第10話
管理事務所の備え付けのシャワーを浴びて、着替えを済ませる。今日は三時間しかコートを借りなかったが、小牧がいたためか、茉凛と二人で遊ぶ時の数倍は疲れた。
しかし、早くに来たため、まだ現在時刻は午後二時で、遊ぼうと思えば追加で遊べる時間だ。
前を歩く夏織が「筋肉痛確定だよー」なんてぶつぶつ文句を言っている。小牧が肩を並べると、夏織は目に見えて動揺して、挙動不審になった。わかりやすいなぁ、と思いながら、私は苦笑した。
「夏織ちゃん、梅ちゃんのことほんと好きだよねー」
「確かに。挙動不審。あれじゃ不審者だよ」
私たちはくすくすと笑い合う。夏織は必死に小牧と話しているためか、わたしたちの会話が聞こえていないらしい。
「憧れなんだって」
「うん?」
「困ってる人を助けてる姿がかっこよくて、憧れるようになったって言ってた」
「へえ」
小牧が人を助けるなんて殊勝なことをするとは驚きである。しかし、彼女の外面の良さは筋金入りだから、そういうことをしていてもおかしくはない。
でも、きっと心の中では、こんなことで困るなんて、みたいな見下し方をしているんだろうなぁ。
「わかばはどう?」
「何が?」
「梅ちゃんのこと、好き?」
丸い瞳が私を見つめている。茉凛はおっとりしているが、意外と目力がある。心の骨格を見透かされているような気がして、私は目を細めた。
「どうだろうね。好き、ではないかな」
本当は、嫌いだ。嫌いなものを三つだけ消してあげると言われたら候補に入るくらいには。
でも、同時に、自分でも不可解なほどに彼女を気にかけている。過去の失敗のせい。
だけじゃなくて、なんだか放っておけないというか、無視できない。
それは彼女があまりに完璧なためでもある。完璧という座から引き下ろして、笑ってやりたいという気持ちだって、確かに存在してる。
だから今まで勝負を挑んできたし、これからも挑み続けるのだ。
しかし、改めて考えてみると、私と小牧の関係は複雑だ。互いに嫌い合いながらも一緒にいて、勝負なんてしている。傍から見れば仲良しなのかもしれないが、実際の私たちは絡まった糸みたいにぐちゃぐちゃでわけがわからない。
ただ一つ確かなことがあるとすれば、私たちが互いを好きになることは、絶対にないということだけだ。
「ふーん……?」
茉凛は首を傾げている。何か、おかしなところでもあっただろうか。
「私が見てる限りだと、そうじゃないんだけどなー」
「どういうこと?」
茉凛とは、小牧について話すことなんてほとんどなかった。私たちは二人でいると、もっと別のことで会話が弾む。
「だって、梅ちゃんのこと見てる時のわかば、すごく優しい顔してるから」
私は目を丸くした。そんなことを言われたのは初めてだった。昔ならまだしも、今の私がそんな顔で小牧を見ているはずがない。
確かに、小牧を恨む気持ちはもう残っていない。でも確かにあの時の恨みが私の心に小牧を嫌いになったという結果を残していて、だから私は今でも小牧のことが嫌いなのだ。
それに、先に私のことが嫌いだと意思表示してきたのは小牧だ。私はあの事件が起こるまで、小牧のことは大事な友達だと思ってきた。
それなりに仲が良くて、度々勝負を挑みはしていたけれど、好意だって抱いていたのだ。
たとえ普通の人を見下していても、一緒に遊ぶとやっぱり楽しくて。そんな私が小牧のことを嫌いになったのは、あの事件がきっかけなのだ。
だが、多分、私は嫌いという感情よりも、恨みという感情よりも、一番強く抱いた感情は、悲しみだったと思う。
私は彼女に友情を抱いていて、言葉にはしないけれど彼女も同じだと思っていたから。
傷つけたいと願うほど、私のことを嫌いっていると知って、悲しかった。
そのくせ修学旅行では私を抱き枕にしようとするから、私は彼女のことがわからなくなった。
高校だって、彼女の成績ならどこにだって行けたはずなのに、わざわざ私と同じ高校を選んだのはなぜなのか。別に、家からすごく近いわけでもないのに。
わからない。あの事件があってから、小牧のことが余計にわからなくなった。
でも、色んな疑問を彼女にぶつけたりなんてしたら、また悪い変化が起きるのではないか。そんな不安に駆られる。
もっとも、尊厳を奪われている現状が一番悪いのだろうけれど。
「茉凛が言うならそうなんだろうけど。あっちも私のこと、好きではないと思うよ」
「そっかなぁ。んー……ま、いっか。わかばー」
「はいはい」
茉凛は私の腕をとって、自分の腕に絡ませる。猫みたいだ、と思う。程よく筋肉のついた腕は、小牧のものとはやはり違う。どちらがいいかと言われれば、持ち主の差で茉凛の方だろう。
「わかばは小さくてかわいいねー」
「いや、皆が大きすぎるだけだと思うんだけど」
今更大きくなりたいなんて思うほど子供ではないが、背が低いとこうやって軽んじられるから困る。
単に私が人から舐められやすいだけかもしれないが。
……いや。舐められるって、小牧みたいにお腹を舐めてくるような人は流石にいない。
どうしてそっち方面のことを考えてしまうのか。
「わかばの右腕は私のだねー」
「私のでしょ。勝手に所有権を奪わないで」
「あははー」
もう夏だというのに、彼女はベタベタと私にくっついてくる。長い髪が腕に当たって少しくすぐったい。
しかし、茉凛の行動が突拍子もないのは今に始まったことでもないし、くっつかれるのは嫌いではない。だから私はそれ以上何も言わなかった。
歩いていると、不意に小牧が私たちの方を向く。彼女は何を考えているのかわからない無表情で、私と茉凛を眺めていた。でも、それはほんの数秒で、すぐに夏織に笑顔で話しかける。
笑っている姿は、普通の高校生だ。
私の前でも、普通の高校生らしくしていればいいのに。そしたら私だって、もっと和やかに彼女に接するかもしれない。
実際は、いつもと同じ感じになるだけだろうけど。
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