第140話・殴られてやるよ



 三階に行って、リュシーさんの部屋をノックしたけれど、最初のノックは無視された。

 眠っているのかもしれないけれど、ユリウスは構わずノックを続ける。


「くそ、誰だっ!」


 やがて、苛立った声と共にドアが乱暴に開かれる。

 ドアを開けたのは、ガウンを羽織ったリュシーさんだった。

 リュシーさんは私とユリウスを見て一瞬驚いたようだったけれど、低い不機嫌そうな声で、どうしてここに居るのかと問う。


「ローレンスさんから話を聞いて、様子を見に来たんだ」


「は? なんだって?」


「だから、あんたがどうしているか気になって、様子を見に来たんだ」


 はぁ~、と、リュシーさんは深いため息をつくと、俯いてしまった。


「悪いけどさ、アタシ、アンタの顔、しばらく見たくない。だから、アタシが落ち着くまで、しばらくの間、来ないでくんない?」


 意外な反応に驚いてしまった。


「俺、あんたに何かしたか?」


「いや、アンタはしていないさ。でもさ、アンタ、あのクソ王子に顔が似てるんだよ! だから、アンタの顔を見たら、アイツを思い出してムカつくの! ぶん殴りたくなんだよ!」


 リュシーさんはそう言うと、拳を握りしめた。

 選定会では、ローレンスさんとジルさんが二人がかりで押さえつけていたって言っていたもんなぁ。

 だけどリュシーさんは、本気でクソ王子……ジュニアスをぶん殴りたかったのだろう。


「クソ王子って……もちろんジュニアスだよな。似てるか?」


「あぁ、すっごく似てるよ! 本当にムカつく!」


「そうか、似てる、か」


 ユリウスは認めたくないんだろうけど、実際、似ているんだよねぇ。

 だってユリウスとジュニアスは、異母兄弟なんだから。

 はぁ、と深い息をついたユリウスは、わかった、と言うと呟きリュシーさんを見つめた。


「じゃあ、殴れ。俺を殴ったくらいで、あんたの気が済むのなら、殴られてやるよ」


「は? ちょっと、アンタ、何言ってんの!」


 ユリウスの発言に、リュシーさんは驚いたようだった。

 もちろん、私も驚いた。ちょっとユリウス、何言ってんの!


「溜まった鬱憤を、晴らしたいんだろ? 一回殴ってあんたの気が済むのなら、殴られてやってもいい」


「ちょっとぉ……」


 ユリウスの発言に戸惑うリュシーさん。確かに戸惑うよね。

 念のため言っておくけど、ユリウスには殴られて喜ぶような性癖はないからね。


「アンタを殴ってどうなるってんだよ」


「おいおい、殴りたくなるって言ったのはそっちだろう? それなら、一回殴ってスッキリすればいいじゃないか。それとも、殴りづらいのなら、殴りやすくしてやろうか? ジュニアスの真似なんかしたくないけど、そうだな……あいつが言いそうな事でも言ってやろうか?」


 ユリウスはそう言うと、少しだけ考え込み、再び口を開いた。


「そんな貧相な布切れを俺に献上するなど、商都ビジードは何を考えているのだ! 王である俺に、そんな粗末な物を纏えと言うのか!」


 ユリウスがそう言った瞬間、リュシーさんが動いた。

 ユリウスの顔を思いきり殴りつけ、殴られたユリウスは壁に激突した。


「てめぇっ!」


 怒りで我を見失ったのか、リュシーさんはユリウスの胸倉を掴み上げると、床に叩きつけて馬乗りになり、顔を殴り続ける。


「ちょ、ちょっと、リュシーさんっ!」


 確かにユリウスは自分で殴れって言ったけれど、これはやりすぎだろうと止めようとすると、


「リュシー、その人はユリウスさんです! ジュニアス王子じゃないわ! やめて!」


 ガウンを羽織り、おぼつかない足取りで部屋から出てきたジルさんが、リュシーさんにしがみついた。

 ジルさんに抱きつかれてリュシーさんの動きが止まった隙に、私はリュシーさんの下からユリウスを引き離した。


「すまなかった。殴りやすくなるかと思って、あの馬鹿が言いそうな事を口にしたんだ。誤解のないように言っておくが、俺自身は全くそんな事を思ってはいないからな。あんたの腕は確かだ。俺は最近いろんな森でゴブリンや他の魔物と戦っていたが、大したけがもしていない。あんたはあの馬鹿にはもったいない技量の持ち主だよ」


 ユリウスの言葉を聞いたリュシーさんは俯いて、震えながら顔を覆って泣いていた。

 ジルさんがそんなリュシーさんの体を、ぎゅっと抱きしめる。


「ユリウス、殴ってごめん……」


 腕で乱暴に目元を拭うと、リュシーさんが言った。


「いや、殴らせたのは俺の方だから。スッキリしてもらえるかと思ったんだけど、逆効果だったみたいだな。こちらこそ、すまなかった」


 互いに謝り合う二人を見て、私とジルさんは胸を撫で下ろした。


「ねぇ、ユリウス。アンタさ、なんで殴られてもいいなんて言ったのさ。さっきのセリフも、まるでアイツに言われたみたいだった。だから思わず殴っちゃったんだよ」


「俺を殴る事で、多少はあんたの気も晴れるかと思ったんだよ。俺の顔を見るたびにジュニスの馬鹿を思い出して、イライラされるのも嫌だったからな」


「まぁ、確かにアンタの顔を見てあの馬鹿王子を思い出す可能性がないとは言えないけどさぁ。アンタって、どこかあの馬鹿王子に似てるからさ」


「あぁ、そりゃ仕方ない事だ。俺は迷惑でしかないが、あのクズとは半分血が繋がっているからな」


「え?」


 あっさりと爆弾発言をしたユリウスに、びっくりした。

 びっくりしたのはリュシーさんとジルさんもだったみたいで、目を見開いてユリウスを見つめていた。


「え? ちょっと、どういう事? アンタ今、何て言った?」


「何って、どのあたりだ?」


 俺、何か言ったっけ? みたいなノリで、ユリウスが首を傾げると、リュシーさんが声を荒げて言った。


「だから、半分血がどうのってあたりだよ! それって、誰と誰の事だよ!」


「あぁ、俺と、リュシーの嫌いな馬鹿王子の事だよ。まぁ、俺はアイツの事は、昔から大嫌いだったけどな」


「何だよそれ! 詳しく聞かせな!」


「あぁ、あんたにだったら、いいよ。教えてもいい。ただ、その前に……」


「あ?」


「とりあえず、着替えてこいよ。俺は逃げないからさ」


 ユリウスはリュシーさんとジルさんを見ると、苦笑した。

 二人ともガウンを羽織っているだけで、そのガウンもかなりはだけてしまっていて、素肌だけでなくいろんな跡が見えちゃっているのだ。

 頷いたリュシーさんはジルさんを抱き上げると、ちょっと慌てて部屋に戻って行った。


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