
音声回線を開いて礼を述べようとしたその時だった。向こうからチャットが飛んでくる。
『君のお命頂戴した』
撃墜の宣言。いわゆるキルコールである。
かつて人類が地球だけで生きていた頃、模擬戦においてロックオンして一定時間経過すればそれを撃墜とみなし、「あなたを撃墜した」とコールした。それの名残で、現代のように技術が発展し、相手側に撃墜の通知が自動で行われるようになった後でもキルコールをするのがパイロットのお約束であった。
『音声通信でなくて申し訳ない。諸事情により声を出すことができない。今回は本当に楽しい模擬戦だった。あなたは本当に才能のあるパイロットだ。戦えて光栄に思っている。心から礼を言いたい』
文語調の堅苦しめな文章であった。しかし、ミラは好感が持てた。彼ほど才能があるのに驕らない人物も珍しい。心臓が高鳴った。憧れの人物に対するそれである。性格悪すぎと言ったことを心の中で訂正した。
『こちらこそありがとう。自分の欠点がわかって今後のためにもなったし、何よりも楽しかった』
慌てながらもミラもチャットで返信をする。
『ぜひまたお相手願いたい』
そう返事が来た時、ミラの口から「嘘……」と声が漏れた。意外ですらあったのだ。自分は彼の足元にすら及ばない。
『君は動体視力がいいな。あやかりたいくらいだ』
『ありがとう。動体視力には自信があります。だがあなたの操縦技術には本当に恐れ入った』
ミラは早くなる呼吸を努力で沈めながらそう返信した。これを畏敬というのだろうか。相手はもう言葉にならないくらいの腕前のパイロットだ。
これほどの腕で階級が同じとは信じ難い。彼について士官学校にいた頃は聞いたことがなかった。他の船団からの移籍組である可能性がおおいにありそうだ。
『君があと数年経験を重ねたら追い越されてしまうかもしれない。自分はまだまだだと思っている』
ミラは少しだけ笑みを浮かべた。彼は相当な堅物であるらしい。もう少し、こちらに偉ぶってもおかしくないのに。
ミラはどう返信するか一瞬だけ逡巡したのち、タッチパネルに指先を走らせた。
『もしあなたさえよければ、一度お会いして話をしてみたい』
そう送信して、ミラは一瞬後悔した。何を言っているんだ。明らかに話の流れとして唐突だっただろうし、お前は一体どうしたんだと、自分でもそう思うくらい彼女からするとあり得ないことであった。
ミラは、いわば実験動物だ。爪は黒くて人のそれよりも分厚く鋭いし、指先から手首までと足先から足首あたりにかけて鳥類の足にあるような鱗に覆われている。視力と心肺能力も首の骨の数も人間とは違う、遺伝子工学によってデザインされた鳥の遺伝子が組み込まれた亜人である。
故に、彼女はあまり他人と深い仲にならないようにしてきた。デートに誘ってきた男が、こちらが手袋を外した姿を見て目を逸らすなどよくあることであった。だから異性には期待していないのだ。
会ったらバレる。自分が純粋な人ではなく実験動物であることが。何をやっているのだろう。ミラは頭を抱えたくなった。馬鹿馬鹿。ああ、なんで。
ミラがメッセージを送信してたっぷり十秒ほど経過したのちのことである。
『是非とも』
そう返事がきた。あれよあれよという間に、次回の非番が彼と同じ日であったので、十五時からオープンテラスのカフェで会うことになってしまった。
もういい。純粋な人間じゃないことがバレたって。長年の自分のコンプレックスと天秤にかけてでも、ドルフィンをもっと知りたいと思ったのである。
***
「で、どうだった? 模擬戦」
ミラにそう聞いてきたのは整備士のキャサリン・コリンズであった。赤毛をポニーテールにまとめ、色素の薄い肌をしている。グリーンの垂れ目で愛らしい顔つきだが、口を開けばなかなかに気が強い。彼女は皆からキャシーと呼ばれている。
彼女は男ばかりの整備部門で紅一点の存在である。一方戦闘機パイロットも自分くらいしか女性がいなかったし、何より同い年。必然的に仲良くなったのだ。
「ズタボロ、ボロ負け」
ミラは顔面を覆った。場所は官舎にあるキャシーの部屋であった。テーブルにはスナックとグラスに注がれた酒。キャシーは安物の合成エールを一気に煽った。
「そうか、やっぱり向こう、強かったか」
「ドルフィンの技術は一流。経験値も高い。凹むことじゃないわ……実は知り合いなの、黙っていてごめんなさい」
テーブルの上の端末のスピーカーから、エリカの高めの声が発せられた。
「ええ! そうだったの? 言ってくれればよかったのに!」
ミラは驚いて声をあげた。ということは、彼はやはり人間なのだ!
