第18話
「わかばー。こっちこっちー」
ゆるい茉凛の声に誘われて、彼女の方に歩いていく。
午後五時五十分。徐々に日が沈み、空が群青色に染まり始めた頃、私は祭り会場の近くに集合していた。
茉凛は青の浴衣を着ていて、長い栗色の髪を頭の後ろで結んでいる。風情があるというか、何というか、とにかく綺麗である。
「早いね。浴衣、似合ってる。可愛いよ」
「ほんと? よかったー。わかばも似合ってるよ」
「私はいつもの格好だけどね」
「いつもの格好が似合ってるのが一番だよー」
茉凛は去年も浴衣を着ていたが、その時も似たような会話をした気がする。小さい頃は私も浴衣を着ていたのだが、動きづらくて面倒だからいつからか着るのをやめてしまった。
小牧はどうだっただろう、と思う。彼女は何を着ても着こなしてしまうから、かえってどんな服を着ていても印象に残らないのだ。
「そうかもね。……夏織と梅園は、まだか」
「うん」
夏織も一応誘っていたが、彼女は行けたら行くという適当な反応だった。彼女は住んでいるところも違うし、この暑いのに電車に乗ってこんなところまで来たくないというのもわかる。
「茉凛はいつも来るの早いよね」
「待ってるのが好きだから」
一時期、茉凛よりも早く集合しようとして、どちらが先に来られるか勝負しているみたいになったことがある。最終的に待ち合わせ二時間前に二人とも集合するようになって、流石に馬鹿馬鹿しく思ってやめた記憶がある。
私が十分前に来て、茉凛がそれよりも少し前に来る。そういう関係が、私たちには合っているのだと思う。
「待ってる時間、何してんの?」
「わかばのこと考えてる」
「え、それだけ?」
「それだけ」
何とも言えない発言だ。茉凛は少し変わったところがある。しかし、裏表なくいつも素直に言葉を伝えてくれるところが快いと思う。
「私、そんな考えられる要素あるかね」
「あるよ。どんな服着てるかなー、とか。どんな顔で来るかなーとか」
ぼんやりした会話が続く。やはり今日は祭りに繰り出す人が多いのか、私たちの前を浮かれた様子の人々が通り過ぎていく。
しばらく話を続けていると、やがて、遠くから夏織と小牧の姿が見えてくる。どうやら途中で合流してきたらしい。夏織は相変わらず、挙動不審だ。
「お待たせ」
小牧が言うと、茉凛が応じた。
「ううん。そんなに待ってないよー。じゃ、行こうか」
夏織と小牧は普段通りの格好をしている。やはり、小牧も浴衣は着ないらしかった。
私たちは二列になって歩き始めた。自然にこの前と同じく、私と茉凛、小牧と夏織の組み合わせになった。
小牧と並んで歩くことにならなくてよかった、と思う。最近の私は彼女に向けるべき感情を見失っていて、いまいち平常心でいられていないような気がするのだ。
だから変わらない茉凛と接していると、心が落ち着く。茉凛に向ける感情はいつだって混じり気のない「好き」で、それを疑うことはないし、気持ちが薄れることもない。
笑いかけたら、笑い返される。健全で、普通で、一番心地良い関係だと思う。
私たちはそのまま祭囃子の中をしばらく歩いて、屋台でかき氷を買った。ここのかき氷は好きなだけシロップをかけられるシステムで、私はこれ幸いと馬鹿みたいに大量のメロンシロップをかけた。
緑色のかき氷は、最近流行りのふわふわのものではなく、ガリガリ系のやつだ。これはこれで悪くない。
歩道の隅に座ってかき氷を食べていると、不意に茉凛がべっと舌を出してくる。
舌の色は、青。
ブルーハワイの色だった。私はにこりと笑って、軽く舌を出した。
「宇宙人だ」
「いくつになってもやっちゃうね、こういうの」
思わず二人で笑い合う。そこで私は、この前食べ損ねたかき氷のことを思い出した。
「この前、何のかき氷食べた?」
「いちごみるく。美味しかったよ」
「うわー、いいな。私も行きたかった」
「今度はちゃんと行こうね。……あの日、用事ができちゃったんだっけ?」
「そう。ほんと最悪だよね」
少し離れたところに座る小牧に目を向ける。彼女は無表情で私たちを眺めていたが、夏織に話しかけられると笑顔に戻った。
「梅ちゃん?」
「え、何が?」
ぎくりとして、私は一瞬固まった。
「用事って、梅ちゃんかなーって」
小牧の様子を窺ってみるが、彼女は何も言う気配がない。ならば私も余計なことは言わない方がいいと思い、何でもないように笑ってみせた。
「違う違う。親に早く帰ってこいって言われちゃってさ」
「ふーん、そっか」
茉凛は一瞬、ちらと小牧を見たような気がした。
私はシロップなのか氷なのかわからないほどに緑色に染まったものを口に入れた。小牧と違い、私と茉凛の関係に後ろ暗いところはない。だからかき氷を食べながら、いつものように中身のない雑談を続ける。
その間、時折小牧の視線を感じた。
心配しないでも、茉凛に余計なことを言ったりなんてしないから。
私はそういう意味を込めて彼女に目を向けたが、顔を逸らされた。
別に、いいけれど。
私も少し小牧から目を逸らす。白いトートバッグが目に入った。それは、この前部屋に置いてあったものと同じだ。中にはまだ、シャーペンが入っているのだろうか。頭の隅に押しやっていた疑問が、少しだけ頭をもたげる。
私は首を振った。
かき氷を食べた後、私たちは花火が打ち上がる会場に向かってだらだら歩き出した。祭りの空気に当てられていつもより饒舌になる代わりに、足取りはいつもより重くなる。立ち並ぶ屋台をぼんやりと眺めていると、手を握られた。
小牧のものとは違う、温かくて小さな手。それは、茉凛の手だった。
「はぐれないようにしないとねー」
茉凛はにこにこと笑っていた。私は彼女の手を握り返して、微かに笑った。
確かに、こう人が多いと手を繋がずにはいられないかもしれない。
四方八方を囲むのは顔も名前も知らない人ばかりで、ひとたびそこに紛れ込んでしまったら、知っている人でも知らない人のように見えてしまいそうである。
だから私は少しだけ強く茉凛の手を握って、前を見た。
前を歩いていたはずの夏織たちの姿がない。周りに目をやってみても、それらしい影は見えなかった。
「夏織と梅園は……」
口にしかけた言葉が、どん、という大きな音にさらわれて消えていく。どうやら、花火が打ち上がる時間になったらしい。
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