その夏に惹かれて?

「すごい風だねアオイちゃん!」

「すごい風だねヒュウガくん!」

 吹きつける風に、二輪の向日葵がぐわんぐわんと大きく揺れている。風で剥がれたのだろう、どこからか飛んできたホーロー製の看板(色あせた栄養ドリンクの看板で、ロイド眼鏡をかけた古いコメディアンが瓶を片手に笑っている)がそのうちの一本――おそらくヒュウガくんと呼ばれた個体――に直撃した。折れんばかりの衝撃を食らって横倒しになった向日葵は、しかしまるで意思があるかのようにむっくりと立ち上がる。

「でも負けないね!」

「折れたりしないよ!」

「だって」

「だって」


「「雨のあとには、また“晴れの日”がやってくるんだからね」」


 雑木林の奥。不自然に拓けた土地に、やはり不自然に――まるで“雑にテクスチャを切り貼りされた”かのように――人の背丈ほどもある大輪が無数に咲き誇っていた。

 灰色に覆われた空の下、いちめん黄色に彩られた向日葵畑。花たちは強風にあおられ、規則的に、生々しく波打っている。


―――


 かつて人々にはハレとケの世界観があった。変わらぬ日常を送るケの日々の中に、冠婚葬祭や行事という“ハレの日”がある。人々にとってそれは特別な日だ。特別な衣装を着て、特別な食事を取り、浮かれ騒ぐ。その節目をもって彼らは季節や節目を感じ取り、日々を生き抜く。

 現代においてその二つは曖昧になった。どんな衣装でも着ようと思えば着ることができる。どんな食事でも食べようと思えば食べられる。果たしてその日常はハレなのかケなのか。そんなことを気にする人間はもう少ないだろう。

 だからこそ、人はあえてそれを望むのかもしれない。


 ともあれ、この島には祭りがあった。ハレとケが明確に分かれていた。


 変わらぬ日常を送るケの日。

 その節目に訪れるハレの日。

 ここには変わらぬ日々をずっと過ごしていたいと願う者がいる。

 そして、特別な日を迎えたいと願う者もいる。


 様々な思いが交錯し、島はハレの日を迎えた。


 ――雨風吹き荒れる、今日という日に。


――


 島の表。港周辺。


 数日前まで美しく凪いでいた海は一転してどす黒く渦巻きうねっており、堤防に叩きつけられた波は数メートルの高さまで打ち上がるほどだ。

 夏祭り当日。直撃した台風は比較的弱めの雨なれど、それ以上に強い風をもたらし、島中に吹き荒れていた。


「やっぱ雨天中止とはならねえ、か」

 ホトハラが双眼鏡を覗く。その先には多くの人々が集まる広場があった。普段ならともかく、この状況でここに集まるのは正気の沙汰ではない。もう少しでも堤防のほうに向かえば高波にさらわれかねない、危険な場所である。

 そんな中でも彼らは傘も差さず(差したところで吹き飛ばされるだけだろうが)まるで何事もないかのように粛々と行事を進めている。数にして数十人。島の住民の大半はそこにいるだろう。強風のせいで何を言っているのかは聞き取ることもできないが、彼らはこの“ハレの日”を迎えた喜びで笑い合っていた。

「“ゆるふわちゃん”の姿は?」

「見えねえッスね」

 双眼鏡から視線を外し、ホトハラは首を横に振った。いつもの“夏”対策のタンクトップとカーゴパンツ。その上から深緑のレインコートを身に着けた姿。目深に被ったフードから水滴が垂れ、染めた前髪の先を不快に濡らす。

