第56話・ユリウスのお願い



「ユリウス、今の体の調子はどうですか?」


 倒した熊を村に運び終えた後、アルバトスさんから聞かれたユリウスは、苦笑した。


「そうですね、悪くはないのですが、まだ加減がわかりません」


「そうですか」


「はい。では、着替えてきます」


 首のなくなった熊を運んだユリウスの服は、流れた熊の血で汚れていた。

 血だらけのユリウスを見て、村に残っていた人たちは悲鳴を上げていた。

 そりゃそうだよねぇ。

 彼が熊を倒したところを見ていなければ、ユリウスが大怪我を負ったと思っても仕方ないだろう。

 実際は、かすり傷一つ負っていないんだけどね。


「オリエちゃん、早く戻ってきてねー」


 サーチートをアルバトスさんに預け、着替えに戻るユリウスについていくと、ユリウスが少し不思議そうに、


「どうしてついてきてくれたの?」


 と聞いてきた。


「どうしてって……」


 あれ? 本当だ、どうしてついてきたんだろう?


「俺の着替え、手伝ってくれるの?」


 突然何を言い出すのか。からかわれた私は赤面したけど、悔しかったので、ちょっとやり直す事にした。


「て……手伝ってあげても、いいよ?」


「え? そ、そうきたかー!」


 ユリウスは照れたように笑うと、優しく金色の瞳を細めた。


「じゃあ、手伝ってもらおうかな」


 と返されて、今度は私がそうきたかと思う。


「あ、でも、君に手伝ってもらいたい事がある。頼めないかな」


「いいよ、私にできる事なら、なんでもするよ」


 好きな人に手伝ってほしいと言われて、手伝える事があるのが嬉しい。

 それが着替えでも……まぁ、お手伝いするよ? 

 照れちゃうし、目を隠すふりをして、ガン見しちゃうかもしれないけど!

 だけどユリウスが手伝ってほしい事は、私にはとても意外な事だった。


「あのさ、髪を、切ってほしいんだけど」


「はぁ?」


 よく聞こえなかった。聞き間違いだろうか?


「ごめん、もう一回言ってくれる?」


「うん。髪を、切ってほしいんだ」


「この、綺麗な銀色の髪を?」


 私はユリウスの髪に手を伸ばした。

 サラサラの、艶々の、とても綺麗な銀色の髪。これを、切るだってぇ?


「嘘、だよね?」


「いや、本当だけど。邪魔だし」


 ユリウスはそう言うと、長い髪をかき上げて、もう一度邪魔だと呟く。


「ユリアナの時だって、本当は切りたかったんだ。だけど、カムフラージュにもなるからって事で、伸ばしてて……でも、今はもう要らないだろう?」


「要らないだなんて、言わないでよ。こんなに綺麗なのに。勿体無いよ……」


 なんとか思い止まってほしかったけれど、ユリウスとしては、どうしても切りたいらしい。


「オリエが嫌だって言うのなら、自分でナイフで適当に切るか、ジャンにでも頼んで、バリカンで刈ってもらおうかと思うんだけど」


 何を言い出すんだ、この元お姫様の男は! そんな事許されるはずがないだろう!


「そんなの、やだ! じゃあ、私が切るよ」


 私がそう言うと、ユリウスはにっこり笑って、よろしく、と言った。






 髪を切ると言っても、そんな経験はないから、見よう見まねだ。

 ユリウスを椅子に座らせて、はさみを持って彼の後ろに立つ。

 手先は器用な方だから、できない事はないはずなんだけど、私としてはこの綺麗な髪を切りたくないものだから、髪にはさみを入れた瞬間、涙がぽろりと零れてしまった。


「すごい罪悪感だ……。髪を切ってもらっているだけなのにね。あのね、髪はまた伸びるんだけどね」


「でも、切ったら、もう伸ばす気はいんでしょ」


「うん、ないね」


 そうだよねぇ、ユリウス、髪の毛を切る気満々だもんねぇ。


「でも、この綺麗な髪、もったいないよ」


「欲しいならあげるけど、使い道あるのかい?」


 使い道……確か、元居た世界なら、三十センチ以上あったら寄付できたんだっけ?

 だけど、他の人のユリウスの髪を渡すの、嫌だなぁ。


「使い道、ないかも……でも、やっぱり記念に……」


 ぶつぶつ呟いていると、苦笑したユリウスが、


「捨てちゃいなよ。本体がいるだろう?」


 なんて事を言いだした。


「本体?」


「そう、本体。君のそばに、ずっと居るから」


 振り返ったユリウスが優しく金色の瞳を細めて微笑み、私の後頭部へと長い腕を伸ばし、引き寄せて耳元で囁く。

 彼の甘く低い声はぞくりと体を震わせて、私は思わずはさみを握った手を動かしてしまった。

 シャキッ、という音の後、はらりと落ちる綺麗な銀色の髪。


「ぎゃーっ! 髪がー!」


 少しずつバランスを見ながら切ろうと思っていた綺麗な髪を、ユリウスの甘い声に動揺して、ばっさりごっそり切ってしまったー!


「あはは、気持ちいいくらい、ばっさり切ったねぇ」


 ユリウスはのんびりとそう言ったけれど、やらかしてしまった私は激しく動揺していた。

 形の良い後頭部の一房を、思いきりシャキッといってしまったのだ。


「ど、どうしよっ! ど、どうしようっ!」


 どうしようを繰り返す私がおかしかったのだろう、ユリウスは楽しそうに大笑いした。

 そして、


「もういいじゃないか。切ったところに合わせて、思いきり切っちゃってよ。おかしくなってもいいからさ。そのうち伸びて目立たなくなるだろうし、どうせ俺は、髪はバンダナか何かで隠すつもりなんだから」


 と言う。


「え? 隠すの?」


「うん。肌の色と瞳の色は、どうしようもないからね。魔法で色が変える事も考えたけれど、そこまでする事もないかなって……。でも、髪くらいは隠そうかと思ってさ。いろいろと、面倒だからね」


「面倒? 何が?」


「いろいろとあるんだよ、俺のこの色は。本当、伯父上の色に生まれたかったよ」


 ユリウスは深いため息をついて、思いきり切ってしまえと私を促す。

 そんなに深いため息をつく理由が何なのかはわからなかったが、私は頷くと、切ってしまったところに合わせて、はさみを使った。

 その結果、銀色のサラサラのロングヘアだったユリウスの髪は、前髪は長いまま、ショートヘアになってしまった。


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