「だってミラが恋する乙女みたいになっちゃってるから、きっと紹介してほしいって言われると思ったのよね。私も友達ってほどの仲じゃないし……それに彼、結構シャイボーイなのよ」
「恋する乙女な、私も思った。すっごいわかるよ。デートが決まった! みたいな笑顔で模擬戦を受けてもらえるって報告してきたもんなぁ」
キャシーが面白そうに笑っている。確かにシミュレーターでの模擬戦が決まった時少々ハイテンションで二人に話した記憶がある。ミラからすると、相手の腕に惚れているというのは確実なのであるが恋愛なんてくだらないことはしたくない。
ミラは身長が180センチ近くもあって、強力な心肺機能を支えるために肩幅も広めで胸郭が広い。有り体に言うとごつい。その時点で男は大概怖気づく。視力だって5.0はゆうにあるし、筋力だって普通の人間とは比べられないくらいある。
手袋をして目に見える異形を隠せても、身体機能からして並の男よりも強い。もしも殴り合いをしたら、ほぼ確実にこちらが勝つ。男というものは自分より強い女に遭遇すると怯えるものである。特殊な出自もあって、恋愛対象としての異性に期待するのはもう疲れ切っていた。
大体、ドルフィンとは直に話したこともないし顔も知らない相手だ。なにが恋する乙女であろうか。
「これはパイロットとしてむこうを尊敬しているだけであって……もう、二人ともからかわないでくれ! 大体直に話したこともないのに……顔だって知らない!」
「あら、私の本当の顔を知らなくてもミラは仲良くしてくれるじゃない」
エリカ・ミュラーが面白そうに言った。先程からスピーカーとマイクを通してミラとキャシーと話す彼女はサイボーグだ。身体は丸ごと生命維持装置に入っている。彼女の頭脳は優秀であったが、ある日突然、首から下が動かなくなった。神経系を原因不明の病に冒されたのだ。
現在小型輸送船の中核システムに組み込まれた彼女は脳と回路を直接船に繋いでいる。手足はエンジンやスラスターに、耳はマイク、目はカメラに。その声は、スピーカーに。彼女の船体は軍港の
「悪い。言葉を間違えた。そういう意味で言ったんじゃない……ごめん」
「わかってるわよ。気にしていないわ。まだよくわからない相手に恋なんてしないって言いたかったんでしょ? で、再戦は叶いそうなの?」
「うん……社交辞令かもしれないけど。でもその前に一度会うことになったん、だ」
ミラは正直に告げた。
「嘘! え、会うの? どこで?」
キャシーが声をあげた。
「ウィーンブロックのカフェ・モーツァルト。あそこなら普段から男性客も多いしいいかなって」
「ミラから誘ったの?」
エリカが興奮気味に問いかけてくる。
「う、うん、私から」
ミラはしどろもどろ答えた。珍しいと思われているに違いない。出自もあって目立つことや自分から声をかけることが苦手なミラから誘ったなんて。
彼女自身驚いている。でも会ってみたかったのだ。一体どんな人なのだろう。その興味を抑えきれなかったのである。
「へぇぇ、あのドルフィンがデートしてくれるなんてよっぽど気に入られてるんじゃない?」
エリカの発言の「あのドルフィン」とはなんだろうとミラは思ったが、それ以前にデートという単語が思考を支配して間髪入れず声を発した。
「だからデートじゃないってば! ただ会うだけだから! 大体向こうは私のことを調べてなければ男だと思ってるはず」
「男同士だろうが女同士だろうが、人だろうがサイボーグだろうが老若男女関係なく二人で会えばデート! だろ、エリカ?」
「私もそう思うわ、キャシー」
「まったく……二人とも」
楽しみなのは確かである。ミラはグラスに残っていた合成エールを一気に飲み干した。
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