ー灼夏ー ACT.12
猛暑の夏空にEDMが響く。
穏やかでのどかな、古き良き昭和の面影が残る島の港に、ダンサブルな電子音楽が高らかに響いている。
情緒を解さないもの。
情緒を破壊するもの。
かつての作戦で使われた伝統的な抗戦方法。効果があるのかは未だ不明。なれど、少なくともこの“夏”の雰囲気には飲まれずに済む。
ホトハラはポケットに残っていた向精神薬を噛み砕き、水なしで飲み込む。
「アゲてこうぜ」
その手には、錆びて朽ちかけたバス停の看板。
その目には、徹底抗戦への決意と覚悟。
視線の先に映るのは、溶けかけた“夏”の成れ果て達。その数およそ――。
「……数えるのもバカバカしいな」
ここここここちちちちちちちちににににににに
おおおおおいいいいいいいででででででで
EDMの重低音を受けて“夏”がもたらした石版がビリビリと振動する。何の意味があるのかはやはり不明だったが、嫌がらせとしては多少機能しているようだ。
スネアロールの間隔が加速し、ビルドアップパートが作り出されていく。
こっちに おいで
ブレイク――そして、ドロップ。
それを合図にホトハラが駆けた。高揚感を纏い、一直線に成れ果ての群れへと飛び込んでいく。錆びたバス停看板(おそらくは何かの“夏”概念をもたらすアノーマリーであろう)は、今やホトハラの武器としてのみ機能している。看板部分は鈍い刃先となって成れ果ての脳天を引き裂き、土台部分は鈍器となって成れ果ての脚部を横凪ぎに破砕する。振るうたびに全身の筋肉が悲鳴を上げる。極限状況下の闘争。明らかに寿命が縮んでいくのを本能が警告する。それでも――少しでも止まれば、熱波と共に襲い来る“夏”に飲み込まれてしまう。だから戦う。戦わねばならない。
背後から迫っていた成れ果てが、股下から顎にかけて裂けた“大口”を広げた。拷問具じみた無数の歯が、まさにホトハラを噛み砕かんと襲い来る。
「ホトハラ!」
その口に、後方のエビナが放った数発の9mm弾がリズミカルに叩き込まれる。血を吹き出した口の内部を埋めるように、すぐさま大量の向日葵が銃傷から萌芽せんと蠢き出す。その隙を見逃さず、ホトハラは身体のバネを全力で使ってバス停看板ブレードを頭部へとフルスイングする。勢い任せに首を刎ねられた“大口”の成れ果ては活動を停止し、膝から崩れ落ちた。
狙い澄ました照準から一瞬だけ目を離したクモカワが唸る。
「示し合わせたわけでもなく、見事なものだ」
「射撃だけはちょっと自信がある」
「それだけではないだろう」
「まあ……ボクは、ホトハラのことが好きだからさ」
「そうか」
「あいつはそこまで気付いてないかもしれないけど、少なくとも信頼はしてくれてる。だから今はそれでいい。それに応えてる」
彼には届かないほどの小声。呟いたその独白を自分でかき消すように、エビナは続けて支援射撃を行う。拳銃のスライドが引ききったタイミングで、さらにその後ろからカービン銃の銃口が光る。乾いた音と共に、30口径ライフル弾が正確に成れ果てを撃ち倒す。
なかmmmmm n イ なrrr う y お
さらに這い寄る成れ果てを叩き潰し、ホトハラは叫ぶ。
「うるせえ! 仲間ならとっくに間に合ってンだよ!」
―――
「ねえ、■■■■ちゃん」
なあに
「私。あの人達、知ってる」
そうなの
でも
「でも?」
―――
ホトハラはさらにバス停看板ブレードを振るう。空いた左手で成れ果ての頭部を鷲掴みにし、コンクリの防波堤に押しつけ、摺り下ろす。
港町が、血にまみれていく。
カニエやガトウのように、島の者と実際に交流があったわけではない。それでもほんの数日前まで彼らはここにいた。それはよく分かっている。集落に。港町に。彼らは穏やかに笑い、日々を過ごし、“夏”を満喫し、来る者を温かく歓迎していた。現代の都会暮らしではもう見ることもないだろう、楽園の住人達。
ホトハラはバス停看板ブレードを振りかぶり、そんな彼らを殺す。成れ果てと化した彼らを叩き割る。EDMの派手なリズムが後ろめたさと恐怖を上塗りする。
斬っても潰しても、奴らは次々と襲い来る。だから。
