ー灼夏ー ACT.10

 ガトウの周囲に、無数の向日葵。生えては枯れ、生えては枯れ。目の前に咲いたそれをガトウは太い腕で薙ぎ払う。無残に散った花びらが、幻想的な黄色い花吹雪を舞い上がらせる。


「どうしてカニエさんが出てくるのかな? ヒュウガくん」

「どうして私達の邪魔をするんだろうね? アオイちゃん」

「不思議だね」

「不思議だね」

 ガトウの表情は何も変わらない。ただ両肩の巨大な向日葵だけが、嘲笑うように揺らめいている。


「だって、ねえ」

 黒と黄色。マーブル模様の瞳を輝かせながらカニエは呟く。

「あの子が、私に“いっしょうけんめい”なお願いをしてくれたんだもの」

 優雅な仕草と共に彼女は手を振り上げる。周囲にいた向日葵頭の子供が全身を震わせると、コンクリートの地面を突き破るように新たな向日葵が咲く。それらは触手のように蠢き、ガトウの足元をめがけて襲いかかる。

「そんな」

「理由で?」

 ガトウは足元に伸びたそれを踏み潰し、咆哮する。向日葵と向日葵同士がぶつかり合う。超自然の、常軌を逸した、例えようもない、奇妙な戦いがはじまった。

「私は、私の思うのままに動いているの。それは貴方達も一緒じゃなくて?」


 夜明け前。気温は既に三十七度。

 やがて陽が昇れば、再びこの島は灼熱の地獄と化すだろう。


「――この島では、それが当たり前のこと」


―――


「なァんであの女がこっち来てるんだよ!」

「使えるものは使う。利するものは利する。戦場の基本だ」

「意味分かんねえ。いや、この島に来てから意味分かんねえことなんか色々見てきたけど、今回ばかしはもっと意味分かんねえ」

「……」

「あと、その……センパイはセンパイで、オレが死ぬ気で引きつけてる間に、なんでそんなピッチリした格好に着替えてんのか……そろそろ教えてくれていいッスかね」

「ぜったい、やだ」


 まあ、だいたい、予想はつく。


「この隙にオレ達は逃げて港へ」

「いや、我々は大佐の手綱を握るカギだ。ここで逃げるわけにはいかない。どちらが勝つか――少なくとも、決着がつくまでは居なければ」

 厳密には、カギになるのはホトハラでもクモカワでもなく、エビナだけだ。さりとて、ここまで来てエビナ一人だけを残していく、という選択肢もホトハラにはない。自身にしか為し得なかった功績を前にして、エビナは複雑な顔をしていた。そしてそれはまた、クモカワ自身も同様だった。彼は彼なりに、カニエに対して思うところがある。


 筋肥大したガトウの戦法が腕力(および両肩の向日葵から射出される硬質の種子)なら、カニエの戦法は“異常活性”である。生えて枯れ、生えて枯れる無数の向日葵が、ガトウに襲いかかる。

「もし“あんなもの”がこっちに向けられてたら……オレ達、とっくにあのクソ花の養分になってたな……」

 ホトハラはそう呟いて苦笑いする。しかし目は笑っていない。

 だが状況はやや劣勢だ。ガトウの体力もまた無尽蔵であり、そこら中に生えた向日葵を芝刈り機の如く次々と刈り取っていく。コンクリートの地面はもはや穴だらけのクレーターのようだ。二人が暴れ回るたびに、土と草の匂いが満ちていく。


「どうやら大佐は劣勢のようだな」

「……」

 その一言に、エビナは眉をひそめる。

「もう一押しと言ったところか」

「ホトハラ」

「なんスか」

「耳、塞いでて」

「なんで」

 エビナは疑問に答えない。言われるままにホトハラは両手の指で耳を塞ぐ。

 サイズの合っていないシャツと短パン姿(それは子供用にしては大きく、成人用にしてはあまりにも小さすぎた)のエビナが震える足を一歩前に出し、怪物と化したガトウとエビナの間に近づいていく。クモカワはカービン銃を構え、不測の事態に備える。

