第39話 壊れた関係


「ごめんなさい……」


 細く怯えた声が触れた指先を震動させる。

 予め〝動くな〟と警告したにも拘わらず、ユリアナはゆっくりと首だけ振り返り、訴えてくる。

 その瞳には涙が湛えられていた。


「こんなつもりじゃなかったの……」

「お得意の誑し込みか」

「そんなんじゃない……お願い、聞いて! 私はあいつに脅されていたの……」


 ユリアナは横目で暗闇の中に控えているギーヴを示した。


「私がソフィを殺そうとしたという話も嘘。本当はあいつに妹を人質に取られ、国を内部から操作するよう命じられていたの。ジルクに魔法を向けたのもあいつの命令……。それは本当にやってはいけないことだと分かっていたわ。でも……ソフィを助けたかったから……。ごめんなさい……ごめんなさい……」


 まるで子供のように泣きじゃくる。

 そんな彼女の姿を俺は冷めた目で見ていた。


「相変わらずの名演技だな。だが、嘘に嘘を塗り重ねたせいで話が破綻していることに気付いていないようだ」

「そんなこと言わないでっ!」

「……!」


 突如、ユリアナは強く叫びながら俺の方へと振り返った。

 その行動に驚く。


 脅しをかけているのは俺の方だ。

動けば殺されるかもしれない状況なのにも拘わらず、命を顧みず振り返った。


 正面を向いた彼女の顔は涙で皺くちゃ。

そこには、どことなく出会った頃の健気な面影があった。


「私が言うことは全部嘘かもしれない……。もう、何を言ってもあなたに信用されないことは分かってる……。それくらいの事をしてきたのだから……。でも……でも……これだけは本当のこと……」


