第20話

「……あ」


 小牧はお面の屋台を見て小さく声を上げた。彼女の視線の先には、あのシャーペンに描かれたものと同じキャラクターのお面がある。


 私たちが小さい頃に流行っていたアニメで、主人公は魔法使いの女の子だった。私もそれに憧れて、魔法使いになりたいなんて思ったことがある。

 懐かしい心地になって、私は少しお面屋に近づいた。


「いらっしゃい。どれにする?」


 ちょっと見たかっただけなのだが、威勢のいい声を浴びせられると、買わなきゃいけないような気がしてくる。


 高い買い物じゃないから、いいか。

 私はいつの間にか小牧に掴まれていた手を動かした。


「欲しいのある? 特別に買ってあげるよ」

「別に、ない」


 小牧は無感動に言った。高校生にもなってお面できゃっきゃと喜ばれても困るが、こうも可愛げがないのもどうかと思う。


 仕方なく私は、件のアニメキャラのお面を買って頭につけた。なんだかひどく浮かれた見た目になっている気がするが、それも祭りの醍醐味だと思うことにする。


「ほら、見てみ。主人公っぽいでしょ」

「主人公っていうか、顔が馬鹿。アイス落として泣く子供役の方が合ってると思う」

「何を言うかコラ」

「その言動がもう主人公じゃないし。チンピラに転職したら?」


 彼女はいつもと変わらない声色で呟いた。こういう会話をしていると、少し落ち着く。今の私と小牧に一番適した距離感というか、関係というものは、こういう感じなのだと思う。


 小牧は私の尊厳を奪って、大事なものも奪って、傷つけるためなら何も恥ずかしくない、みたいなスタンスでいる人間だ。正直言って最低最悪だし、ねじ曲がりすぎて訳がわからない。


 でもこうして話していても、居心地は悪くない。色々ムカつくし、嫌いなところも多いし、性格悪いなぁ、と思うこともあるけれど。

 ほんと、なんなんだろうな、私たち。


「昔はさ。魔法使いになりたかったんだよね。可愛いし、かっこいいし。まあ、そんなのなれないってわかったから、自分なりに生きよってなったんだけど」


 ふらふら歩いていると、花火の光が目に入る。そろそろクライマックスが近いらしく、打ち上がる花火の量が先ほどよりももっと増えてきている。


「魔法使いだったら、どんな人も笑顔にできたのかなぁ」


 小牧は何も言わない。ただ無表情で、私を見ている。

 魔法使いにはなれない私に向ける表情としては、きっとこれが正解だ。笑顔なんて向けてくるわけがない。


「梅園は魔法使いになりたいって思ったこと、ある?」


 小牧は目を細めた。


「ないよ」

「うえー。夢のない子供だ。一回くらいないの? まじですか?」

「しつこいし」


 小牧は鬱陶しそうに眉根を寄せた。


「じゃあ、なんでこれ、私と見てたの」


 私は頭のお面を指差した。小牧は私を見下ろしている。


「わかばが見せてきたんじゃん。私は興味なかった」

「まあ、そうか」


 確か、お揃いのシャーペンを買おうと提案したのも、私の方だったと思う。


 好きでもないアニメを薦められて、シャーペンも買って。そういう積み重ねが、小牧の中に嫌いという感情を育てていったのかもしれない。


 でも、じゃあ、シャーペンをバッグに入れて大事そうに持っているのはなぜなのか。私への恨みや嫌いという感情を忘れないための道具なのかもしれない、とは思うが。


 夜な夜なあのシャーペンを、ぬいぐるみに突き刺したりしていたのかもしれない。想像すると、ちょっと怖い。


「……魔法使いになんて、ならなくても。魔法は見れるし」


 小牧はポツリと呟いた。私の手を掴む力が、少し強くなる。


「魔法って、どこで見れるの。神社?」

「どこでも」


 小牧がそんなことを言うとは、思っていなかった。彼女は魔法を信じている子供を嘲るような人間だと思っていたが、存外に純真なのだろうか。


 いや、純真な人間は人の尊厳を奪ってこない。

 しかし、魔法、魔法かぁ。そんなもの今は信じていないが、実在するなら見てみたいと思う。


 多分、小牧の心からの笑顔は、魔法みたいなんだろう。

 もし見たいと思っても、それは実在しないものだから、決して見ることが叶わないとわかっている。


「それはすごい。私もいつか、見てみたいかも」


 私はそう言って、ゆっくり屋台を見て回る。

 ある屋台の前で、小牧は足を止めた。手を引っ張られて、屋台に目を向ける。そこにはわたあめと書かれた屋台があった。


「ん、これ?」

「そう。奢ってもらうから」

「もちろん」


 私はわたあめを一本買って、彼女に手渡す。彼女はしげしげとわたあめを見つめてから、やがてそっと齧り付いた。


「……甘い」

「砂糖だもの」


 別にカロリーを気にしているわけではないけれど、あのでかいふわふわを一本食べる気にはなれなくて、彼女の分だけを買った。彼女の好きなものは知らないから、わたあめを食べて喜んでいるのかそうでないのかもわからない。


