第2話 消えない恨み
骨が折れているのか? アルバンに踏みつけられた右手がジンジンと痛む。
それで俺は、まだ自分が生きているのだと理解した。
あれだけの高さから落下してなぜ助かった?
疑問に思いながら目を開ける。
すると薄闇ではっきりとは視認できないが、真下に谷底と思しき地面が見える。
どうやら壁面から突き出た何かに引っ掛かり、宙吊りになっているっぽい。
壁を伝って降りれば、なんとか着地できそうな高さだな。
その為にもこいつを外さないと……。
俺は首の後ろに手を回し、襟に引っ掛かる枝のようなものを掴んだ。
だが、その感触に違和感を覚える。
ん……なんだこれ? 木の枝にしては妙に人工的な形をしている。
細い棒にグリップがあり、ガードのようなものが付いている。
これって……剣じゃないか?
だとしたら、なぜこんな所に突き刺さってる?
気になって肩越しに振り返ってみる。
すると視界に入り込んできたのは白い物体。
その正体に驚愕する。
「ほっ……骨!?」
それは人間の骨だった。
まるでスケルトンのように全身が整った形で存在する骸骨。
その胸に剣が突き立てられ、壁に磔にされた状態になっている。
俺の体は、その骸骨を貫く剣の柄に辛うじて引っ掛かっていたのだ。
だがそれは見るからに危うい状況。
案の定、壁面の岩に亀裂が入る音を耳にした。
やばっ……!
そう思った時には遅かった。
俺を支える重みに耐えきれず、剣が抜け落ちたのだ。
「うおぁっ!?」
途端、俺の体は壁面を滑るように落下。
そのまま地面へと転がり落ちるも、なんとか受け身を取って着地した。
ふぅ……そんなに高くない場所で助かった。
それにしても、あんな剣一本で、あの高さからの落下を防げたとは思えないんだが……。
不思議に思いながら谷を見上げてみる。
直後、目を見張った。
崖の壁面に無数の骸骨が磔になっていたのだ。
数にしたら百は下らない。
皆、同じように胸を剣や槍などで突き刺され、吊されている状態だ。
俺は、これらに引っ掛かりながら落下の衝撃を弱め、最終的に最下部にあったさっきの亡骸に救われたというわけか……。
それにしても、なんなんだこれは……。
改めて磔になっている
大半が朽ちているが、骸骨達が身に付けている衣服や装備などから皆、冒険者であることが分かる。
突き刺さっている武器も自分達のもののようだが、冒険者同士で争ったのだろうか?
いや、こんな場所でそんな事をするとは考え難い。
そもそも争った所でこんな不可思議な状態にはならないだろう。
となると、考えられるのは、この谷に封じられているという邪竜に立ち向かい、返り討ちに遭った可能性。
それは推測でしかないが、遣り口からして同一の者の仕業だということは分かる。
しかし、何の為にこんな……。
鳥の中には捕獲した獲物を木の枝に刺し、食べずに放置する習性があるものもいるというが、これはそういった感じじゃない。
わざわざこれ見よがしに死体を磔にし、力を誇示している――というよりかは状況を楽しんでいるかのようにも見える。
ともあれ、こんな物騒な場所にいつまでもいるわけにはいかない。
出口を探さないと。
冒険者達が邪竜を討伐にやってくるということは、この谷に降りる為の別ルートがあるはずだ。そこを登れば地上に帰れる。
問題はこの峡谷があまりに長いことだ。
アルバン達のことだ、万が一を考えて登り口から離れた場所に突き落とすはず。
そうなるとこの広大な峡谷の中から出口を探し出すのは容易ではない。
しかし、やらなければここで野垂れ死ぬだけだ。選択肢は他に無い。
スピリット達の力を借りて、なんとかするしかないだろう。
「おい、誰かいるか?」
周囲にいるであろうスピリット達に問いかける。
だが、呼びかけに対して反応が無い。
生き物が死んだ際、その魂から何らかの理由で削げ落ちた、謂わば魂の欠片であるスピリットは、大気中であればどこにでも漂っている存在だ。
手に収まるくらいの大きさで丸い形をしており、半透明で、単純な感情表現ができるくらいの目と口が付いている。
普段であればこうして呼びかけるだけで二、三匹のスピリットが寄ってくるものなんだが……。
一匹もいない?