「まさか“天気が悪いから早めた”ってことは」

「それはないはず。この天気でわざわざやるからには、儀式だって手順通りにキッチリやる。奴らなら絶対にそうする」

「なるほど」

 二人がいるのは広場を見渡せる高台の上の雑木林。ここからなら、奴らが移動を開始してから“ポイント”に向かうまでにも時間の余裕がある。

「キミが聞き取った情報から導いた段取りだ。アテにしてるんだよ、ボクは」

 この数日間でホトハラは“夏祭り”についての情報収集をしていた。そのメモからエビナは段取りと作戦を組み立てた。


 ホトハラの聞いた夏祭りの内容はこうだ。


 夏祭りはある種の行列を有する。

 行列は広場からスタートし、ゴールは神社。

 行列は巫女を中心に、住民を伴って行われ、民家が並ぶ道は参道となる。

 神社では、ある種の儀式が行われ、祭りはその儀式をもって終了となる。

 神社で行われる儀式が何なのかは不明。何があるのかも不明。以上。


「あの神社とやらも下調べが出来りゃ良かったんですけどね」

 事実、ホトハラは何度か潜入を試みようとした。だがあの地の周りには常にヒトがいた。頭部の肥大化した巨漢、長い手足を巧みに使って四足歩行する生白い肌の者――そういうものをヒトと呼ぶのであれば。

「だから参道でケリをつける」

「アシストお願いしますよ、マジで」

 行動するのはホトハラの役目だ。夏が嫌いな“理由”を聞いた以上、奴らの前にエビナの姿を晒させるのはリスクが大きい。だから自分がやることにした。

「……ごめんよ、結局、キミに色々任せてしまうことになるな」

 エビナが静かに呟いた。相変わらず表情は分からないが、ガスマスクごしの声のトーンだけでも何となく分かる。

「なあに、テキザイテキショ、ってやつッスよ」


 作戦は単純だ。

 巫女であるニジノを参道の途中(これが“ポイント”だ)で攫う。

 裏の浜まで向かい、そこで照明弾を打ち上げる。

 照明弾を合図に、沖で待機している上陸艇が波風をかき分けて接岸。

 台風の中、三人で島から脱出する。


 これが二人に課せられた任務の第二段階である。


―――


 潜入前。エビナは「なぜニジノを救出するのか」と聞いてみたことがある。

 帰ってきた答えは「彼女“は”まだ使えるから」ということだった。


 言いたいことはいくらでもある。自分達はどうなのか。先に潜入し、消息を絶ったあの三人はどうなのか。しかしエビナは、上層部が立てた作戦に反論はしなかった。


 なぜなら、それがエージェントだから。

 この“夏”に対抗するため、取捨選択される特別部隊だから。


 立ち入った者を精神汚染と共に取り込んでしまう魔の空間。そんな場所に身を曝すのも嫌で、エビナは空調服とガスマスクに身を包んだ。

 そして任務のために、この島に踏み入った。これは望んで配属された任務。“夏”を排することができるならと、エビナは喜んで作戦に参加した。こんな季節など無くなって欲しいと願う――あの大嫌いな夏に復讐するために。


 わ


 すごいあめ


「?」

 吹き付ける風の かぜも! 音に混じって、何か聞こえた。

「キミかい?」

「え?」

「いや……なんでもない。それより、あいつらは」

「まだ動かないようッスけど」

 行列が動き出すこと――つまり“夏祭り”が始まらないと二人は動くことができない。双眼鏡で広場を見つめるホトハラの後ろ姿を そこにいるの? 見つめながら、エビナは眉をひそめる。


 そう。復讐のためにここにきた。それは間違いないのだが。

 実際、前日までの島偵察も今日の行動役もホトハラに任せてしまった。今回の作戦はほとんど彼一人に頼ってしまって みつけた! いる。さらに自分は作戦中に待機場所を離れ、ガトウに潜伏場所へと接近される隙さえ与えてしまった。いざ覚悟してここに来ておきながら、身体が拒否する。 こわくないよ 何が復讐だ。テキザイテキショとホトハラは言うが、本当にその気があるなら、自身の おまつり 小さなトラウマなど振りきって、一緒に行動するべきではないのか。


 もうはじまってるよ


 けれど怖い。いざあの人の群れに飛び込めと言われると こわくないってば 怖い。


 みて うみが


 いってみようよ あぶないかもしれない    けど


 自分は。自分はどうするべきなんだろうか――。


「センパイ!」


 ホトハラの叫びで我に返る。顔を上げると、彼は目を剥いてこちらを見ていた。正確にはエビナ自身ではなく――その後ろに。


 おまつり みにいかないの?


