第174話 魔王エルムグラム(2)
真上に掲げた手のひらから血色のベールが踊り狂い、部屋の隅々まで伸びたかと思うと、編み込まれた魔法陣が光りを帯びた。
すると、一瞬のうちに部屋の内装が跡形もなく消えて地面に変化し、縦横共に限界を感じさせないほど高く広く拡大していく。
一種の結界みたいなものか…………。
もはや帰す気なんて微塵も無いのだろう。
きっと彼女は、俺が壊れるまで遊び尽くすつもりだ。
「あははっ!じゃあ、いっくよぉー!!」
パリッとスパークした魔力が
「えいっ!」
そんな可愛らしい掛け声とは裏腹に、触れただけで相手を消し炭にするほどの魔力が込められた魔槍が元気よく放たれた。
初っ端からずいぶんと殺る気満々だなぁ、っと!
引き抜いた黒剣を盾にそれを斬り、思い切り踏み込んで滞空するエルムの元に飛び上がる。
「〈リジル〉!」
エルムの声に合わせて目の前に白銀の剣が顕現し、振り下ろした俺の黒剣とぶつかり合って甲高い金属音を奏でた。
ギッ、ギギッ………!と鍔迫り合いが続く。
両者一歩も譲ることなくせめぎ合い、互いに弾かれて距離を取る。
俺が仰け反っている間に、エルムの背後にはステンドグラスのように虹色に輝く魔法陣が形成。
放たれた火球の弾幕が視界を埋め尽くす。
「ぐっ、くっ!?」
重い。
一発一発がまるで鉄球を投げつけられているかのようだ。
弾き飛ばされながら空中で一回転して着地し、地面をがりがり削りながらなんとか体勢を立て直す。
が、いつの間にか懐に潜り込んでいたエルムと視線が交差した。
間一髪。
しかし勢いまでは殺しきれず、またもや軽々と体が浮かび上がった。
一体どんな腕力をしているのだろうか。
この
たが、俺に固まっている暇なんて無い。
首めがけて横薙ぎされた剣閃を背を仰け反らせて寸でのところで回避。
そのままバク転して地に足をつけ、渾身の突き技をお見舞する。
「くっ………!」
だがそれは予想されていたらしい。
残念ながら紅の魔力を纏った切っ先は空を斬り、続いて至近距離での剣技の応酬となった。
流派や型なんて関係ない。
ただ底なしの魔力を込め、一撃一撃に必殺の力を込めた暴力的なまでの剣撃。
狂気に溢れた血色の瞳が軌跡を残し、周囲の岩壁を粉々に粉砕しながら地上を駆け回る。
「おお………らああああ!!」
「あははははっ!!」
降り注ぐ岩石や岩の欠片を縫うように飛翔して、黒剣と白銀の剣が衝突。
バリバリと
これも重い………!
気を抜いたその瞬間に死が待っている、そんな感覚だ。
数秒の鍔迫り合いの後、なんとか弾き返して構えを取り。
奥義"紫電一閃"。
放電した紫色の剣閃がエルムを捉えるが、血色の軌跡が少し揺らめいただけで目立ったダメージは無し。
まだまだ!
