ー灼夏ー ACT.6
「裏の浜はもうダメだ。遠くからでもわかる。向日葵でいっぱいになっちまった」
『マジかよ……“ゆるふ……ちゃん”の……は?』
「わからない。なんとか見つけ出してくれ」
『…………目ぇ離す…………なかっ……ぜ』
「後悔するのは終わってからにしろ。この状況を挽回できるのはお前しかいない」
『やってや……よ。……で…………つけ出し……ら……する?』
「他に回収ポイントはあるのか」
『あの島……山の地形だ……ら。オレも色……見たが、接岸で……とこはほとんど……』
「なら」
『船を…………れる…………“表”の港く……だ』
「わざわざ、バケモノどもがうろつく場所に行けってことか?」
『いや……』
「……どうした」
『そうだ……も…………は“夏”の島じゃねえ。暑さで狂ったバケ……の……島だ。どこに居たっ…………場所はねえが、こ……無線もつながっ……』
「その調子だと、まだ元気なようだな」
『タコのダンナ。……明日の……朝だ……それ…………ってくれ……』
無線が切れた。
―――
「……どうやら、ペンタゴンも迂闊には動けないようだな」
「無線は繋がったから何とかなると思ったけど、それほど甘いものじゃなかった。しかも元々の目標だった“ゆるふわちゃん”は目を離した隙にどっかにいっちまったらしい。さらにこれからどんどん日が暮れて夜になる。水はあっても食料はねえから、どちらにしたってタイムリミットも残ってねえってわけだ」
「そこは心配ない」
「えらい自信だな、隊長サン」
「この島はベトコンに支配されている。どこもかしこも奴らの気配で満ちている。ならば、ベトコンでないものを探せばいい」
「超能力でもあるってのかよ」
「お前ならできる。そうだろう、ムーア」
クモカワの言葉に呼応するように、ムーアはわざとらしげにキョロキョロと周囲を見渡し――やがて一点に向けて指を差した。
時刻は夕暮れ時。オレンジに染まりかける山の向こう。
「あっち」
「最初からわかってたのか?!」
「せいかくに。いうと。さっき。わかった」
「どういうことなんだよ」
聞けば、隠すつもりもなく嘘をついているわけでもなく、本当に“さっきわかった”らしい。
「一体何なんだよ、そのガキ」
「ムーア特技兵だ。それ以上でもそれ以下でもない」
ホトハラは眉をひそめる。一つ分かるのは、確実に“マトモな人間ではない”ということだ。だが、彼がもし“夏”が生み出したモノであったとしたならば、何故こうして自分達に協力しているのか、その理由がわからない。もっとも……自分達が理解できる範囲など超えている……というのがこの“夏”がもたらす気まぐれの厄介なところなのだが。
「で、その“あっち”にいるってのは誰だ。カニエかエビナか、それともニジノか」
「だれ?」
「あー。まあ名前で言ってもわかんねえか」
「しらない。ひと」
「じゃあ少なくともカニエじゃねえな」
「ならば向かおう」
「って、隊長サンが求めてるのは“大佐”だろ。そっちじゃなくてもいいのか?」
「……戦場はカオスだ。あらゆる物事が渦巻き、策謀が脈動している。米軍、ベトコン、CIA、反政府勢力、そして外国人部隊でさえも」
「はあ?」
「だが運命というものがある。それらは常にひとつに向かって進んでいく。手がかりはある。ならば我々も、そしてあの女も、やがて同じ場所に辿り着くだろう」
相変わらずクモカワの話はいまいち分かりづらかったが、そこまで言われてホトハラはようやく気付く。カニエがエビナに向ける視線は尋常のものではなかった。おそらく彼女は逃げたエビナを血眼になって探しているはず。だとすればこの手がかりは他の問題に絡んでくるだろう。ましてや、この島のこんな状況下でまともに動けるものなどそもそも多くはない。
「どっちにしろ他に道はねえってわけだな。じゃあ道案内を頼むぜ、ボウズ」
「……」
「……なんだよ、その目」
「じょうとうへい。ぶたいでは。げんかくな。かいきゅうが。そんざいする」
「……」
「……」
「……道案内をよろしくお願いします、ムーア特技兵」
「よろしい」
ニジノであれエビナであれ、先に確保しなければならない。
文字通り、残された時間は多くないのだ。
―――
「ところでムーア特技兵。一つお聞きしたいことがあるんですが」
「なんだ」
「今まで分からなかったとしたら、何で急にカンが働くようになったので?」
「みず」
「?」
「いどをつかったひとがいる。あのためいどは。あのみずは。ぼくのものだから」
―――
一方。
夏の日は長い。日が暮れだしたと言っても、日没まではまだしばらくかかるだろう。ヒグラシの鳴く音に紛れるように息を潜めながら、エビナは思考する。