 エビナが振り返る。


 麦わら帽子をかぶった白ワンピースの少女がいた。


―――


 みんなでいこうよ


―――


 ホトハラが急接近し、エビナの襟首を掴んで後ろに下がらせる。同時に肩に掛けていたショットガンを構え、銃口を少女に向ける。

 いつからそこにいたのか。いつの間に接近されていたのか。こんな風雨の中、彼女は傘も差さずに立っていた。雨風でびっしょりと濡れたワンピースは身体にぴったりと張り付き、その細い身体のラインを際立たせている。下着すらつけていないようだ。

 かぶった麦わら帽子の下の表情はうかがえない。だが間違いなく彼女は二人を見ていた。帽子は強風に吹き付けられてなお飛ばされることもない。そこから伸びる長い黒髪は蠢く触手のように風になびいている。


「あら。あらあらあら。ふふ」

 そして――声がもう一つ。林の奥から、背の高い女が姿を現した。

「島に来ていたのは何となく知っていたけれど――てっきり、貴方達も夏祭りに参加するつもりなのかと思っていたわ」

 少女と同じく傘も差さず、レインコートすらも着けていない、一人の女。

「アンタは参加しないんスか、カニエさん」

「もちろん。せっかくニジノちゃんが巫女になってくれるんだもの。それを見届けなくっちゃね。でもその前に――“この子”が、ここを教えてくれたの」

 カニエは白ワンピース少女の頭を麦わら帽子ごしに撫でる。少女はどこか恥ずかしそうに、帽子のつばを両手できゅっと押さえてみせた。


 ホトハラは無言でショットガンの銃口を少女に向け、トリガーを引く。


 散弾の代わりに、ポン、と間抜けな音を立てて銃口から一本の向日葵が咲いた。

「くそ!」

 ホトハラはショットガンを放り投げ、腰から予備のリボルバーを引き抜こうとする。だが強風になびくレインコートのせいか、思うようにいかない。それを見て、ようやくエビナの腕も動いた。腰に下げていた9㎜拳銃を引き抜き、少女に――いや、カニエに向ける。

「あら“エビナちゃん”、久々に会ったのに、ごあいさつね」

「カニエさん……あなたの任務は?」

「任務、ね。相変わらず真面目なんだから、エビナちゃんって」

「……その口でボクの名前を呼ぶなよ」

「ふふ」

 ガスマスクの視界ごしではうまく狙いがつけられない。そもそも撃てるのか。エビナは人を撃ったことなどない。撃つことができるのか。当てることができるのか。それら全てを理解しているかのように、カニエは銃口を突きつけられてなお、悠然とこちらを佇んでいた。いける。やれる。やるしかない。彼女はもうエージェントではない。トリガーに指をかける。


 ――その刹那、足元に違和感。


「センパイ、足元!」

 ホトハラが叫ぶ。エビナは足元を見る。今までそこに無かったはずの場所に、小さな向日葵が一輪。

 思わず飛び退く。その拍子に、エビナはぬかるんだ土に滑って姿勢を崩し転倒した。


―――


 いっしょじゃないの?

 みんな ここにいるよ 

 ここにも 

 むこうにも 

 こここにも


 こここここここここにも


―――


 林の奥から子供達がぞろぞろと出てくる。一人、二人、三人……十人。誰も皆ひさしぶりの夏祭りにはしゃぎ、顔をほころばせている。首から上、頭の代わりに咲き誇る向日葵に――そういうものに表情があるとするならば。


 あはははははははははは こここここここにもももももも


 まるで動く向日葵畑のように、彼らは小走りで駆け寄ってきて二人を囲む。ホトハラはリボルバーを構え、前後左右に狙いをつける。だが一方のエビナは、目の前に現れた異様な光景に動くことさえできない。呼吸が荒くなっていく。手足が震える。怖い。怖い。 こわくないよ 怖い。


 みんな まってるよ


「……に」

 絶え絶えの呼吸で、なんとか声を振り絞る。

「逃げろッ、ホトハラ!」

 自分でも驚くくらいの声量で、エビナは叫んだ。

「ボクのことはいい! 二人で捕まったらダメだ! 後はキミさえ動けば!」

「バカなこと言ってんじゃねえッスよセンパイ!」

 おまつり! いっしょにににににに だいじょうぶ!