立て続けに肘を肩の高さで引いた構えを取る。
一方、エルムもまた俺のマネをして同じ構えをした。
奥義"
純白と、この空とよく似た………しかしもっと濃い血色を纏った二つの剣が、まるで鏡合わせかのようにシンクロした動きで衝突し、耳障りな金属音を響き渡らせる。
威力は相殺されたものの、まだ攻撃は終わらない。
飛翔して二色の尾を残しながら何度も衝突し、その度に衝撃波を辺りに撒き散らす。
大地を、岩壁を、空間すら呆気なく崩壊させ、それでも尚止まることなく二つの剣がせめぎ合う。
さらに速度が増して閃光となった俺達を視認するのは、もはや不可能と言える域まで達していた。
その余波だけで周囲のものは大半が豆腐のように易々と砕ける。
バキバキと地面に亀裂を生みながら着地すると、巻き上がる砂煙を剣で払い、そのまま上段に振り上げた。
渦巻く純白が太陽のように光り輝く。
「はあ!」
気合いと共に振り下ろされた
大地は真っ二つ。
しかし、まともに喰らったはずのエルムは少し肩口が切れて血が垂れるだけ。
それさえも吸血鬼の特性であっという間に再生されてしまう。
……………いくら再生力が高くても、痛覚が無くなるわけでは無いはずだ。
だから痛いものは痛い。
それなのに。
むしろ元気いっぱい、歓喜に打ち震えてさえいる様子で。
バキッ!と地面が陥没。
次の瞬間には目の前にエルムが居た。
月をバックに、血のコウモリを身の周りに纏うその光景は非常に美しく、交差した深い血色の瞳には吸い込まれてしまいそうである。
────────油断大敵だ。
突然横から襲いかかって来た衝撃に反射的に受身を取り、弾き飛ばされてからすぐさま復帰した。
深紅の炎の剣。
先程まで使っていた白銀の剣はどこへ行ったのだろう。
今度のは彼女の背丈の二倍はありそうな巨大な炎の長剣だ。
一振する毎に灼熱の炎が踊り、それだけで地面を溶かす火の粉が撒き散らされる。
リーチが長い…………距離を取らないと────────。
しかし、それを許すエルムではない。
掲げた手から火球が放たれ、俺の行く手を遮る。
一閃の元それを切り伏せるが、生まれた一瞬の隙はエルムにとって十分すぎる時間稼ぎだ。
魔力の爆風が吹き荒れ、露になった上空では背を仰け反らせ思いっきり長剣を振りかぶったエルムの姿。
「あはっ!」と心底楽しそうな満面の笑顔で振り下ろされた紅蓮の刀身が俺を捉え、軽々と吹き飛ばして地面に叩きつける。
「がはっ………!?」
背中から問答無用で落下し、肺の中の空気が強制的に外に吐き出された。
いってぇ………!
くそっ、背中がジンジンする!
瓦礫に埋もれた体を動かし、背中の痛み以外何も支障がないことを確認してから起き上がる。
「すごい……!すっごぉーい!!あなた、全然壊れないのね!じゃあ〜………これはどうっ!?」
子供のように…………いや、実際に見た目は子供なのだが。
新しいおもちゃを目の前にはしゃぐ子供のようにうずうずした瞳で、深紅の剣と引き換えに真横に引いた掌には血色の魔力が渦巻いた。
「〈グングニル〉………!」
カッ────────!!
一筋の極光が世界に走る。
一拍置いて音すら置き去りにした魔槍の一撃が、地に突き刺さって巨大なクレーターを作り上げた。
放出されたエネルギーが光の帯となって空に踊り、遥か向こうの岩壁すら衝撃波で崩れ去る。
まさに一撃必殺。
ここが彼女の結界内でなければ、すでに一つ国が消し飛んだであろう。
普通ならこれで終わり。
むしろオーバーキルすぎて目も当てられない。
だが、まだエルムの目は爛々と輝いて、嬉々として頬は狂気に歪む。
「このっ………!一方的にやられて、たまるかっ………!」
ギリッと歯を食いしばりながら、矛先が目と鼻の先まで迫った槍を片手で握り締めて踏ん張る。
纏った魔力を全て放出しきったと言うのに、未だその輝きが失せない槍はカタカタ震えると、万力で締める俺の手を弾いて持ち主の元へ帰って行った。
あー、いってぇ………。
焼け焦げてプスプスと白煙が昇る左手をぐっ、ぐっ、と握ったり閉じたりしてみる。
上手く動かない。
完全に死んでるな…………いやまあ、ああでもしないと止まらなかったからしょうがないけども。
不老不死の影響で徐々に治りつつある手から視線を外し、厳つい槍を片手に終始笑顔の絶えないエルムを見上げる。
「あははっ!た〜のしい〜〜!」
ふんふ〜ん!と鼻歌を歌いながらくるくる踊るように空を舞い、エルムはひたすらにその喜びを享受する。
だけどまだまだ足りない。
そうとでも言いたいのか、ちょうど月と重なる位置でピタリと動きを止めたエルムが、再びバサリと両腕と翼を広げた。
「ねぇ、月はまだこんなに赤いよ………?あなたも、もっと私を楽しませてくれるよね?」
「おう、当たり前だ!」
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