オウギワシのキルコール
矢古宇朔也
第一部 第一章
1. 統合軍本部 シミュレータールームでの邂逅
オウギワシ。英名ハーピーイーグル。灰色と黒の羽毛をまとう、猛禽類で最大級のサイズを誇るワシ。
熱帯雨林に生息するがゆえ、樹間をすり抜けるように高速飛行し、木の上のナマケモノや猿、大型のオウムを捕食する。時としてハイイログマより長く鋭い爪を備える150キロの握力を持つほどの剛脚は、成人男性の頭蓋骨を貫くことすら可能なほど。ギリシャ神話に登場する怪鳥、ハーピーを由来につけられた名に恥じぬ、生態系の頂点に君臨する王者である。
***
浅井零の手足である、小型多用途戦闘機SE-25アマツカゼがありえない機動のターンを決め、右の翼をミサイルが掠めていった。
先程のターンの時点で、慣性中和装置により多少の軽減をされていても、普通の人間ならブラックアウトするGを食らったはずであるが、彼には全く関係のないことであった。
敵機はすぐさま方向転換をかけた。零は螺旋を描きながら横転、機首上げ、いわゆるバレルロール軌道を用いて進行方向を変えぬまま闘牛士のようにひらりと並行移動し、敵機の未来予測地点に超小型ミサイルの嵐を叩き込む。
(やったか? ……いや、まだだ!)
敵機はチャフを使用したようだ。ミサイルが誤認識し全て誤爆。
すぐさま斜め上方にピッチアップすると敵の小型ミサイルが自機後方を擦過して行った。零は不覚にも敵機に背後を取られる。
戦闘機と戦闘機の空対空の戦闘、いわゆるドッグファイトにおいて一番避けなければならないのが背後につかれることである。敵機の中径レーザーガンが宇宙の深淵に向かって光の矢を放つ。
零は急旋回と急加速でこれを避け、尚も追い縋る敵に対して急減速をかけた。スラスターで逆噴射を行なったのである。
零の目の前に自分を追い越してしまった敵機の尻が飛び込んできた。ターゲットロック。発射されたミサイルが敵に吸い込まれるように肉薄する。
爆発。
霧散。
敵機撃墜、勝利。
目の前に文字が飛び込んでくる。
この最新のコンバットシミュレーターでの難易度Sクラス300勝目。以前の自分であれば祝杯でもあげるところである。残念ながら今の彼は酒を飲めないのでそれは無理というものであった。
彼は珍しくランキングを開いてみた。表示の一番上に表示されていたのは己のタックネームであるドルフィンである。学生の頃水泳をやっていたので教官にその名をもらった。彼自身もなかなか気に入っている。
零の下、二番目にあったのがラプターというタックネームであった。290勝。誰だこれは。難易度Sクラスでこの腕前、どこの部隊の所属だろうか。
彼にしては珍しくも興味が湧いた。あとで隊員名簿を覗いて調べてみよう。いや、まずはシミュレーターのデータをこっそりハックして、彼の戦闘記録を再生してみようか。
ラプター、つまり猛禽類か。なかなか格好いい名前ではないか。
***
能力値の高い人間を遺伝子工学で意図的に生み出し、将来のテロリストとして育てる。かつてそのような禁忌の実験を行う違法施設があった。
その悪夢のような実験室に生まれ、助け出されて社会を知った。身体能力の高さから士官学校をトップで卒業し、移民船団ブラボー
特異な出自も相まって、奇異の目を向けられても彼女はめげなかった。そもそも、自分以外の女性戦闘機パイロットなぞこの船団にはいない。輸送機のパイロットなら最近増えたと聞くが、戦闘機は身体にかかる負荷が他の航空機とは比べものにならないほどあるのである。女性に対しても門戸を開いて入るのだが、訓練も過酷を極め、続いた者がいなかったのだ。
それを、並み居る男性陣を蹴散らしてその年の首席で合格し、ついに正規のパイロットとなったのが彼女であった。
すらりと高めの身長、一方肉感的で女性らしい身体。人ならざる七色に輝くグレーのショートカットに瞳はオレンジがかった金色。意思の強そうな眉と引き締まった口元が、大きめな目で童顔にも見える顔つきをクールに引き立てている。十人の男のうち九人が美人と言うだろう、整った容姿である。
だが軍隊において容姿なんて関係ないし、ましてや男も女もない。苛烈を極める訓練の日々。宇宙空間での実践演習だけでなく、格闘技戦の時間もある。一番多いのは基礎体力訓練である。
