第3話 氷室あかりは甘えられない

オレンジ色に染められた街の中を、急ぐこともなく、気長に歩く。どんなに進んでもアスファルトが地続きになっているのが、いかにも住宅街らしい。スニーカーの底が、「ざっ」という摩擦音を不規則に鳴らしている。

「今日も、一緒に、お買い物できたね」

食材がどっしりと詰め込まれた袋をみながら、あかりさんがいった。

「お野菜が安かったから、たくさん買い込んじゃった。今度、これで、料理してあげるね」

あかりさんと目が合う。夕日の効果のせいか、年上なのに、面立ちが少し幼くみえた。

「ううん、付き合わせたとか、気にしないで。わたし、きみのためにお買い物するの、好きだから。全然苦じゃないし、むしろ、どれにしようかなって選んでる時間が、た、楽しいよ。きみが一緒なら、もっと、ね」

今日は、あかりさんと近所のスーパーへ買い物にいっていた。冷蔵庫の中身がなくなりそうだったので、買い足しにでかけたら、スーパーにいた彼女とたまたま遭遇したのだ。いまは、その帰り道を二人でたどっている。

あかりさんに、「俺が袋を持つよ」という。

「え? 袋を持ってくれるの? 平気だよ。大して重くないし、これ、わたしのマイバッグだから」

そうはいっても、中身はほとんど我が家の食材だ。

「たしかに、きみのお家の食材がたくさん入ってるけど、きみが持つ必要はないよ。だって、わ、わたしが、料理してあげるつもりだもん……って、でしゃばりすぎかな!? 部外者なのに」

その気持ちはありがたいが、やはり力仕事は男である俺がやってあげたい。

「そ、それに、わたしは年上だもん。きみよりもお姉さんだから、こういうことも、わたしの仕事なの」

ダメだ、あかりさんってば、聞く耳を持ってくれない。彼女は頑固な一面があるから、こうなったら梃子てこでも動かないだろう。

そのとき、俺の童心が豆電球のように点灯した。ちょっと、あかりさんをからかってみよう。

思い付いた俺は、「持って」って甘えてみてほしいと、彼女にいった。

「え!? 『これ持って』って、わたしが、きみに甘えるの? ……なんかそういう気分だから? うぅ、い、意地悪じゃないかな。わたしはきみに持たせたくないし、甘えるなんて、そんな、恥ずかしい、のに」

あかりさんの顔がどんどん小さくなっていく。効果は抜群のようだが、彼女に甘えてみてほしくなってきたので、様子見してみよう。

「ほ、本当にするの……?」と尋ねてくる彼女に、首肯しゅこうを返す。すると、あかりさんが買い物袋の取っ手を両手で握った。

「あ、あのさ。これ、持って、ほしいな……って、やっぱり無理だよぉ! 恥ずかしい!」

あかりさんが顔を真っ赤にさせる。たぶん、これは夕日のせいじゃないだろう。しかし、正直なにがそこまで恥ずかしいのかわからない。

「だって、なんか、わたしがわたしじゃないみたいだもん。それに、誰かに甘えたことなんてないし……」

もじもじするあかりさんに、「恋人なんだから、もっと俺に甘えてほしい」と言葉を渡す。これは嘘でもひやかしでもなく、俺の素直な心だ。

「きみに、甘えろって? 恋人だから? うーん……でも、甘えるって、どうやるのかな?」

あかりさんが斜め上のほうをみる。熟考しているようなので、「俺に弱さをみせてみてよ」と助言してみる。

「きみに弱さをみせるの? な、なんか、それも恥ずかしいな。それに、いつもダメダメなところをみられてるし……」

思わず苦笑いが漏れる。たしかに、あかりさんが凹んでいるシーンはよく目撃する。「じゃあ、愚痴とかぶつけてみたらどうかって? ……人並みにつらいことはあるけど、誰かに愚痴るほどでもないし。それに、き、きみに愚痴をいうなんてできないよ。きみとお付き合いを始めてから、毎日が、カラフルだから。きみのおかげで、ね」

そういうことなら、愚痴を強要するのは間違っている。しかし、では、どうやって甘えるのが適しているのだろう。

考えあぐねた俺は、軽い気持ちで、「じゃあ、意味もなく俺に好意をぶつけてみたら?」といってみた。

「え、い、意味もなく好意をぶつける!? それって、どどど、どういうこと!?」

あかりさんは「テンパる」という言葉を全身いっぱいで表現した。

「き、きみの腕に絡み付いたり、なんの脈絡もなく、す、好きっていうの? 恥ずかしいよそんなの! 甘えるって、そんな、難しいことなの!?」

「でも、世の中のカップルにとっては日常茶飯事だよ」と、こちらからプッシュする。俺も男だ、恋人に甘えられたい願望はちゃんとある。

「うぅ……きみがそこまでしてほしいなら、挑戦してみるけど。失敗しても、お、怒ったら嫌だよ?」

俺は猛烈に首を縦に振った。買い物袋を持ち直したあかりさんが、ゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらに手を差し伸ばしてくる。

「きみの、腕を、ぎゅっとする……」

つぶやきながら、まるで昆虫でも捕獲するかのような面持ちで、あかりさんが俺の二の腕を凝視する。その雰囲気に感化されて、鼓動がわずかに加速した。指が、爪が、あかりさんの一部が、俺のシャツにそっと触れて──

「や、やっぱり無理ぃ!!!」

あかりさんは絶叫すると、ものすごいフットワークで後方へジャンプした。

「ききき、きみのために頑張りたかったけど、これは、わたしには厳しい、かな。男の子の腕に抱きつくっていうのは、すごく、勇気のいることで。だから、わたし、きみの理想の彼女にはなれない……。恋人として、失格だね」

急に落ち込みだしたあかりさんを、間髪を容れずフォローする。たしかに、彼女に甘えられたい理想はあるが、それができないあかりさんが彼女として失格なんてことはありえない。

「……うん、励ましてくれて、ありがとう。かわいげのない女の子で、ごめんね? きみのことは、す、好きだし、きみから好意をもらうのは、すごく幸せなんだ。だけど、甘えるのは、まだ難しいの。だから」

不意に、あかりさんが手にしていたバッグを差し出してきた。

「か、買い物袋、半分ずつ持とう? それくらいの甘えん坊なら、わたしにも、できるから……」

俺に袋を持たせることをかたくなに拒否していたあかりさんが、そんなことをいってくれた。もしかしたら、これは、彼女なりに弱みをみせてくれているのかもしれない。そう考えたら、際限なく心が温かくなってきた。

「うん、ありがとう。それじゃあ、一緒に、帰ろっか」

俺たちは、俺たちなりに恋を進めていこう。

あかりさんの隣を歩きながら、澄み切った気持ちで、夕日を望んだ。

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