ー灼夏ー ACT.11
あっついね
なつ
なつは あついから
なつい あつ
あつい あつ
あつ あつあつつつつつつつつつつ
―――
そう。日本の夏は暑い。もはや逃げ場などないほどに。
これはその事実を叩き込むための作戦だった。奴らの作り出した“理想の夏”とやらを否定し、不自然な軌道を描いて襲い来る台風を用いて聖域を吹き飛ばし、以て“令和の夏”の元に晒す作戦。上手くいったかといえば上手くいったのだろう。だが。
「いくらなんでも、効きすぎじゃねえか」
海上。島から数キロ沖。
そこに船が一隻。
エージェント・タコは前方から吹き付ける熱波をまともに食らい、全身を灼く熱に歯を食いしばった。いくら船のエンジンを吹かしても全速までスピードが出ない。凪いだ水平線の向こうには既に島の全景が見える。もう少し、あと少し……だというのに、それは陽炎のように歪み、来る者を拒んでいた。いくら“令和の夏”が暑いからとはいえ、島から放たれる熱気は湿式サウナのようだ。明らかに異常な事態が起こっているのはこの海上からでも分かる。
通信が入ったのが昨日。朝までに“表の港”に――そこまで聞き取れたから、タコはこうして船を出した。あれから約半日。ホトハラは、ニジノは、他のエージェントは生き残っているだろうか。あの灼夏の地獄と化した島で、とっくに燃え尽きてしまったのではないか。
もしそうだとしても。
「送り届けたからには、回収するのが……渡し船の船頭サン、ってもんだからな」
彼は以前の作戦でも数多のエージェントを“夏”に送り込んできた。そういう任務を負ってからずいぶん長い時間を過ごしてきた。さながら三途の川の渡し守カローンのようだ。自分より若いエージェントを何人も送り込み、そして帰ってこなかった者も多い。自分はいつか地獄に落ちるだろう。けれど――どうせ地獄に落ちる身ならば、少しでもマシな地獄に落ちたい。だからこそ彼は船を出す。
一瞬でホカホカの“お手拭き”になってしまった濡れタオルを汗を拭い、タコは姿勢をかがめながら船のスロットルをさらに開けた。エンジンが悲鳴を上げる。
もう少し。あと少し。
―――
一方。
一匹の蝉が、路上で死にかけていた。長くは持たないだろう。熱せられたコンクリートの上で仰向けになったまま……時折、足がゆっくりと動く。
やがて蝉の腹部がもぞもぞと蠢きだす。
そこから小さな芽が生え、極小サイズの可愛らしい向日葵が一輪咲く。
そして――駆けてきたクモカワのブーツが、その向日葵を蝉ごと踏み潰した。
「急げ!」
エージェント・タコが港へと向かう頃……ホトハラ達も未だこの地獄で足掻いていた。夜が明け、気温はさらに上がっていく。このまま昼になれば、今度こそ常人の耐えられない“夏”が島を覆い尽くすだろう。
高みから眺める限り、港にまだ船は来ていなかった。
「まだ来てないってことは間に合ったのか、それとも、もう行っちまったのか」
「どちらにせよ我々は港に行くしかないだろう。奴らとの決着もついていない」
「アンタは……もう“大佐”を討って役目を果たしたんじゃないのか?」
「もう一つ任務が残っている。“仲間を救う”。それがまた果たされていない」
「そういや、そうだったな」
ホトハラは水筒の中身(ムーアからもたらされた水だ)に残った一滴を含み、そのまま水筒を投げ捨てる。
「……なあ、ホトハラ。何も、ここまでしなくても」
「や。こっちのほうが早いんで」
彼は背負っていたバックパックも捨て。代わりにエビナを背負っていた。長く軽装で歩き回っていたエビナの足は既にボロボロで、まともに歩くことすら困難だったからだ。
「バックパックより、センパイのほうが軽い」
「ボクは誉められてるのか、情けないと思うべきなのか」
「気にしなくていいんじゃないスか。“仲間”なんだし」
まだいた
三人は集落を抜け、一気に表の港まで駆け寄る。
やがて――ぞわぞわとした不快感が彼らの第六感を刺激した。道端から。廃屋の陰から。あるいは地中から――不快感の発信源が、あちこちから這い出てくる。
「全てのものは港に集まる。全てのものは――生者を逃すまいと求める」
かつてはヒトだったもの。夏に誘い込まれ まだここにいる そして変質したもの。夏の生み出した“成れ果て”。巫女の祈りによって異常活性し あとはきみたちだけ 猛暑に灼かれ溶けかけた哀れな“モノ”。何かに ねえ かき立てられるように。何かに おにいちゃん 囁かれるように。
どこからともなく現れた成れ果て達は三人を追いかける。まだ“夏”になっていない生者を追いかける。何かに突き動かされて追ってくる彼らの念に悪意はない。ただあるのは純粋な好意のみだ。この素晴らしい“夏”の一員になって、永遠の時を穏やかに過ごすために。
なかまになろうよ
「冗談じゃねえ」
ホトハラが呻く。それを合図に、背負われたエビナがホルスターから9mm拳銃を抜き、追ってきた成れ果ての一体を撃ち倒す。
「後ろは頼みます」
「うん」
排莢されて宙を舞う真鍮が朝日に照らされ、キラキラと光る。
あるものは異常増殖した四本の足を器用に動かして追ってくる。あるものは二体が熱着し、歪な二人三脚のように駆けてくる。あるものは猛暑に耐えきれず、転び、そして溶けていく。悪夢のような肉の塊が――三人を追う。
ここはははははははははははははははは
いいいーーーーーーーーーーーーーとこーーーーーーろー
だから
「あ。センパイ。ちょっと口閉じて、舌噛まないようにしてください」
「何で?」
目の前に、石垣の段差。
クモカワは急停止し、素早く後方へとカービン銃を構える。
「先に行け」
「おうよ」
ホトハラはエビナを背負ったまま、跳躍した。
―――
目の前には開けた海。
そして、水平線。
あの海の向こうから、自分達はここに来た。
後は、ニジノを拾って帰るだけだ。
―――
もうかえるの
どうして?