正規の軍人になったとて、訓練に次ぐ訓練の毎日。
その代わり映えのしない日々の中で見つけた明確な目標は、シミュレーターの撃墜カウントナンバーワンである。これほどわかりやすい目標もあるまい。
もはや楽しみと言っても過言ではなかった。彼女は可能なかぎりずっとシミュレーターに乗って模擬戦技をこなし撃墜記録を稼いでいるのだが、一人だけどうしても抜けない相手がいた。ドルフィンとかいう男である。
おそらく男だ。今、自分以外に女性パイロットはいないというし。
「直に模擬戦してみたいな」
シミュレーター上ではタックネームしかわからないが、調べればすぐに所属や本名がわかるはずだ。タックネームとは
彼女は好奇心からコンピュータにアクセスした。別に機密情報でもなんでもない。ただの隊員名簿である。
指はキーボードを迷いなくドルフィンとタイピングし検索する。本来写真つきのプロフィールが現れるはずであるが、写真はブランクであった。
(おかしいな……)
だがデータはばっちり記載されていた。第二十七飛行隊所属の大尉、レイ・アサイ。階級は意外にも自分と同じ大尉であった。四機編隊長。入隊三年目にしてSE-25アマツカゼだけでなく、大型の多用途戦闘機XW-27ケーニッヒ、他にも何機か制空戦闘機の操縦経験あり。
何者だ。三年目ということは、士官学校を出て幹部候補生学校までもストレートで卒業していれば、今年二十五歳。嘘だろう、若すぎる。他の船団からの移籍組だろうか。自分だって順風満帆に昇進し、今年二十七歳で大尉に昇進したばかりなのに。
名前からすると欧米人ではない。おそらくアジア系だろうか。チャイナ? ベトナム? それともジャパン?
顔がわからないので、ますます興味を惹かれた。シミュレーター上で模擬戦を願いたい。それか、もしも叶うならば実機で訓練願えないだろうか。
本名で検索すれば彼の功績や顔やら色々出てくるだろうが、今はやめておいた。殴ったら一発KOをもらえそうな残念なヒョロヒョロの中年のおっさんなんかが出てきたら、完璧に夢がぶち壊れる。まだ少しだけ夢を見たい。
シミュレーターでの模擬戦の申し込み、通称ラブコールを送る。
普段シミュレーターでは仮想敵を模したAIと模擬戦を行うが、時間を指定し互いの同意が得られれば、シミュレーター上で直接模擬戦を行うこともできるのだ。
所属や本名は全部伏せた。その方が乗ってくれるのではないかと思ったのだ。きっとシミュレーターの戦歴で後ろにピッタリと張りつく自分のタックネームは目に入っているはず。多少は意識してくれているのではないかと思う。女性だとかそういう色眼鏡で見られるのはもう飽きたのだ。それに、自分は普通の人間ではないし、と一瞬後ろ向きになってかぶりを振る。彼が自分のことを知らなければいいのだが。
ミラは厳密にいうと純粋なる人間ではないからである。
実験室で、猛禽類の遺伝子を組み込まれて生まれたのが彼女だ。この船団に実験室の出身者は数えるくらいしかいない。とても稀有な存在だ。
皆言う、人より優れていて当たり前だと。スタート時点から違うのだと。ミラがパイロットという進路を選んだのも、この能力が活かせるからという簡単な理由であった。
そんな普通の人間より優れた能力があっても、追いつけそうにないのがこのドルフィンとかいう男だ。どうしても彼と戦ってみたい。
彼が受け入れてくれますように。ミラは生まれて初めて、たいして信じてもいない神とかいうものに願ってみた。
***
ぼんやりしていた零にとって、それは思考をぶん殴るような衝撃にも思えた。狙っていた獲物がかかったのである。
「ん?」
ラブコール。つまりシミュレーターでの模擬戦の申し込みが入ってきたのだ。
「どうかしたか?」
白衣に身を包んだアジア系の男が日本語で問いかける。
「ああいや、今シミュレーターの申し込みが入ってきたんだ」
今は数少ない身体の未だ残っている臓器のメンテナンス中である。主治医でもあり友人でもある軍医、関ジェフリー将輝が検査結果に目を通している。零は彼をいつもジェフと呼んでいた。
「珍しいな。お前普段ラブコール申請拒否ってなかった?」