 嫌いなものは、知ってるのに。

 白くてふわふわしたわたあめの向こうに、ぼんやりと小牧の顔が見える。私にとって小牧は、いつだってそう見えている。霧の向こうにいるかのようにはっきりしなくて、よくわからない。


 凡人に理解できないのが、天才というものではあるのだろう。

 私は小牧を真に理解したいと思っているのか、なんなのか。

 わからないから、何も言わずに小牧を見つめた。


「食べれば」


 小牧はぶっきらぼうに言う。他者に見せてる愛想の良さが嘘であるかのように。


 どっちが本当の小牧かなんて、私にはわからない。

 むしろ私が猫を被っていると勝手に思っているだけで、あれが小牧の素なのかもしれない。私に見せるこの態度こそが作り物で、嫌いな相手にしか見せない、本当じゃない小牧。


 そうであっても、おかしくはない。


「わたあめって、あんまりシェアするものじゃないと思うけど」

「口答えはしなくていい」

「命令じゃんもはや。怖いし」


 私は彼女の方に顔を近づけて、わたあめを齧った。喉が焼け付くように甘くて、ちょっと舌が痛くなる。小さい頃はこれを喜んで食べていたが、今となってはその頃の気持ちがわからない。


 自分のことなのに、他人のことのように思った。

 変わらない気持ちも、確かにあるのに。それでも私は、かつてとは別人なのだ。それが少し、心許ないようにも感じられる。


「もっと、こっち」


 彼女は屋台の影に隠れるように移動する。私はそれを追いつつも、わたあめを口に含んでいく。


 高校生が二人して、こんな暗がりでわたあめをシェアしている。ひどく滑稽にも思えるが、近くから見る小牧の表情は真剣だった。


 こんな顔でわたあめを食べている人なんて、この会場内で小牧だけだろう。


「梅園。顔、わたあめついてる」

「どこに」

「ほっぺたんとこ」


 私は自分の頬を指差した。わたあめが頬に張り付いているのに、小牧は取る気配がない。挑戦的な目で、私を見つめるのみである。


 何を言われるか察した私は、彼女の頬に手を伸ばしてわたあめをとり、自分の口に運んだ。


 味は変わらない。でも、小牧を覆っていた霧が晴れたような気がして、心がほんの少しだけ、軽くなったように思えた。

 馬鹿みたいだ。というより、馬鹿だ。


「わかばもついてる」

「どのへん?」


 私が聞いても、小牧は答えずに顔を近づけてきた。気付いた時には唇を割られて、舌を吸い出されていた。


 こんなところで、何をしているのか。睨んでみると、小牧はふっと笑った。


「口の中」

「それ、ついてるって言わないから」


 小さく息を吐いて、残りのわたあめを食べていく。

 わたあめのおかげで夏織に焼きそばを全部食べられたことを忘れたのか、小牧は機嫌が直ったらしい。不機嫌そうな顔から、無表情に戻っている。


 楽しそうに笑うほどではないらしい。さっきはちょっと笑っていたが、幻かもしれない。


 わたあめがついていた割り箸を捨てて、茉凛たちの方に戻ろうとした時、一際大きな音を立てて花火が上がる。最後の盛り上がりに差し掛かったらしく、今までとは比べ物にならないほど強い光が夜空に瞬いた。


 夜空を埋め尽くす花火に照らされて、小牧の顔が見える。

 茶色の目が見開かれて、私の姿が大きく映った。背中までかかった長い髪が風に揺れ、幻想のように美しく光を反射させる。


 人間のくせに、生意気。

 何目線の感想なのかわからないが、私は思わず心の中でそう呟いた。


 小牧の手がそろそろと私の頬に伸びてきて、触れる。またキスをされるかと思ったが、何もされない。ただ小牧は、じっと私の目を見つめていた。私の奥底まで、透視するかのように。


 小牧は私を見えないと言った。

 でも、確かに彼女の瞳は私を見て、私を映している。じゃあ、小牧の目には、一体私がどう見えているのだろう。


 疑問はそっと胸にしまうしかなくて、私はほんの少し、胸が痛くなるのを感じた。

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