「キミだけでも! 任務を! 果たせ!」

 怖い。怖い。 こわくな――うるさい。早くここから逃げたい。でも。でもダメだ。ここにきて足を引っ張るなんて出来ない。エビナは声を震わせながらホトハラに叫ぶ。向日葵頭の子供達は地面にへたり込んだままのエビナに狙いをつけ、ぐるりと取り囲んでいく。頼む、行ってくれ。早く。


「……センパイ!」

「行け、って言ってる!」

「ああああクソ!」

 エビナの決死の懇願にホトハラはようやく応え、レインコートを翻しながら崖下へと滑り落ちていく。


「後で! ぜってぇ! 助けに! 戻るッスからね!!」


―――


 いっちゃったね


 まあ いいや


―――


 ――目の前には、いちめんのひまわり。


 風雨に揺れる黄色と黒の花輪が、全員、こちらを見ている。空調服の下の肌が、ざわざわと不快な感覚に包まれる。ホトハラは無事に逃げただろうか。彼が“ゆるふわちゃん”を攫い、島から脱出してくれれば、この任務は果たせる。それだけでいい。きっとうまくやってくれるだろう。


 それで、自分はどうなる?


 身体がゆさゆさと揺れ、仰ぎ見る視界は移動している。向日葵頭の子供達に手足を掴まれ、どこかに向かっているらしい。

「祭りに参加せず、こっちを見ている二人がいるって教えてもらったとき、きっとあなた達じゃないかって思ったわ。後続のエージェントが投入されるってことは知っていたしね。この島に来ているのは分かってたけど、今まで見つけられなくて。でもようやく見つけた。だから来たの。ね?」

 頭がずきずきと痛む。全身が寒い。

「……って、あら。いなくなっちゃった。きっと祭りの場所に戻ったのね。気まぐれなのよ、あの子」

 寒い。空調服のバッテリーはとうに切れ、蒸し暑いくらいのはずなのに。

「実を言うとね、エビナちゃん。私の目的はあなただったの」


 エージェントの役目は任務を果たすこと。それだけだ。それだけでいい。帰還することは任務に含まれていない。わかっている。覚悟の上で来た。


「……」

 声を出そうとした。出すことはできなかった。


「あなたのこと、前から知ってたのよ」


 向日葵たちがこちらを見つめている。


「心配しないで、エビナちゃん」


 自分は――これからどこにいく? これからどうなる? 何をされる?


 覚悟なんて、まるでできてない。


「これから……あなたもきっと、この“夏”のことが好きになるわ」


 嫌だ。嫌だ。怖い。 こわくない 怖い。

 だいじょうぶ 


 ぜんぜん、大丈夫じゃない。


―――


 草木の影から、一対の目がのぞく。


 その視線の先には奇怪な光景があった。森の中を行くひまわり畑。その傍らに、一人の女の姿。


「軍の命令を無視し、勝手に行動しているとは聞いていたが」

 ぬかるんだ土に身を横たえながら、彼は憎々しげに呻く。M1カービンを構える指に力がこもる。だが今は撃つ時ではない。


 かつてはあれも高潔な上司だった。だが今は見る影もない。ナムの幻覚にとらわれた、哀れな女にすぎない。

「大佐……」

 このジャングルは人を狂わせる。敵はベトコンだけではない。自我を失い狂った人間を野放しにはできない。それもまた自分の役目だ。


「まずは、奴らの巣を見つけなければ」


 顔についた泥を指で薄く塗り広げ、クモカワは静かに立ち上がった。

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