第8話

 一番ではないけれど、何だかんだ仲の良い友達。それが中学二年生までの私にとっての小牧だった。


 それが変わったのは、当時好きだった先輩が小牧に取られてから。

 いや、取られた、というのは語弊がある。片想いしていた先輩と小牧が付き合って、一ヶ月も経たないうちに小牧が先輩を振ったのだ。


 それだけなら普通によくある話だろう。何となく付き合ったけれど、何かが違って別れた。そんな話は、友達からも何度も聞いたことがある。


 でも、それだけで終わらなかったから、私は小牧のことが嫌いになったのだ。


「わかばがあの人のこと好きだって知ってたから付き合った。だから、捨てた。別れる時、なんて言ったと思う? 俺のどこが不満なんだー、いやところは直すからーだって。前提がそもそも違うのにね」


 小牧は平然とそう言い放った。多分、あの時ほど人を恨んだことはないと思う。


 色んな感情がぐちゃ混ぜになって、喉をかきむしりたくなったのをよく覚えている。


 私が小牧と出会っていなかったら、先輩は傷つけられずに済んだかもしれない。憎いのは私を傷つけるために先輩を傷つけた小牧だった。


 でも、私がそもそも小牧に嫌われるようなことをしなければよかったのかもしれない。


 小牧があんなことをした原因の一端は、間違いなく私で。私が遠因になって好きな人が傷ついて。


 何より、必死になって小牧に縋る先輩に勝手に幻滅してしまう自分が、誰よりも最低だと思った。


 小牧の性格が歪んだ原因も、多分私にある。私がもっとしっかりしていたら彼女は人を今より見下していなかったかもしれないし、今より性格が歪んでいなかったかもしれない。

 全部後の祭りで、今ある現実が全てだと、わかってはいるのだけれど。





「いやぁ、晴れてよかったねー」


 猫みたいに目を細めて、茉凛が言う。薄いピンクのテニスウェアを着た彼女は、春の妖精みたいだった。


 今は七月だから、季節外れだ。

 私たちはこの前の約束通りテニスコートに来ていた。休日のコートにはまばらに人がいるが、混んでいるというほどでもない。


「うん、テニス日和」


 小牧が応じる。小牧は白いウェアを着ていた。クレーコートでドロドロになればいいのに、と思う。


 テニスにはあまり良い思い出がない。件の先輩とはテニス部の先輩後輩の関係だった。男子テニスと女子テニスは部が分かれていたけれど、私は頻繁に先輩に会いに行っていた。


 恋に恋していたのかもしれない、とは思う。爽やかでテニスが上手で、さりげない気遣いが素敵で。


 だけど、小牧に捨てられてからは見る影もなくて。今となっては本当に好きだったのかもわからないが、あの時慰めてあげていれば、何かが変わったのだろうか。


 多分、何も変わらなかっただろう。小牧には人を狂わせる魅力があって、先輩はそれにすっかりやられていた。


 変えるなら、もっと根本を変えるべきだった。小牧が人を見下さないように、私のことを嫌いにならないように接するべきだったのだろう。


 私は今でも、小牧との付き合い方を間違えたことを後悔している。

 一つだけ、彼女が今みたいになってしまった理由に心当たりがある。きっと、いや、間違いなくそれは、私の失敗が原因だった。


「じゃーまずは軽くボレーボレーして、その後試合形式でやろっか」


 茉凛はふわふわした笑みを浮かべて言った。


「ちょっとー。ここに初心者がいるんですけどー」


 夏織がぶーぶー文句を言う。


「まあまあいいからいいから。どうにかなるよ」

「適当だなぁ。私、マジで授業でしかやったことないのに」


 軽く準備体操をしてから、私たちは二組になってボールを打ち合った。自然と、流れで小牧とペアを組むことになる。小牧は中学時代も、部で一番テニスがうまかった。私は例によって二番手である。


