第23話


「ほんと久しぶりだねー、わかば」

「あんたが辞めたせいで大会ボロ負けだったよ」


 一通り皆が歌い終わると、会話の時間が始まった。久しぶりに会うといっても、やはり元々仲良かった友達なので、問題なく接することができている。心が少し中学生に戻っているためでもあるかもしれない。


「いや、それ私のせいじゃないでしょ。私以外が弱すぎるのが悪い」

「うわ、言ってはならないことを」

「ていうか、梅園がいたでしょ。何でボロ負けなの」

「小牧、あんたが辞めてからあんま来なくなったし。それに、一人強くても団体戦はダメでしょ」

「私と梅園二人だけでも、結局ダメだと思うけどね」


 私とは別のテーブルにいる小牧は、相変わらず愛想良く他の人と話していた。時が経ったことで、先輩も小牧と冷静に話せるようになったらしい。付き合う前と同じように、小牧と先輩はにこやかに話をしていた。


 小牧と、先輩。どちらも私がかつて好きだった人だ。でも、どちらにも、もう、幸せになってほしいという感情以外はほとんどない。


 先輩は小牧のことなんて忘れるべきだと思うし、小牧は私の知らないところで幸せになってほしいと思う。好きだという感情はとっくの昔に灰になっていて、その残滓が微かに私の心を動かしているのかもしれない。


「ていうか、ずっと聞きたかったんだけど。何で辞めたの?」

「んー、まあ、色々」

「一時期すごい塞ぎ込んでたけどさ、何があったのさ」


 質問攻めである。

 あの事件に対する私の気持ちはもう冷めている。あれ以来生まれた嫌いという感情も薄れてきていて、今の私は感情の残りかすが積もっているだけだ。


「思春期特有の病気かな。でももう復活したから」

「あ、じゃあさ、今度遊び行かない? 死にそうな顔してたから、ずっと誘いづらかったんだよね」

「いいよ。後で連絡して」


 私たちはそのまま、失った時間を取り戻すようにたわいもない話を続けた。こうしていると、自分が置かれている状況も忘れて、普通の人間に戻れるような気がする。


 思えば、彼女に尊厳を奪われて、それを取り返そうとしているって、どうなんだろう。客観的に考えるとおかしすぎて、笑ってしまいそうになる。


 実際は笑い話にできないほど切羽詰まっていて、私は崖っぷちに立たされているのだけれど。


「小牧も行くー?」


 実梨が聞く。彼女の中で、私と小牧はセットになっているらしい。


「何の話?」

「今度皆で遊びに行こって話」

「うん、行く。楽しみだね」


 にこにこ、にこにこ。

 正体を知っている私からすれば不自然極まりない笑みが浮かんでいる。小牧は何を思ったのか、私のテーブルに近づいてくる。


 実梨がそっと隣を譲った

 そういう気遣いはいらない。

 小牧は私の隣に座った。


「二人って、同じ高校なんでしょ? 茉凛に聞いたよ」


 違うテーブルで、茉凛が手を振ってくる。彼女は私たちの情報を別の人に流すのが趣味なんだろうか。いや、聞かれたら別に、隠すほどのことでもないのだ。私がむしろ、過剰に反応しすぎなのかもしれない。


「いいなー。仲良い友達と同じ高校なんて。こいつ受験失敗してさ。同じ高校行こうねーって約束したのに」

「るっさいわ。まだ傷が癒えてないんだから、余計なこと言わないで」


 確かに、茉凛と同じ高校に行けたのは嬉しい。しかし、小牧もついてくるなんて、私は思ってもみなかったのだ。


 四月に同じ制服を着た小牧の姿を発見した時の驚きは、きっと誰にもわからないだろう。


「どっちが誘ったの?」

「いやいや。別に、梅園は関係ないよ。私は茉凛と一緒の高校に行こうねって話してて、梅園は偶然だし」

「へー」


 興味があるんだかないんだかよくわからない様子である。私は小さく息を吐いた。


「わかばわかば、ほら」


 反対側に回り込んだ実梨が私の耳元に顔を寄せてくる。


「呼んであげなよ、小牧って」


 小牧。

 その呼び方に、元々意味はなかった。嫌いな相手を名前で呼びたくなくて、彼女を梅園と呼ぶようになって。それから、かえって小牧という呼び名が特別なものになってしまった。


 心の中では小牧はずっと小牧だけれど、口から出力される名前は「梅園」と変換される。


 ふざけて小牧と呼んだことは何度かある。でも、自然に彼女のことを小牧と呼んだのは、前に見舞いに行った時だけだ。


 今更苗字で呼ぼうと名前で呼ぼうと、私たちの関係は何も変わらないと思う。


 梅園には私の燃え尽きかけた敵意が込められている。なら、小牧には?

 小牧という名前に、私が込められる感情はどういうものだろう。


「……はぁ」


 どうでもいい、と思う。ここでとりあえず小牧を名前で呼んで、何かを期待しているらしい実梨を静めるべきだろう。


 小牧の名前を口にしようとすると、途端に唇が重くなる。

 どうでもいい。名前なんて、本当にどうでもいいのに。


「ねえ」


 私は小牧の肩に手を置いた。彼女は私の方をじっと見つめてくる。


「……小牧」


 小さく呼ぶと、小牧は一瞬、目を見開いた。しかし、すぐに無表情になり、訝るように私を見てくる。それは、傍目にはわからない程度の変化だった。


「どうしたの、わかば」

「別に。呼んだだけ」


 やっぱり、名前で呼んだって何も変わらない。

 小牧が名前で呼ばれたがっているなんていうのも、実梨の勘違いだ。私は思わずため息をついた。

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