ひゅん、と風を切る小さな音がして、目の前の成れ果てのこめかみから血が噴き出した。だが頭を撃ち抜かれてなお“それ”は激しく動き、ホトハラに牙を剥く。
刹那、“それ”と目が合った。黄色と黒にぎらぎらと光る異様な瞳の奥――ホトハラはそこに、どこか優しげな視線を見いだした。
――ああ、こいつらは。
――本当に。“仲間”だと。
――ただの善意で。
咄嗟に、ホトハラは視線から目をそらすように姿勢を屈め、バス停看板のコンクリ土台を下からすくい上げるようにして打つ。顎下から大質量を叩きつけられた成れ果ての頭部が弾けるように粉砕された。
飛沫いた血液がホトハラの全身を汚す。
――バカか、オレは。
隙を見せたら終わり。一瞬でも止まったら終わり。今はただ戦え。もし自分が倒れれば、エビナが襲われる。この任務も失敗になる。何もかもが無駄になる。余計なことを考えるな。ただ戦え。“仲間”を守るために。
かつて――彼の姉がそうしたように。
ぐんぐんと上がる気温で、意識が朦朧としてくる。
成れ果て達の身体も、その形を保てなくなってきている。
奇妙な呻き声と、そこに混じる乾いた銃声。肉と骨が砕ける音。
一匹。もう一匹。ヒトであったのかどうかすらも分からない何か。
楽園の住人達が次々と崩壊していく。崩壊したまま襲い来る。
この島はもう終わりだ。“理想の夏”は熱波によって溶け、ぐずぐずになる。
「うぉおおおおおああああ!」
ホトハラはさらに叫び、身体を奮い立たせる。そんな闘争を彩るEDMもいよいよ最高潮を迎え――やがてアンプと化した石版にうっすらと小さなヒビが入り始めた。
―――
いたっ
―――
ねえ
あのひとたちと わたし
わたし なつ
どっちが すき?
「うーん」
―――
「どっちも」
―――
そして。
三人以外に、動く者はいなくなった。
と同時に、EDMを奏でていたスピーカーがキュルキュルと異音を放ちはじめた。ウォークマンの中にあるカセットテープが巻きついてしまったのだろう、ギュ、と何が絞まるような音がして、それきり音楽は止んでしまった。
フェス終わりのように静寂の戻った港町は、今や凄惨な現場と化した。
ホトハラは肩で息をしながら、顔についた返り血を手の甲で拭う。鼻をつくのは血の臭い――というより、湿気った腐葉土の濃い臭いだ。
これらは“夏”が生み出した怪物。
あるいはかつて“夏”に取り込まれ変質した人間達。
一体、どれくらいの数を屠っただろう。ようやく正気に返り、脳裏に浮かんだ考えをホトハラは隅に追いやる。
いや。正気になるのは後だ。後悔するのも後。それに――どれだけ後悔しても――帰れば“処理”される。こんな地獄のことなんて忘れて、日常に戻ることができる。
もっとも、無事に帰ることができれば、の話だが。
「……まだ船は来ないンすか」
「そうみたいだ」
「となると、先に来るのは」
「うん」
ホトハラとエビナは顔を見合わせ、それぞれの得物を持つ ははは 手に力を込める。長時間の滞在によって ふふ 彼らの神経は少なからず“夏”の空気に同調されていた。だから分かる。だからこそ分かってしまう。全身が警告を きょうもいいおてんき 発するほどの、この気配は。
「お待ちかねのラスボス、ってやつッスかね」
果たして“二人”はゆっくりと近づいてきた。傍目から あはははは 見れば仲睦まじい姉妹にも見える。彼女達は でも コンクリートの防波堤に沿うようにてくてくと歩き、お喋りしながらやってくる。そして二人が歩いた後ろでは、大量の向日葵が なんかへんだね コンクリートを突き破って生えてきていた。
「あっ、ホトハラさん、おはよう! 今日も“夏”らしい、いい天気だね」
「……」
「……どうしたの?」
朗らかに笑うニジノとは対照的に、ホトハラ達三人の目線は厳しい。
あっつい なつ
ホトハラが一歩前に出る。
「ニジノさん。アンタだって、とっくに気付いてんだろ」
みんないなくなっちゃった
「なにが?」
こんなに あついのは
「ここは“理想の夏”の楽園なんかじゃねえ。そしてアンタはその異常な体質を利用されて送り込まれた。……で、目的通り、この“夏”はブッ壊れた」
ほんとうに なつ?
