第24話 跡を濁さず


「独り言だ」


 こちらも決まり文句で返す。

 それが長い間このスキルと付き合ってきた中で、一番無難な答えだと導き出していたからだ。


「そ、そうですか……」


 案の定、向こうもそれ以上は突っ込んでこない。

 大抵、変な人だと思われるくらいで済む。

だが、今回は少しばかり反応が違った。


「ありがとうございました。無理矢理この場所に連れてこられて……絶望しかなかったのですが、あなたのお陰で救われました。この思いをどう表現していいのか分かりませんが本当に感謝しております。ありがとうございます、ありがとうございます……」


 娘は何度も何度も礼を述べてきた。

 それだけゲオルクがしようとしていた事が酷いものだったのだろう。


 それにしても、こんなふうに人から感謝されるのは初めてのことだ。

 以前、アルバン達に偽りの礼を言われたことから、人から感謝されることに不信感があるが、さすがにこれは俺を騙そうとしているわけではないだろう。


「元々あいつに私怨があっただけだ。助けようと思って助けたわけじゃない」

「それでもいいんです。実際に私は救われましたから。それに、今回の事でネルキアの皆も救ったことになるんです」

「……ネルキアを?」

「皆、ゲオルクの退陣を望んでいました。でも、武力による圧力で誰も立ち向かうことが出来ず……その事を口にすることさえ憚られる状況にあったのです。それをあなたが退けて下さったのですから……」


 彼女は清々しい表情でそう言ってきた。

だが、その頬は赤く腫れていて、口元には僅かな血糊が窺え、痛々しさが残る。


「すまないが、回復系のスキルは持ち合わせていないんだ」

「えっ、あ……」


 彼女は、やや遅れてそれが自分のことだと気付き頬に手を当てる。


「いえ、いいんです。そんなに大した傷じゃないですから。それよりあなたのお体の方が心配です。あれだけ激しい戦闘をこなしてきたのですから……」

「いや、俺はなんともない」

「本当に? それなら良かったのですが……」


 真実、なんともないのだが、彼女は俺の右腕が気になるようだった。


「せめて、この破れてしまった服と手袋を直させて下さい。私、これでも裁縫は得意なんです」

「え……これを?」


 まさか、そんな所を指摘されるとは思ってもみなかった。

 ゲオルクの大斧を受け止めた際、その衝撃で手袋と右袖が完全に吹き飛んでしまっていた。

 今では白い骸腕が剥き出しになっているのだが、彼女はそれを怖がる様子も無く、服の心配をしている。それに違和感を覚えた。


「怖くないのか?」

「え?」


 目で直しのイメージを測っていた彼女は、質問の意図が骸腕にあることに遅れて気付く。


「ああ、そんなふうには思わないですよ。だって、この腕で私を救って下さったのですから。感謝はしても怖いだなんて……」

「そうか……」


 その反応に拍子抜けしていると、隣で見ていたリゼルも嬉しそうに言ってくる。


「私もその腕、格好いいと思うよ」

「おい、揶揄うのもいい加減にしろ」


 言い返すと、目の前の娘がきょとんとする。


「えっ?」

「あ……いや、なんでもない。こっちのことだ」

「はあ……」


 咄嗟に誤魔化した俺の側でリゼルが声を殺して笑っている。

 こいつめ……。


 それはそうと――、

 服を直してくれるのはありがたいが、今はそれよりも先にやらなければならない事がある。


「取り敢えずそれは後回しにして、外が暗い内にここから抜け出したい。そうでないと騒ぎになって後々面倒なことになりかねないからな」

「分かりました」


 納得する娘。その横でリゼルが何か気になることがあるようで、考え込むような仕草をしている。


「どうした?」

「えっとね……このまま脱出できたとしても、それはそれで大騒ぎになるんじゃないかと思って。領主が何者かに殺害されたとなれば、ゲオルクの次に地位の高い者が中心となって犯人の大捜索が始まりそうな予感が……」

「それなら大丈夫だ」

「え?」

「証拠となるようなものはなるべく残さないようにしたからな」


 リゼルは目をくりくりさせる。


「部屋の外に衛兵が二人いるだろ? そいつらにスキルを使って、こちらが意図した夢を既に見させてある。その内容は『ゲオルクが自分がしてきた行いに自責の念を感じ、その償いから灯明の油をかぶって焼身自害した』というものだ。これがただの夢ならなんの効果ももたらさないが、二人が同じ夢を見ていることで現場を目撃した際に、現実と夢の区別がつかなくなるはずだ」

「……」

「なにしろ、二人が訴える内容が全く同じなのだから、周囲もそれを信じざるを得ないだろう。もし、そうならなかったとしても、その衛兵二人が口裏を合わせているとして疑われるだけだ」

「そんな事まで……手配済みだなんて……」


 あまりの用意周到さ加減に、リゼルは言葉が出てこないようだった。

 そして、一連の会話を聞いていた町娘は、


「な、なるほど……そ、そういう手筈なんですね……」


 少し戸惑いながらも納得の表情を見せていた。

 どうやら俺の独り言の癖を許容してくれているようだ。


「まあ……そういうことだ」


 それとなく話をまとめて脱出の準備に取りかかる。


「じゃあ、すぐに行動に移るぞ」

「はい、でもどのように?」

「失礼」

「……え?」


 俺は意味が分からずぼんやりとしている娘の腰に手をやると、ひょいと肩に担ぐ。


「ええぇ!?」

「行くぞ」


 そう言ってリゼルに目配せすると彼女も頷く。


 そのまま廊下の突き当たりにある窓辺まで走り、その縁に足をかける。


「ちょっとだけ辛抱してくれ」

「そ、それって……どういう……?」


 困惑する娘をよそに、俺はスキルを使う。


 ――身体能力強化・脚! 強靱化・足!


必要なスキルを整えると、そのまま目の前の窓から飛び降りた。


「ひっ……!?」


 その時、娘はというと、

悲鳴すら上げることなく失神していた。


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