 ユリアナは真摯な瞳で俺の顔を見つめてくる。

 そして――、


「私は……ジルクのことを愛してる!」

「……」


 彼女はそう言い放つと、俺の懐に飛び込んできた。

 思わず抱き止めそうになる。

 だが、次の瞬間――、


 ドスッ


 重たい感覚が腹の辺りを抉る。

 直後、ユリアナはこの世のものとは思えない声を上げた。


「ひ……ひひっ……ひひひひっ……ひゃぁっはっはっはっはっ! ほんと、馬鹿な人! こんなことで気を許すなんて!」


 彼女は服の中にナイフを隠し持っていたようで、更にそいつを俺の腹に抉り込んでくる。


「魔法が効かないのなら物理攻撃。冒険者なら鉄則よね? そんな事も予測出来ないのだから、やっぱりあなたは無能なのよ」


 楽しそうに語る彼女。

それがあまりにも滑稽だったので、俺は思わず笑みを漏らしてしまった。


「フッ……」

「……?」

「残念だよ。お前にも少しくらいは人の心があると思っていたのにな」

「えっ……」


 違和感を覚えた彼女は自身の手元に目をやる。

 そこでその顔が驚愕の色に変わるのが分かった。


「な……ど、どうして……刺さってないの!?」


 彼女が突き刺したはずのナイフは、俺の腹の表面で見えない障壁に阻まれ止まっていたのだ。


「自分の仲間のスキルを忘れたのか?」

「……? ……!」


 次第に彼女の顔色が青ざめてゆく。


「ま、まさか……無敗の盾オールディザブル……! そ、そんな……それはゲオルクの……。なんであなたが……!?」

「少し想像を働かせれば分かるだろ?」


 そう言い放つと、右手で彼女の喉元を掴み上げる。


「ぐっ……! な、何を……?」

「どうせ、お前は死ぬけどな」


 彼女の瞳が見開かれる。


「……!? や、やめて……お願い……!」

「今更、何を言っている。そんな命乞いが無駄であるのは分かっているはずだろ? 俺があの時、今のお前と同じように頼んだら止めてくれたのか?」

「や……やめたわ! 当たり前じゃない……!」


 その言いように虫唾が走り、俺は絞め上げる力を強めた。


「くぁっ……!!」


 苦しそうに藻掻く彼女を見ながら考える。

 どんな殺し方が彼女に相応しいかを。

 どうせなら彼女が最も嫌がり、恐れるようなものがいい。


「ん……そうだ、そうしよう」

「な、何……?」

「殺すのをやめたのさ」

「……」


 そこで彼女は一瞬、安堵したような表情を見せた。


「その代わり、お前が一番大切にしているものを奪ってやるよ」

「……!」

「お前が娘たちから精気を吸い取ったように、今度は俺がお前の精気を吸い尽くす。生き恥を晒せるよう死なない程度にな」

「そ、そんな事……出来るはずが……」


 俺は何も言葉を発さずに笑みだけで答える。

 それだけで彼女は察したようだった。


「いっ……いやっ! それだけはっ! 私の美貌はこの世の為にあるのよ!」


 彼女は拘束から抜け出そうと必死になって暴れる。

 だが、スキルで強化されている強靱な骸腕はピクリとも動かない。


 この状況で未だそれに縋り付くとは……途轍もない美への執念だな。


「そ……そうだわ! こんなこと、ホラスの民が黙っていないわ! 私に何かあれば民の怒りはあなたに向けられる!」

「本気で言ってるのか? この惨状を見た上でそんな事を言う奴がいると思うか?」

「……」

「もう終わりだよ、お前」


 そう宣告すると彼女の顔が引き攣る。


「ひっ……!? や……やめっ……!」


 己の欲望の為に必死に抵抗する彼女の姿を見ながら、俺は心底嫌気が差した。


 こんな奴……スキルを奪う価値も無い。


 俺は右手に意識を集中させる。


「エナジードレイン」

「……っぐ!?」


 途端、ユリアナの体が痙攣を起こしたように硬直する。

 彼女の体から生命力が抜け始めたのだ。


そのスキルは前にハボス大森林でエビルサーペントから奪ったもの。

対象から生命力を奪い、自分のものとするスキルだ。


 生命力を吸われた彼女の肌は次第に張りと艶を失い、干した果物のようになってゆく。


「あ……あぁ……」


 既にしゃべることもままならないといった感じ。

 そんな状態の彼女に俺は語りかける。


「そういえば、さっき俺のことを〝愛してる〟と言ったが、お前は覚えていないようだな」

「……?」

「俺を谷へと突き落とした時にも、お前は同じことを言っていた。〝愛していた〟……と。何が言いたいか分かるか?」

「あ……うあ……」


 ユリアナは皺の深い首をただ横に振る。

 それを見て、俺は吐き捨てた。


「言葉が軽過ぎるんだよ」

「……!」


 彼女の窪んだ眼窩が見開かれた時、骨と皮だけになった体がその場に頽れた。

 鮮やかだった金髪も光沢の無い白髪と化している。


「その状態では最早、以前のような魔法も使えないだろう。醜い姿を抱えたまま生きてゆくがいい」

「私が……醜い……? そんなこと……あるわけが……」


 ユリアナは嗄れた声で言い、疑い深く自分の顔を手で触る。


「無様だな。なら、現実を見るか?」


 俺はアイススピアの魔法を放つ。

 次の瞬間、へたり込んでいる彼女の前に一本の氷柱が突き刺さる。


 カットされた宝石のように、複数の滑らかな鏡面を持つ氷。

 ユリアナはその中の一つを覗き込む。


「こ……これが……私……。そ、そんな……有り得ない……こんなこと……」


 気が抜けたようにぼんやりと佇む彼女。

 そのうちに現実を直視したことが余程耐え難い苦痛だったのか、急に不気味な笑みを漏らし始める。


「うふふふ……馬鹿ね。そうよ、これが私なわけないじゃない。ふふ……ちゃんとした私を見せなさいよ、ほら、ほら」


 彼女は氷の表面を楽しそうに撫でる。

だが、そこに映るのはミイラのような醜い姿。


「ひぃぃっ!? 何!? この汚いの! 早くどけないさいよ! あっち行きなさいってば! 気持ち悪いっ!」


 氷の表面に素手を何度も叩き付ける。

 そのせいで手の皮が捲れ上がり、血だらけになる。


「そうか! そうよ! 汚いお前が私を隠したのね! 良かったー……。じゃあ本当の私はどこ? あ、きっとそこね? そこでしょ?」


 ユリアナは消えた自分を探すように、坑道の壁の隙間や地面を楽しそうに見て回る。


「うふふ……どこかしら? 出てらっしゃい。あはは……うふふ……」


その姿は、まるで草原で花を摘む幼子のようにも見えた。

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