そう、普段零は決してラブコールを受けないのだ。基本的には受付すら拒否しているのに、珍しく回線をオープンにしていた。普段回線を閉じている理由は簡単、申し込みが多すぎて手が回らないからである。シミュレーターの成績ナンバーワンの人気は伊達ではない。
「ちょっと気になるやつがいたから回線開けといたら、狙い通り向こうからコールされた」
「自分からはいかないのか……」
「こっちの方が成績いいんだぞ? なんで俺がラブコールしてやらないとならない?」
「あーはいはい」
モニター内、零の検査結果を注視しながらジェフは面倒くさそうに言う。それを、零はカメラを向けてつぶさに見つめた。零に眼球はない。その代わりをするのがカメラと倍率調整機能を有する鏡筒とレンズである。カメラで取得した映像が脳に送られて、そうして零はやっと周囲を見ることができた。耳もない。マイクが拾った音声を電気信号に変換して、それが生命維持装置内の脳に送られてやっと音声を認識できる。
「うーん、とりあえず気になるところはないな。心電図の異常もなさそう……一応正式なのは別の人間の目も入れて、また後で結果送るけど、ま、問題ないと思う」
「そりゃあよかった」
この声も彼の喉から出ているわけでなかった。スピーカーを通してジェフの耳に入っているのである。声は合成だ。訛りのない若干抑揚にも欠ける日本語はどこかロボットじみているが、ジェフはもう慣れきっていた。零がこの身体になって、いや、肉体の大部分を失い、機械の身体となって十年経過しているのであった。
「ラブコール、受けるのか?」
「ああ。もう承諾した。いつにするかは向こうに任せようと思ってる。俺は、任務中以外は割とどうでもなるからな」
ジェフは驚いたような目でカメラを見つめた。カメラは青くライトが輝いている。これが零の視線がリンクしている証であった。
「珍しいな。そんなに見どころのあるやつなのか?」
ああ、と相槌を打ちながら、見どころか……零はどう話そうか悩みながらつづけた。
「この前、シミュレーターの難易度Sでついに300勝を突破したんだ。その時、俺のすぐ後ろで追い越そうと頑張ってるやつを見つけたんだ。シミュレーターの記録にハックして戦闘映像も何本か見たんだが……すごくよかった。ため息が止まらなかっただろうなぁ、俺が息をできたらの話だけど」
彼にはかろうじて心臓はあるが肺はないしもちろん気管支もない。息を吸うための鼻もない。もちろん胃腸もない。人工肺で培養液に混ぜられた酸素や栄養素が心臓を経由し脳や残存しているいくつかの臓器、そして後から培養し、復元した臓器を巡るのみである。
「お前、ほんっとにしょっちゅうハッキングするよな」
ジェフは零の自虐発言をまるで無視して呆れたように言った。
「趣味だ。俺はネットワークの海を泳ぐドルフィンだから諦めろ」
零は悪びれずに言う。ジェフは呆れたように息をついた。
「で、その撃墜王ドルフィンは誰のラブコールを受けたんだ?」
「ラプター」
零が言えば、ジェフが途端にニヤつきはじめた。どういう意味だ? こいつはいったい何を楽しんでいるんだ、と零は訝しんでスピーカーから音声を発した。
「お前、なんでニタニタしてるんだ?」
「いやぁ、ラプターとだなんて、楽しみだな~って」
「知ってるのか?」
「知ってる知ってる。俺たち医務局の人間はみんな知ってるよ!」
医務局で一番有名なのは自分だろう、サイボーグの中でも自前の肉体が一番少ないことで有名だ。その次がこのラプターということか。どういうことだ? 彼も自分のように生命維持装置で命を繋ぐフルサイボーグなのだろうか。いいや、サイボーグシップは何隻か仲間がいるが、戦闘機は自分だけだ。聞いたことがないぞ。
「どんなやつ?」
「ワシだ。強くて美しいワシだよ。ハーピーイーグル」
「ハーピーイーグル?」
わけがわからずにすぐさまネットにアクセスしてハーピーイーグルと検索した。ヒットしたのは頭部に冠のような飾り羽根のついたグレーと黒の羽毛の壮麗なワシだ。中南米から南米に生息する猛禽である。零は思い出した。ああ、オウギワシか! 彼は英名を知らなかったのである。
「オウギワシか!」
「そう、日本名オウギワシ。英名だとハーピーイーグル。まあ、そのうち会ってみろ。会えばわかるさ」
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