これまで一度として、そんな事は無かったが……この場所が特殊なのか?
なら
普通の人間には見えない
周囲にいる
「……!」
体の芯から怖気が湧き上がってくる。
これは霊体から感じるものではない。魔力から放出される――魔素だ。
おそらく、谷の上まで風に乗って運ばれてきていたものと同一のもの。
しかし、今ここで感じる魔素の濃さはその比ではない。
恐怖で体が硬直してしまうほどだ。
これほどまでの魔素に今まで気付けなかったのは、そのあまりもの濃さに神経が麻痺してしまっていたのだろう。
それが
人を萎縮させるほどの強い魔素を放つ存在。
それが背後に存在するのが視認せずとも分かる。
振り向くことも恐怖だったが、振り向かないこともまた恐怖だった。
俺は恐る恐る振り返る。
すると、暗がりの中に巨大なシルエットが浮かんでいるのが見える。
この圧倒的な威圧感。
間違い無い……こいつが例の邪竜……。
それが分かっていても体が動かない。多分、逃げても無駄だと本能的に理解してしまっているのだろう。
ドラゴンの長い首がゆっくりと垂れ下がり、俺に近付いてくるのが分かる。
その姿を目の当たりにした時、瞠目せざるを得なかった。
それは闇の中で幻のように白く光るドラゴンの――、
「骨……!?」
だったのだ。
しかもそれは頭部だけじゃない。その巨体全てが骨でできている骨ドラゴンだった。
これが噂の邪竜……?
想像だにしなかった姿に絶句していると、骨ドラゴンの白磁のような輝きを持つ鋭い牙が口を開ける。
「貴様、我の本当の姿が見えるのか?」
しゃべった!?
そもそもドラゴンは、あらゆる言語を解すとも言われているくらい知性の高い生き物なので、それ自体は特別不思議なことじゃない。
だが、骨がしゃべることには少々の違和感を覚えた。
っと――それより今は骨ドラゴンへの返答だ。
俺のやるべきことは無事にこの谷から脱出すること。
奴を下手に刺激すれば、簡単に命を奪われてしまうだろう。
だからここは慎重に受け答えをし、逃げ切る為のチャンスを窺う。
「本当の姿とは、その骨の体のことか?」
骨ドラゴンの眼窩の奥で赤い光が明滅する。
それは驚きの反応のようにも見えた。
「やはり見えているのか。面白い、そんな人間に出会ったのは貴様が初めてだ」
「初めて? じゃあ他の人間には、あんたの姿はどう見えているんだ?」
「肉体を持っていた頃の我の姿に見えているだろうな」
肉体を持っていた頃?
ということは、最初からその姿ではなかったということか。
骨ドラゴンは俺が言わんとすることを悟ったように語り始める。
「この場所に封じられ幾百年、肉体などとうに朽ち落ちてしまった。それでも忌まわしき呪いは解けず、我が魂を縛り続ける」
骨ドラゴンが体を動かすと、四肢を縛り付けている封印の鎖が闇の中で一瞬だけ光を放つ。
「だが、そんな事で我の魂とそこに付随する魔力が衰えることはない」
そう言って骨ドラゴンは地面に転がっていた冒険者のものと思しき剣に視線を向ける。
途端、その剣が宙に浮き上がった。
――魔力か。
浮き上がった剣はそのまま高速で真横に飛び、岩壁へと突き刺さる。
その壁には例の串刺しになっている冒険者達の亡骸があった。
「奴らは我が魔力で作り出した肉体の皮を見ているにすぎん。そんなものを見て怯えているのだから滑稽だ」
やはり、あれはこいつの仕業か……。
封印されていても尚、これだけの魔力を発揮できるのだ。並の冒険者では一溜まりも無いだろう。
その上、自らの武器で貫かれるとは、なんと屈辱的な……。
骨ドラゴンは再び俺に視線を向ける。
「おそらく貴様は魂そのものを感じ取れる力を持っている。そうだろう?」
「魂……」
それについては心当たりはありまくりだ。普段から霊魂を相手にしているのだから。
しかし、邪竜の真の姿が拝めた所で特に何かの役に立つというわけでもない。