あの井戸は何だったのか。
自分の飲んだ水は、本当に大丈夫なものだったのか。
ポンプ式とはいえ、あの水は決して上質なものではなかった。飲んだ時に感じたのは古い溜め井戸特有の土臭さ。まぎれもなく生水だ。もちろん体調を崩すかもしれないという懸念はあったものの――それでも“夏”がもたらす不愉快さは感じなかった。現地の水は飲むな、というエージェントの鉄則は破ってしまったが、あれだけは別なように感じた。
「……もしかして」
はたと気付く。
この島にはかつて人が住んでいた。“夏”に汚染されるまでは、限界集落とはいえそれでもまだ生活者はいた。そこで離島特有の問題が発生する。それが水の確保だ。川もなければダムもない、頼りになるのは雨水だけ。日照りが続けば簡単に水不足になる。
――晴れになって、漁がうまくいきますように。
――雨が降って、水不足が解消されますように。
天候に生活が左右される離島だからこそ、彼らは太陽神を奉ってきた。どちらが続いても人間の生活は成り立たない。キレイな水、青い空……“夏”が描く理想の田舎暮らしなど存在しない。実際は神に縋らなければいけないほどに不安定なものだ。とすれば、あの生水はおそらく“夏”がもたらしたフェイクではなく、元々この島にあったリアルなものなのだろう。それにエビナは助けられた。本当に神がもたらした御業だとは思っていないが、偶然がもたらした奇跡なのは確かだ。
ともあれ、それで問題が解決したわけではない。喉の渇きは潤せても、エビナを取り巻く危機的状況は変わっていない。
―――
日が暮れかけても気温は下がらない。“夏”のもたらす欺瞞が曝かれた今、過ごしやすい夜などどこにも存在しない。こもるような蒸し暑さは変わらず、摂った水分は全身から流れ出ていく。機能を失った空調服は重りにしかならない(それでも、それを脱ぐことだけは憚られた)。叫び出したくなるほどの絶望的な状況で、エビナは自らの心を研ぎ澄まし、感じる不安や痛みを無理やり封じる。
夏の夕暮れに、枯れ萎えて黒ずんだ向日葵の残骸が幽鬼の如く立ち並んでいる。“夏”の景色は現実によってその表層を剥かれ、その異常さを露わにしはじめた。と同時に――直射日光だけは緩やかになってきたせいか“夏”の成れ果ても再び外へと姿を見せていた。
しゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわ
しゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわ
耳をつんざくほどの、喧しいヒグラシの鳴き声に包まれながら――。
そこに広がっていたのはあまりにも不気味でおぞましい光景だった。人の形を残したモノもいる。人の形を留めぬモノもいる。それらは皆、もはや“夏”を謳歌することも、穏やかな日々に憩うこともない。枯れたひまわり畑をバックに、ただ当てもなく歩き、少しでも涼しい場所を見つけるため、うろうろと歩き回っている。道端では力尽き、急速に腐敗をはじめた個体も転がっている。もしも地獄というものがあるならば、この島のこの光景だろう。押し殺していたはずの不安や恐怖が再び蘇ってくる。しゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわ。もしかしたら。しゃわしゃわしゃわしゃわ。本当に。この島にいるのはもう自分だけなのかもしれない。どれだけ頑張って生き延びても。しゃわしゃわしゃわしゃわ。もう無駄なのかもしれないと。
あれだけ水を飲んだはずなのに、もう喉が渇いている。
身体中の擦り傷が、再びじくじくと痛み出す。
耳元を横切る蠅の羽音。
異常な熱気と腐敗臭を放つ成れ果てが、いつの間にか隣にいた。
「ひっ」
エビナはその姿に思わず悲鳴を上げる。
見た目は人間に近かった。見た目だけは。すべすべとした白い肌を持つ、全裸の人型。男か女かすらもわからない。人間……だったもの。だがその脚は膝から下が黒ずんだように萎えており、上半身だけで匍匐するようにこちらに向かっていた。気配も感じなかった。本当に“いつの間にか”そこにいたのだ。さらにおぞましいのはその顔面だった。目はくり抜かれており、眼窩からは蛆のようなものがふたつ生え、グニャグニャと蠢いている。
「ひ……あ……」
エビナの腰が抜ける。
「……」
ぽん、と奇妙な音がして、眼窩から生えていた蛆のようなものから向日葵が飛び出た。人型の成れ果てはその場でのたうち回り、仰向けに倒れる。向日葵は生えたそばからぐんぐんと成長し――血液の混じった異様な色の大輪を咲かせ――あっという間に枯れた。
