第87話・うわ言


「行かないで、そばに居て……ずっと……」


 熱にうなされるユリウスは、こんな言葉を繰り返していた。

 私は汗を拭ってあげながら、大丈夫だよ、そばに居るよ、と繰り返す。

 熱は時間が経っても下がらなくて、ユリウスはとても苦しそうだった。

 心配だから一緒に看病をすると言ってくれたけど、サーチートには、ジャンくんとモネちゃんの所に行ってもらっている。

 例えサーチートでも、ユリウスの苦しむ姿を見せたくなかったからだ。


「大丈夫、行かないよ。そばに居るよ」


 うなされるユリウスにそう言って、冷たいタオルで汗を拭っうと、ユリウスがうっすらと目を開けて、私を見つめた。


「ユリウス? 大丈夫?」


 ユリウスは私を見つめたまま、ぽろりと涙を零す。

 もう一度大丈夫かと問いかけると、苦しそうなくせに真剣な表情で、彼は言った。


「俺は、君が、居てくれさえすれば、他に、何もいらない……」


 だから、そばに居てほしいのだと、ユリウスは言った。


「うん、大丈夫だよ。ずっとそばに居るよ」


 熱いユリウスの手をしっかりと握りしめてそう答えると、ユリウスは泣きながら頷いて、目を閉じた。

 何かおかしいような気がするけど、熱のせいかな。

 熱が出て体が弱って、一緒に心も弱くなって、寂しくなっちゃったのかな。

 それとも、あの巨大熊の毒か、額に刺さっていた黒い魔結晶のせいなのかな。


「大丈夫だよ、絶対に離れないよ。私は、ユリウスと一緒に居るのが、一番幸せだよ」


 だから、安心してね。


 耳元でそう囁くと、それを聞いて安心してくれたのか、先程まで苦しそうだった呼吸が、少しだけ穏やかになったような気がした。






 アルバトスさんの予想通り、翌日の朝にはユリウスの熱は下がっていて、目を覚ました彼は私の顔を見ると、恥ずかしそうに、ごめん、と謝った。


「本当に迷惑をかけてごめん……カッコ悪いところを見せちゃったね」


「やだなぁ、何言ってるの。元気になってくれたら、それでいいんだよ。もう大丈夫そう?」


 ユリウスは体を起こすと、軽く伸びをして頷いた。

 良かった、元気になってくれて。

 でも、念のため、あと一泊させてもらった方が良さそうだ。


「ユリウス、ものすごくうなされていたんだよ。それは、熱のせいだけ? どこかおかしいところとか、ない?」


 私がそう聞くと、体はなんともないとユリウスは言ったけれど、少し困ったような表情をして笑った。

 どうしたのかと問うと、嫌な夢を見たのだと言う。


「どんな夢?」


「ごめん、言いたくない」


 ユリウスは首を横に振り、夢の内容は教えてくれなかった。

 だけど、腕を伸ばして私を引き寄せると、強く抱きしめる。


「オリエ、お願いだから、俺から離れないで、ずっと俺のそばに居てほしい……」


 それは熱でうなされていたユリウスが、ずっと繰り返していた言葉だ。

 どんな夢を見たんだろう?

 こんなに不安になるくらい、ひどい夢だったのかな。

 逞しい体を抱き返して、そばに居るよと繰り返すと、ユリウスは深い息をついた後、ごめん、と謝った。


「俺は、本当は、君をどこかに閉じ込めたいと思っているんだ……。シルヴィーク村の結界の中で、君とずっと引きこもりたいと……そんな事を思っているんだ……」


 さっきのごめんっていうのは、私をどこかに閉じ込めたいって言ってた事についてなのかな。

 シルヴィーク村の結界の中で、私とずっと引きこもりたいって……。

 だとしたら、私的には全く問題ないんだけどね。


「それでもいいよ。シルヴィーク村の結界の中で引きこもるの、私は構わないよ」


 私がそう言うと、ユリウスは少し驚いたようだった。


「いいの?」


「うん、もちろんだよ」


 元々インドア派だし、全く問題ない。

 だから、ユリウスがそうしたいのなら、それでいいと思うんだけど、それがいけないと思っているのは、多分ユリウス本人なんだよね。

 そして、それは多分、彼のステータスに書かれた事が原因なんじゃないかと思う。


「あのね、ユリウス。ユリウスはさ、どうしても自分のステータスが気になっちゃうんだよね?」


 私の問いに、ユリウスはしばらく黙ったままだったけれど、やがて頷いた。


「俺は、ルリアルーク王になんてなりたくない。ただの一人の男でいいんだ。君がそばに居てくれるだけで、それだけでいいんだ」


 以前、何をすべきか、何がしたいのかがわからない時には、立ち止まってゆっくりすればいい、何かしたくなるまで何もしなくていいってユリウスに言った事があるけど、真面目な彼は、どうしても気になってしまうんだろうなぁ。


「じゃあさ、ユリウス。一つ提案があるんだけど、言ってもいいかな?」


 私がそう言うと、何? とユリウスは首を傾げた。


「ユリウスがルリアルーク王である事が嫌だっていうのなら、他の人にそれを押し付けちゃおうよ。ちょうど、なりたいっていう人が居るんだしさ」


「え?」


 驚くユリウスに、私はにんまりと笑いかけた。

 鏡を見なくてもわかる……多分今の私は、かなり悪い顔をしているはずだ。


「それって、ジュニアスの事?」


 眉をひそめてユリウスは言い、うん、そうだよ、と私は頷いた。


「私も、聖女の役は、あの人――ジュンに押し付けちゃおうと思う。だって、あの人も自分は聖女だって言っていたからね。だから、ユリウス。あなたはもうルリアルーク王じゃない。髪もさ、隠すのやめようよ。ユリウスの姿を見た人たちがルリアルーク王みたいだねって言っても、ルリアルーク王は別に居るって言って、堂々としていたらいいじゃない。ユリウスは、こういうのは嫌?」


 私の提案を聞いたユリウスは、少し考え込んだ。

 ルリアルーク王を押し付ける相手が、ジュニアスだという事が引っかかっているんだろうけど、ユリウスがルリアルーク王の事も、ジュニアスの事も嫌だというのなら、一石二鳥じゃないかなって私は思うんだけどね。


「ふっ……」


 やがて、黙り込んでいたユリウスが笑い、金色の瞳を細めて私を見つめると、言った。


「オリエは、すごい事を考えるね」


「そうかな?」


「そうだよ。少なくとも俺は、思いつかなかった。だって、大嫌いなあいつを喜ばせるだけだからね。でも、それもいいかもしれないね。俺はルリアルーク王になんてなりたくないし、ジュニアスに押し付けてしまえば、少しはすっきりするかもしれない」


「じゃあ、ユリウスも私も、今はただの冒険者って事でいい?」


「あぁ、それでいい。それでいこう。オリエ、君ってやっぱり最高だ!」


 どうやらユリウスも、その気になってくれたようだ。

 私たちは顔を見合わせると、声を上げて笑った。


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