 歩み出たエビナは細い肩を数回揺らす。おそらく深呼吸をしているのだろう。

 そして――。


「―――、―――――!」


 何かを言った。何か――エビナが、おそらく他人に聞かれるのを、自らの人生においてこれ以上ない屈辱と捉えるような――そんな言葉を。


 そして――その台詞を受けて、カニエが再活性した。


―――


 乱れ散る黄色い花吹雪のむこうで、カニエが笑う。


「聞いた? あの、とっても可愛らしいことば」

「……」

「さっきあの子が私に言ってくれたのよ。これが終わったら何でも好きなコトしてあげる、って。だから私はこうしてるの」

「……」

「この島ではみんなが望むまま。何も我慢なんてしなくていい。みんなそうしてる。だからここは理想の夏、理想の田舎……そう見えるけれど、そんなに良いものじゃなかった。結局、自分の欲望をエサに“あの子”が作り出す向日葵だらけの空間に封じ込められて、ここが理想郷だと信じ込んだまま囚われている」

「……」

「みんな仲良し――に見えて、実際は誰も他人なんて気にしていない。まるでおままごとみたいに役割を与えられて、それっぽい暮らしをして、それが幸せで理想だと思っているだけ。私もそうだったわ。だから祭りの手伝いもしたし、ニジノちゃんを巫女――依り代に推薦したりもした。今となっては逆効果だったけれどね」

「……」

「で、そのうちに気付いたのよ。台風が来て“夏”がメチャクチャになって、それでようやく気付いた。もう“夏”のおままごとに付き合う必要なんてないんだって。だから私も好きなようにした。せっかく見つめた“前の子”は期待外れだたけど――でも代わりに“あの子”が来てくれた」

「……」

「だからね。私はこの後が楽しみで楽しみで、もうたまらないの。例えこの島の“夏”が終わってしまっていようとも。あの子と一緒に暮らして、好きなように舐って、好きなように着せ替えをさせて、好きなように奉仕させて、好きなように弄んで、好きなようにイタズラできたら――私にとってはそれだけで充分。だから私はそのためなら何でもする。役割なんてもうどうでもいいわ」


「それはダメだよカニエさん」

「■■■■様のためにならないよ」

「■■■■様は望んでないよ」

「■■■■様はみんなで仲良く――」


「ゴチャゴチャうるせぇんだよクソ花ァ。アタシはテメェになんか聞いてねえんだよ」


 ガトウの両肩から種子の散弾が放たれる。

 カニエの周囲に一瞬で向日葵の防壁が出現し、散弾を防ぐ。

 花々や茎が無残に千切れ飛び、残っていた向日葵頭の子供達が倒れる。役目を終えて力尽きた取り巻き達は、猛暑に晒され即座に枯れ落ちていった。

「でも、ガトウくんも災難ね。いえ、ある意味、願いは叶ったというべきかしら。何も考えず、穏やかな暮らしを続けていたい……そういうのが望みだったんでしょう?」

 完全に散弾を防ぎ切れたわけではなかったのか、カニエの身体に銃創じみた傷が残る。黄色と黒と緑の華やかな彩りに、血の紅が滲んでいく。


「――隊長」


 その時。完全に乗っ取られていたはずのガトウが、口を開いた。


「あら。お目覚め?」


「なんで?」

「なんで?」


「俺は」

「うん」

「確かに“日常”を望んでいました。忙しい暮らしに疲れ果てていて、その隙を“夏”に突かれた。そしてそれは、無事に叶ったように思えた」

「ここに来てから、顔つきが丸くなったものね」

「最初はこの“夏”に飲み込まれまいと抗っていました。けれど、正気と狂気の狭間で、俺はこうして飲み込まれました。それからは――のんびりと釣りをしながら穏やかな日常を過ごして――舞丁荘に行けば隊長がいて。それだけが心地よかった。それだけで良かった。祭りだって無くても良かった。俺は隊長に巫女になってもらいたかったんです」

