第24話

 その後、私たちはいくらか歌を歌って、解散になった。カラオケ屋は私の最寄駅の近くではないため、電車に乗って帰ることになる。


 私は実梨と茉凛と肩を並べて歩いていた。歩調が自然と合うため、自然に歩くことができる。小牧と一緒だと、こうもいかない。


 小牧は先輩と何かを話しているようだった。私は彼女たちの後ろ姿を眺めた。茜色の光に照らされた彼女たちは、お似合いのカップルに見える。でも、それは多分見た感じだけで、心の矢印が互いに向くことはないのだろう。


 ほんとに好きになった人と付き合うことは、一生ない。

 彼女は言ったが、本当にそうだろうか。私よりも大きなその背中を見ていると、よくわからなくなりそうだった。


「わかば、先輩と話さなくていいの?」


 実梨が言う。


「あー、うん。別に、話すこともないしね」

「ふーん。あんなに好き好き言ってたのに。結局告白はしたの?」

「しなかった」


 勝手に好きになって、勝手に失望した私は最低だと思う。あれから私は、自分の感情が信じられなくなった。


 私は確かに先輩に恋していた、はずだ。でも、それはちょっとのきっかけで簡単に薄れてしまった。


 小牧に対する好きという気持ちも、嫌いという気持ちも、等しく薄れていく。


 強い感情は抱くべきじゃないのかもしれない、と思う。ピークを迎えずに、緩やかに感情を保ち続ければ、薄れることもないはずだ。少なくとも茉凛に感じている好きという気持ちも、友情も、今は薄れていない。


「恋に恋してたのかもね」


 私はぽつりと呟く。小牧の背中が遠のいていくような感じがする。


「そっかー。今は彼氏いないの?」

「うん。まだできたことない。実梨は?」

「……聞かないで」

「人の恋愛に首を突っ込む暇があるなら自分を磨きなさい」

「なにおう。偉そうに!」


 あはは、と笑い合う。小牧との狂った日常が嘘であるかのように、平和だった。


 電車に乗るのは私と小牧だけだったため、途中で実梨たちと別れて駅のホームを歩く。日曜夕方のホームはやはり混んでいて、私たちは自然に肩の距離を近づけて電車を待つことになった。


 話せることは、特にない。なんでいきなりデュエットを始めたかは聞きたいと思うが、聞いても答えないだろうとも思う。


 夏の風が、私たちを揺らす。思いがけないほど強い風が吹いて、私は小牧の方に流された。小牧は私の肩に手を置いて、抱き寄せるように支えてくる。


 熱いのは、風だけではないのかもしれない。

 私は彼女の顔を見上げた。頬を夕日の色に染め上げた彼女は、私を無表情に見下ろしている。

 眩しいな、と思う。私は目を細めて、彼女の頬に手を伸ばす。


「天使って呼ばれる理由、わかった気がする」

「いきなり何?」


 彼女は怪訝そうに柳眉を逆立てた。混じり気のない感情が顔に出ている。

 私は笑顔よりも、今みたいな顔の方が好きかもしれない。嘘偽りがなくて、天使みたいではないけれど綺麗だと思う。


「梅園は背が高いから、太陽の光を浴びやすいんだね、多分。だから光って見えて、天使なんて呼ばれるんじゃない」


 私は彼女の頬に触れた。彼女の顔を覆っていた光が、私の手の甲に移る。爪が光って、目が少し痛かった。


「……さっき。小牧って、呼んだ」


 小牧は無表情のまま言う。私は小さく頷いた。


「そうだね。それが?」

「……別に」


 別にと言うのなら、言葉にしなければいいのに。

 呼んで欲しいなら、そう言えばいい。今の私の尊厳は小牧のもので、小牧に何をされようと逆らうことはできないのだ。逆らったら最後、私は小牧に何をされるかわかったものではないのだから。


 でも、尊厳を引き合いに出して名前を呼んでなんて言われたら。それは、小牧が私にそこまでして名前を呼ばれたがっているということになってしまう。


 名前なんて、どうでもいいのに。

 特別だと思うから、変な感じになるのだ。あれこれ考えているのは私だけで、小牧は名前を呼んだって、きっと。

 でも、小牧って呼んだ、なんて言葉に出す程度には、私の名前呼びは記憶に残っている。


 一体、なんなんだろう。小牧の気持ちはいつだって、私にはよくわからない。

 わからない、はずだ。

 頬から手を離すと、急行の電車が駅を通過していく。


「小牧。小牧、小牧。小牧」


 どうせ聞こえないと思って、何度も彼女の名前を呼ぶ。名前は電車の音にさらわれて、すぐに消えてなくなってしまう。


 やっぱり、名前なんてただの音だ。

 他に大きな音があれば、どれだけ気持ちを込めたって消えてしまう、儚くて意味のないもの。なら、呼ぼうが呼ぶまいがどうでもいい。


「わかば?」


 小牧が私を見下ろしている。私は笑った。


「嫌い」


 無色の嫌いが虚しく響く。それは確かに小牧の耳に届いたはずだけれど、彼女は表情を変えない。


 今何を考えているのか、手にとるようにわかったらいいのに。

 色のついた「嫌い」という感情が彼女の心を埋めていれば、私は多分安心することができる。でも、心の中なんて見ることができないから、私はとん、と彼女の心臓のある辺りを押した。


「堕天しちゃえ」


 彼女には、完璧ではなくなってほしい。でも、色んなものを混ぜたまずいドリンクみたいにはなってほしくない。


 最初の形を失って、完璧でなくなっても。その後の姿が、誰かにとって素晴らしいものであればいいなんて、そんなことを思う。

 小牧は何も言わずに、私を見ていた。

 その瞳には、よくわからない感情が溢れんばかりに満ちていた。

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