まだなつはおわってななななななないのににににに
なつやすすすすみみみみみみみは
ままままままままだだだだだだだだだだ
おわってない
から
―――
古い港町。
あちこちヒビだらけのコンクリート。堤防に括り付けられた緩衝用の古タイヤ。千切れた係留ロープ。朽ちた網。かつて漁師の集っていた市場。定期船の待合所痕。
ここには人々の営みがあった。地元の漁師、そして週一で来る定期船からの日用雑貨によって、民宿や商店に彩りが添えられた。荷物と共に訪れるのはたいてい他から来た漁師や郵便配達の職員ばかりだったが、夏になるとさらに増えた。かつてここに住んでいた者。その子供。親族。多くの人間が訪れ、ここで一夏を過ごしてきた。日常から離れ、吹き抜ける爽やかな海風に包まれながら、穏やかな時を満喫した。年に一回の祭りの日は皆が集い、神に豊漁と自然の恵みを祈願した。毎年それらは繰り返され、人々の大切な思い出となった。
それも今は昔。かつて昭和だった頃。今はもう、記憶の中だけの話。ここにもう人間はいない。過疎化によって島民達はこの島を捨てた。それが十数年も前のことだ。
人々のいなくなった島は急速に朽ちていく。営みは過去に消え、記憶の隅に残るだけになり、そこに住まう神も忘れ去られ……後はただ残骸だけが残った。
だから――“それ”はここに来た。
“夏”といえば海……だから。
こっちに
「さァて」
灼けたコンクリートの上に っちにおいで ホトハラはいくつかのものを置いた。バックパックは置いてきたが、これらだけはと回収していたものだ。
ひとつめ。ウォークマン(1982年製WM-2)。電池の容量が不安だが、数十分くらいは持つだろう。音量ツマミを最大まで上げる。
ふたつめ。9mm拳銃とM1カービンの予備マガジン。武器はこれで全部。やはり残弾数が不安だが、尽きたらその時はその時だ。
みっつめ。モノラルミニプラグ接続の古いスピーカー(年式および型式不明のaiwa製)。動作確認が不安だが、構造がシンプルなのでおそらく動くだろう。
よっつめ。例の黒い石版。手に触れると こっちにおいで また変な声が響いた。ホトハラは激しい頭痛に苛まれたが、なんとかその声を無視する。
「あのバケモノ女は……オレ達もそうだが、コイツも一緒に狙ってるんだろ」
「間違いないだろうな」
「あ、ホトハラ。もうちょっと位置を変えたほうがいい」
エビナは地面に置かれた石版を足で蹴り、スピーカーの傍に寄せた。
「この位置なら音が共鳴する。材質が材質だから、うまく響くはずだ」
「……センパイ、嫌がらせが上手いッスね」
「ボクだってさんざんやられてきた。本当なら踏み割ってやりたいくらいだけど」
こっちちちちちちちち にににに おいでででででで
「うるさい」
エビナは苛立ち紛れにもう一度石版を蹴り飛ばす。黒曜石のような光沢を放つ石版。願望機――のフリをした何か。ここに来る人々に囁きかけ、誘い込むアノーマリー。材質も正体も不明なれど、おそらく“夏”にとって大事なものをもたらすアンプのようなもの。
「だから、これを文字通りのアンプとして使う」
―――
間もなく奴らはここに来る。“アレ”も、ニジノも、おそらくムーアも。
「背水の陣、だな」
カービン銃の作動確認を行いながら、クモカワは言う。
「なあクモカワ。アンタ、本当はもう、とっくに正気に戻ってんじゃねえのか」
「上官への軽言は厳に慎め、と言ったはずだ」
「はいはい」
三人にもう逃げ場はない。
作戦の内容はシンプルだ。襲い来る“夏”どもを迎え撃ち、ニジノ達を助け、船の到着を待ち、島から脱出する。
「全部上手くいけばオレ達の勝ち。一つでも上手くいかなきゃオレ達の負け」
「戦場に絶対はない」
「ンなこたわかってるよ」
「だが可能性は引き寄せることができる」
最終任務――耐えて、生き残れ。
「やってやろうじゃねえか」
決意と共に、ホトハラはウォークマンの再生ボタンを押した。
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