「ふむ……無駄話が過ぎてしまったようだな。どうせ貴様も彼奴らと同じように我を殺しに来たのだろう? 身の程も知らぬ愚か者よ。期待はしていないが暇潰し程度には楽しませて欲しいものだな」
「いや、違うんだ」
「違う?」
思っていた反応と違ったのか骨ドラゴンは拍子抜けした様子を見せる。
そこで俺は谷底に落ちるまでの顛末を奴に話した。
全てを伝えると――、
「はっはっはっはっ、信じていた仲間に裏切られただと?」
峡谷が震えるほどの笑い声が響いた。
ドラゴンも笑うんだな……。
だが、裏切られた当人からしたらあまり楽しいものではない。
「そんなに可笑しいか?」
「いや、そういう意味ではない。我も仲間に裏切られたことがあったのでな、自身の迂愚さを思い出し、笑ってしまったのだ」
「え……」
それは意外な吐露だった。
「かつて我にも友と呼べる者がいた。だが、そいつに裏切られたことで、この地に縛り付けられ自由を奪われた」
「てことは、その友というのは……」
「ああ、我を封印した者――それは大賢者と呼ばれている人間だ」
「……」
まさか、そんな逸話があったとは……。
それにしてもドラゴンを騙すだなんて、その賢者も相当な肝の据わりようだ。
「この恨みは永遠の消えることはない。故に我は人間を嫌悪し、信用しない。それは貴様も同じ」
骨ドラゴンは静かに魔力を滾らせ、俺を睨み付ける。
やばい……。
逆に神経を逆撫でしてしまったようだ。
このままでは確実にやられる。
なんとかしなくては……なんとか……。
窮地を脱することに集中して思考を重ねる。
すると、俺の中に一つの希望が持ち上がった。
顔を上げると骨ドラゴンを見据え、ニヤリと笑む。
それに対し、奴は怪訝な態度を示す。
「どうした? 自らの死を目前にして正気を失ったか?」
「いや、そうじゃない」
「?」
「あんた、本当は話し相手が欲しいんじゃないかと思ったんでね」
「な、何を言っている? そんな馬鹿なこと、あろうはずがない」
一瞬の動揺――分かり易い。
「今はそうかもしれないが、かつては友と呼べる者がいた。ということは、あんたにその気が無いだけで対話は可能な相手だということが分かる」
「……」
「それにわざわざ人間への嫌悪を口に出して伝えるということは、逆を返せばあんたと同じ状況にある俺に共感して欲しい、認めて欲しいということの現れ」
「……」
「加えて、あの有様だ」
俺は岩壁に串刺しになっている無数の亡骸を視線で示す。
「向かってくる者に対しては、ただ倒すだけでいいのに、わざわざその死体をこれ見よがしに壁に並べ立てる。後から訪れた冒険者はその光景に恐怖し、戦くだろう。だが、それが例え捻じ曲がった感情であっても誰かに反応してもらいたかったんじゃないのか?」
「くくく……」
骨ドラゴンは肩を震わせ低い声で笑い始める。
「はっはっはっはっはっ」
それは次第に大きな笑いへと変わった。
「我を試そうというのか? 矮小な分際でよく言う」
骨ドラゴンは凜然とした姿で俺を睨む。
そこには強者の余裕があった。
失敗した。
この程度では、人間よりも遥かな時を生き、多くを知るドラゴンの心は揺るがない。
その心情に訴えかけることは出来なかったのだ。
俺は死を覚悟した。
その直後だった。
「面白い、気に入ったぞ」
「……え?」
意想外の反応が返ってきて俺は目を丸くした。
「貴様、名は?」
「ジルク……」
「我が名は
自分でそう名乗ったヴァニタスは、胸を張ると飛ぶ意味を成さない骨の翼を広げてみせる。
「ジルク、お前に我の力を貸してやろう」
「力を……?」
そう言われても、いまいち意図を掴みかねる。
そんな俺にヴァニタスは、さも楽しそうに語りかける。
「お前を裏切った奴らに――復讐したいと思わないか?」
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