「……」
「もうここはとっくに終わってる。後は焼き尽くされるだけだ。それを気付いていて、気付かないふりをしてる」
しってるよ
「しってる」
こんな あっついのは
なつ じゃないよね
「そうだね」
ニジノに手を繋がれた白ワンピースの少女が笑う。
麦わら帽子に隠れた目線の下、小さな唇が微かに動く。
まだdddddddd おわっttttえなiiiiii
「だから もう一回」
だから もういっかい
「「ここにいるみんなで“夏”をつくろう」」
凄まじい熱を孕んだ海風が麦わら帽子を巻き上げる。
帽子の下から現れたのは少女の顔ではなく、触手の群れ。
無数のドス黒い触手が、まるでウミユリのように花開いている。
後ろに生えていた向日葵たちが一斉に枯れ、項垂れる。
向日葵の養分が、すべて白ワンピースの少女の元へと集まっていく。
「テメェの正体は分かってんだ! 逃げようったって二度はねえぞ!」
ニジノを奪い返すべく、ホトハラが駆けた。正面から振り伸ばされる触手をバス停看板ブレードで叩き切る。足元を這う触手は、クモカワのカービン銃によって制圧される。
にげないよ
「この島にいるのは、もう私達しかいないんだよ」
「帰るぞ、っつってんだよ!!!」
かえっちゃうの?
振りかぶったバス停看板に触手がまとわりつき、ホトハラの手から強引に引き剥がす。さらに凄まじい力に振り回され、大柄な身体が吹き飛んだ。
「ホトハラ!」
我が身も省みず、エビナが飛び出す。
その華奢な身体にも容赦なく触手は絡みつく。
「んっ……んぐっ!」
触手がうねり、口の中にまで入り込む。
「センパイ!」
エビナを助けようとホトハラが起き上がる。その先を制するように触手が打擲され、再び彼は倒れ込む。
あれ?
二人を制した触手の群れは何かを探すように這いずり回る。
ひとり いない
さっきまでいたはずの、あの男が――。
「――ジェロニモぉおおおおおおお!」
その瞬間、大型のナイフが一閃され、触手のうち数本が切り落とされた。いつの間にか背後に回り込んでいたクモカワは意味不明の文言と共にナイフを振り回し、ぎらついた目つきをニジノ達に向ける。
「そうか! そういうことか。ナムの狂気はここまできたか。これが現実であれ夢であれ、しかし我々は勝たねばならない。勝って生き抜き、そして悪しきベトコンどもの包囲を――ぐっ」
背後からフルスイングされた大型の触手が後頭部にヒットする。
「……ムーア特技兵。この島は……この戦いは、地獄――」
狂気は狂気を上書きできるが、身体能力はその限りではない。クモカワはここにいないたった一人の部下のことを慮するように呻き、気を失って倒れた。
―――
そう
やっぱり この なむ は
じごくだぜ
―――
瞬く間に三人を制圧し、少女は再び元の姿に戻る。
否。戻りきれていない。“理想の夏”が崩された今、異常な高温によって少女はヒトの姿に戻れなくなっている。白ワンピースから伸びる触手の群れによって、かろうじて人型を保っているにすぎない。
それでも――傍らのニジノはまだ穏やかに笑っていた。
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