嫌だ。やっぱり嫌だ。
すべすべとした白い肌。歪んだ肉体。それらが目の前で侵されていく。エビナは自らの二の腕をもう一方の手でがりがりと掻く。
「あ、あああ」
こんなモノになってしまうのは嫌だ。嫌だ。
「嫌だ。嫌だ。ボクは。こんな――」
恐怖に叫ぶ。叫び声が夕暮れの空にこだまする。エビナの存在を感知した“夏”どもが振り向き、ゆっくりと集まってくる。安寧の場所を失ったモノどもが、新しい仲間を求めて近寄ってくる。お前も“夏”になれ。お前も“夏”と共にあれと。嫌だ。けれどエビナには何もできない。腰が抜けて、どこにも逃げられない。この島からは逃げられない。諦めるしかない。だけど。だけど、ああ、こんな。こんな――。
猛暑でぐずぐずに崩れた成れ果てが、その醜悪な頭部をエビナに近づけてくる。頬まで裂けた口が開き、吐息を漏らす。土と汗と腐敗臭にまみれた、鼻をつく臭い。
――その瞬間、猛暑に澱んだ空気に、一陣の風。
「っっっっしゃオラァ!!」
気合いの入った掛け声と共に、頑丈なコンバットブーツの靴底が成れ果ての横顔にめり込む。横からの跳び蹴りを食らった異形は盛大に吹っ飛び、近くの別個体を巻き込んで崩れ落ちていく。
何。
「一直線に目がけて行けば意外と近いモンだな、これ」
「人を迷わせるのは土地そのものではない。己自身の不安と迷いがそうさせるのだ。ナムのジャングルに惑わされるな」
何?
へたり込んだままのエビナに手が差しのばされる。駆け寄ってきたのは三人。一人はホトハラ。もう一人は泥まみれの眼光鋭い謎の男。そしてその横でじっとこちらを見つめる子供。ホトハラ。ああ。ホトハラだ。状況を把握するまでに、そしてその存在を認識するまでに少し時間がかかった。
そして一方のホトハラも同じような反応だった。エビナの格好を見るやいなや、目をそらして自分の金髪をがりがりと掻く。当然の反応だろう。今のエビナの姿は、昨日ホトハラと別れた時の姿ではない。ガスマスクもない。身を包む空調服も今や上着だけ。そしてその下にはカニエに着用させられた――……これ以上の言及は止める。
大事なのは、なぜここにホトハラがいるのか、ということだ。
「どうして?」
エビナが喉元から絞り出したのはそんな台詞だった。まず言うべきことはあったはずなのに。
エージェントになった時から使い捨てられる覚悟はあった。それでも憎むべき“夏”に一矢報いたいと志願した。こんな状況になった時から、殉じる覚悟はあった。けれど実際はほとんど無力だった。自負していた冷静な判断力なんて、こんなイカれた島の中では何の役にも立たなかった。それから任務に殉じる覚悟もしきれなかった。この身を晒され、蹂躙されかけてなお、まだ死にたくないと縋りついて生水を飲み、島をあてもなく這いずり回った。もしかしたら彼は約束通りに助けに来てくれるんじゃないか。そんな希望を捨てきれないでいて。
そうしたら本当に助けに来てくれた。でも。
「どうして? ボクを置いていっても、任務に支障はなかったはず」
もっと他に言うべきことはある。なのに。
銃声が響く。泥まみれの男が、近寄ってきた他の成れ果てを撃ったらしい。
「三等兵。ベトコンどもが寄ってきた。奴らはどこからでも現れる」
「んじゃ撤退といくか」
「撤退ではない。後進だ」
「了解、じゃあ後進」
言うやいなや、ホトハラはエビナの腕を引いて立ち上がらせ、背中に負う。
「センパイ、ちょっと失礼。色々あるんスけど、とりあえずはいったんココから逃げましょうや。後進、後進!」
―――
――まだ何も終わってない。
――揃ったところで、あなた達にはなにもできない。
―――
夕暮れ空の下、エビナはホトハラに背負われながら震えている。まだ状況が掴めていない。ただ、張り詰めていた気持ちが一気に解け、全身の力が抜けていくのがわかる。
「アー、その」
「……」
「センパイ、さっき“どうして”って言いましたけど」
「うん」
「オレ、姉貴から言われた言葉があって……まあ単純なことなんスけど。どんな状況でもそいつを忘れるんじゃねえ、って言われて。だから、オレはそれを守っただけで」
「それは。何?」
気絶するところを懸命に堪え、エビナはホトハラの言葉に耳を傾ける。ホトハラが草木をかき分けて走る音。喧しく鳴く蝉時雨。そんな雑音の中で言葉を聞き逃さぬように。
「“相棒を大事にしろ”って。そんだけッス」
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