第11話
結局あの後、四人で近くのカフェに寄って軽食をとってから解散になった。夏織は運動不足が祟ったのか、電車に乗っている最中爆睡していた。
テニスコートから一番家が近いのは夏織だったから、可哀想だと思いながらも起こして下車させる。
住んでいる地域は同じだけど最寄りが一駅違う茉凛と別れて、小牧と二人きりになる。後一駅で私たちの最寄りに着く。そんなタイミングで、小牧は私の膝の上に手を置いた。
手は徐々に上へ上へと来て、私の腕に触れる。何がしたいのかがわからず、周りに目を向ける。同じ車両には、ほとんど人がいない。乗っている人も遊びに行ってきて疲れているのか、船を漕いでいた。
まさか服を脱がされたりはしないだろうと思いながらも、じっと彼女の手を見つめる。
西日に照らされて、白くて細い指がきらめく。何かを塗っているらしい爪は、瑞々しい輝きを秘めている。私はその光で、少し目が痛くなった。
「爪。何塗ってるの?」
奇妙な空気を打ち破るように、尋ねる。
「クリアネイル」
「へー……綺麗だね」
言われ慣れているだろうセリフだ。だから彼女は、表情一つ変えない。変えられても困るけれど。
「わかばも、塗れば」
「私? 私は、いいや。見てるだけで十分」
「ふーん」
彼女は相変わらず、興味がなさそうだった。会話が止まる。かつては沈黙の方が珍しいくらいにはよく話をしていた気がするが、高校生になってからは、こうして何も喋らなくなる時間の方が多くなった。
互いのことが嫌いだとわかっているのに白々しく仲良くしようという気は、私にはないし、小牧にだってないのだろう。
今の私たちにはこの沈黙が合っていて、これが適切な距離感というやつなのだ。
順番こで話を振って、先に話題がなくなった方が負け、という勝負はどうだろうか。
挑んだら、負ける気がする。やめておこう。流石にここで尊厳がどうのといって無茶なことはしてこないだろうから、今は勝負のことを忘れてもいいだろう。
「ねえ、わかば」
「ん?」
「今日、土曜だよ」
「知ってる」
忘れているはずがないとは思っていたが、やはりである。お母さんには小牧が遊びに来ると連絡してあるから、逃げ場がない。
今度は何をされるのだろう。少し、不安になった。
「本当に、来るつもり?」
「なんで」
このなんでは、なんでそんなくだらないことを聞くのか、の意だろう。
「高校生にもなって二人きりでお泊まり会って、変じゃない? しかも、二人ですることなんてないし」
「……ある」
「何すんの」
「ゲーム」
思わぬ言葉だった。確かに小牧とは昔よくゲームをしていた。だが、高校生が二人きりでお泊まり会を開いてゲームをするというのは、なんだかおかしなことのようにも思える。まして、仲がいいならともかく、私と小牧である。
「……そんなことのために、わざわざ泊まるなんて言ったの?」
「うだうだ言わないで。わかばは何も疑問を抱かなくてもいいの。最初から、拒否権なんてないんだから。理由なんて考える必要ない」
強引だ。確かに、まだ彼女との勝負に勝てていない私には、尊厳が認められていないのだから拒否権もない。
彼女が私の家に来たい目的がどうあれ、断れないのだから理由など考える必要はないのだろう。
私は小さく息を吐いた。
すると、手を握られる。きゅっと、確かめるように、大事なものに触れるように。その感触を信用することができなくて、体がこわばった。何を企んでいるんだろう、なんて思う。
彼女の表情を見ると、相変わらず無感動だった。私の手を握って、何がしたいのだろう。私が嫌がる様を見たいのか。ならばと思い、嫌そうな顔をしてみる。小牧は瞬きせずに私の顔を見るだけで、楽しそうな顔なんて一切浮かべない。
恥を恥とも思えないほどに、私を傷つけたいのではなかったのか。
やっぱり、わからない。
強引かと思えば、静かに手を握って。一体、なんなんだ。
「ねえ」
かたん、かたん、と電車が揺れる。たった一駅なのに、その距離がひどく長く感じる。引き伸ばされたみたいに時間が緩慢に流れて、その分小牧の体温をじんわりと長く感じる。
「茉凛と何話してたの?」
ずっと仲良い友達のままでいられればよかった。
最初から、小牧は私のことが嫌いだったって、わかってはいる。
でも、初めて会ってから十年以上友達として付き合ってくれていたのだから、偽りの関係を疎遠になるまで続けて欲しかった。そんなのただのわがままだけれど。
「私の右腕の話」
「何それ。組織の者か何か?」
「私の右腕、茉凛のものなんだって」
私の右手を握る小牧の手に力が入る。少し、痛い。
「私のものでしょ」
「私の体の所有権を主張するのって、流行ってたりする? 夏織に左腕取られたらどうしよう」
くすくす笑う。でも、小牧はくすりともしない。
私の大事なものを奪おうとしている小牧は、私の右腕が誰かの物になるのが気に入らないのだろうか。確かに右腕は大事なものだ。でも、茉凛にも小牧にもあげるつもりはない。
「わかばの所有権は、私にあるから」
「尊厳だけじゃないんだ」
「尊厳を捧げるっていうのは、全てを捧げるってことだよ」
「拡大解釈じゃない?」
電車が緩やかに速度を落としていく。茜色に染まった窓の外の景色が、見慣れたものに変わっていく。駅のホームが見えてきて、私は立ち上がろうとした。
「どうせ、同じだよ。勝負を続けてれば、わかばの大事なものは全部私のものだから」
彼女は勝つことを疑っていない。今日だって私は負けたのだから、当然かもしれない。
「そのうち私の臓器、オークションにかけられたりしてね」
ぷしゅ、と音がして、電車の扉が開く。夏の風が電車の中に吹き込んできて、私の髪も、小牧の髪も流れていく。
「勝つから。一年後でも、二年後でも、いつか」
「三年後は?」
「高校卒業するまでには、勝つ」
私はもう片方の手で彼女の手を握って、立ち上がらせた。急いで扉の外に出ると、熱気が肌にまとわりつく。それでも小牧は手を離そうとしなかった。
「もし私が勝ったら」
駅のホームで両手を繋いでいる高校生。きっと傍から見れば、奇妙なんだろうと思う。
「一個だけでいいから、私の願いを叶えてよ」
「お願いできる立場じゃないけどね、今のわかばは。……でも、いいよ。勝てたらね」
「言質とったから。約束守ってよ」
もし私が勝ったら、小牧とは一切の関係を断つべきだろう。
元々私が勝手に彼女に突っかかって始まった関係だ。なら、勝利と共に終わらせるのが一番いい形だろう。
互いのことが嫌いになった時点で終わらせるべきだった関係が、様々な要因によって断ち切られることなく続いてしまった。ねじれて絡まってしまった関係は、もはや修復が不可能だから、行き着く先は一つしかないのだ。
このまま今の関係を続けていたら、私は多分、おかしくなる。
勝たないといけない。何があっても。
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