「ニジノちゃんを巻き込むべきじゃなかったわね。そうすれば変わっていたかもしれない。今さら遅いけれど」

「俺は、エージェント・カニエという人間が好きだった。この島で、一緒に暮らせていけば……この“日常”はもう少し華やかになる、と思っていました」

「そう」

「はい」

「気持ちは受け取っておくわね、ガトウくん」

「……」


 巨体がびくんと跳ね、ガトウの意識は喪失した。


「意識なんて消したと思ったのに、不思議だねアオイちゃん」

「まだ抵抗するなんて、予想外だったねヒュウガくん」

 目を覚ましたガトウの意識を再び上書きしたらしい。

「「せっかく、便利な“養分”だったのにね」」


 カニエの足元に、ぽたりぽたりと血が落ちる。


―――


 対峙したまま動かなくなったガトウとカニエの二人を、ホトハラ達は固唾を飲んで見守る。


「あの二人、今、何を話していた?」

「わっかんねえよ。ゴボゴボ言ってやがった。もうオレ達には理解できねえ言語だ」

「何か、ボクにとってはすごくおぞましい言葉だったような気がするけれど……」


―――


 果たして、先に動いたのはガトウだった。

 ガトウを操る二輪の向日葵――ではなく、ガトウ自身が。


「え?」

「は?」


 自分の身体を抱き抱えるように、互いの豪腕を左右の肩に回す。常人の何倍もある掌が、両肩に生えた忌まわしき向日葵の茎をしっかりと掴む。その手に、力がこもる。


「何してるのかわかる? アオイちゃん」

「何してるんだろうね? ヒュウガくん」


 みち。みちちちちち。ぶち。みちち。みち。


「「たぶん」」

「「引っこ抜――」」


 ぶち。


 向日葵を引き抜いたガトウの両肩から、鮮血が吹き出す。引き抜かれた向日葵は意味不明の奇声を上げ、そこら中に種子の散弾を射出する。

 クモカワは素早く伏せた。ホトハラは駆け出し、エビナをかばうように倒れ込む。三人の頭上を致命的な散弾がすり抜けていく。

 直撃したのはガトウとカニエの二人である。身体中を種子が引き裂き、花火のようにぱっと赤が散った。


 そして――。


「……」

「……」


 頭部を散弾に抉り取られたガトウは膝をつき、息絶えた。

 カニエは頭部こそ無事だったが、全身が真っ赤に染まっていた。


 びちびちと跳ねる二輪の巨大向日葵の元に近寄り、カニエは一輪ずつ丁寧に踏み潰していく。何か罵倒の声が聞こえたような気がしたが、そんなものはどうでも良い。

 血塗れのカニエはやがて三人の――というより、エビナの――方に向き直り、笑みを浮かべる。

「終わったわ、エビナちゃん」

 よろよろと立ち上がるエビナを見ながら、カニエは襲いかかるでもなく、優しくそう呟いた。

「あら。膝が擦り剥けちゃったのね」

 ホトハラと倒れ込んだ拍子に擦ったのだろう、短パンから伸びるエビナの白く細い膝に擦り傷ができていた。

「うふふふ。せっかくの可愛いお膝なのに、そんな――」


 銃声。


 エビナの額に穴が開く。クモカワのカービンから、一筋の煙が立ち上る。

「……」

「……」

 だがカニエはまだ倒れなかった。

 向日葵模様の瞳が、まるでエラーを起こした画面のように瞬いている。

「ホトハラくん?」

「……なんスか」

「煙草、持ってる? 昨日まで禁煙してたけど、やっぱり吸いたくなっちゃった」

 ホトハラは黙って、ポケットから煙草を取り出す。しばらく吸うことも忘れていたのでくしゃくしゃになっていたが、まだ吸えそうなものは数本残っていた。

「ありがと」

 額に銃創が開いたまま、カニエは笑う。


 クモカワは“大佐”を照準ごしに見つめる。

 何を思っているのか、その表情からは読めない。


「あーあ」


 ホトハラはカニエの煙草に火をつけ、自分も合わせて吸う。

 お互いに半分ほど吸ったところで、突然カニエは腰から9mm拳銃(エビナの衣服から奪われたものだ)を取り出す。咄嗟の事態にホトハラは身構えることもできず――しかし、その引き金は引かれることもなく。


「ざんねん」


 その手から拳銃が落ちる。

 カニエは大きく紫煙を吐いた後、仰向けに倒れ、それきり動かなくなった。

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