「久しぶりだね、わかばとやるの」

「そーですね」


 かつてあれだけの悪意を向けられたのに、嫌い嫌いと思いながらも小牧と一緒にいる私って、どうなんだろう。やっぱり、おかしいんだろうな。


「腕、鈍ってない?」

「それはこっちのセリフだけどね」


 小牧の腕が鈍るなんてありえないとわかっているのに、軽口を叩く。私は黄緑のボールをぽん、と彼女に向かって打った。


「わかばってさ」


 二人きりじゃないせいか、小牧の声が高い。耳が痛いなぁ、と思いながら、私は彼女から帰ってきたボールを打った。振動止めをつけていないラケットから、微かに衝撃が伝わる。


「よく茉凛とこういうことしてるの?」


 茉凛たちはコートの片面で言い合いをしながらボールを打ち合っている。こっちの話なんて聞こえていない様子だ。


「まあ、それなりに」

「部活、途中でやめたのに仲良いんだ」


 色々いたたまれなくなって、私は中二で部活を辞めた。でも茉凛とは何となく波長が合うから、それからもずっと一緒にいる。多分、一番仲がいい友達だと思う。中学の頃からずっと、それは変わらない。


「なんで部活辞めたの?」

「それ、梅園が言うんだ」


 小牧を梅園と呼ぶようになったのも、あの事件があってからだ。


「あれが原因?」

「あれ以外に、原因ないでしょ」


 部活を辞めた理由は、茉凛には話していない。話せるわけもない。


「残ればよかったのに」


 ぽーんと、ボールが大きく弧を描いて飛んでいく。小牧はそれを小走りでとりに行ってから、私の近くまで歩いてくる。


「ねえ。あの人の、どこが好きだったの?」


 耳元で囁かれて、私はびくりと体を跳ねさせた。小牧は嗜虐的な笑みを瞳に浮かべて、蛇みたいに私を見ている。

 やっぱり、性格悪い。


「梅園に言ったって、わからないよ」


 この前の意趣返し、というわけではない。ただ、誰かを好きになるということを、きっと小牧は理解できないだろうと思っただけだ。


 一人で完成されている彼女は、誰かを常に見下している。そんな彼女が自分より劣った存在を好きになることなんてあるのか。


 いや、あるはずがない。彼女は人を意のままに操ることはできても、好きになることなんてないのだろう。嫌いになることはあると、わかっているが。


「梅園は人のことを嫌いになれても、好きになることはできないでしょ」


 小牧は一瞬目を見開いて、やがて眉を顰めた。周りには見えないくらい、微かに。


「わかばなんかに勝手に決めつけられると、腹立つ」

「だったらあの時みたいな感じじゃなくて、ほんとに好きになった人と付き合えばいいじゃん」


 少し険のある声になってしまう。今更怒ったって仕方がないのに。


「……ほんとに好きになった人、ね」


 独り言のようにそう呟いた彼女の顔は、どこか、泣いているようにも見えた。胸がずき、と痛む。この顔を、私は何度も見たことがある。彼女はプライドとか色々なものが邪魔して泣けないから、心で涙を流すのだ。

 でも、今そんな顔をするのはなぜなのだろう。


「そんな人と付き合うことなんて、一生ないから」


 吐き捨てるように言って、彼女はネットを飛び越えた。スコートがわずかに揺れて、彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。


 ぼーっとしていると夏織たちの方からボールが飛んできて、私の頭に直撃する。


「あっやべっ」


 夏織の声が聞こえる。私は吹き飛んだボールを拾って、彼女の方を向いた。


「夏織ー?」

「ごめんごめん、怒んないで」


 はぁ、と息を吐く。頭にボールがぶつかった衝撃で色々なものがこぼれ落ちて、さっきまで何を考えていたのかよくわからなくなる。私は小牧の方を見ないようにして、夏織にボールを打った。


「鍛えてあげる。夏織、随分コントロールがあれみたいだから」

「お、お手柔らかに」


 私はそのまま夏織とラリーをした。

 その間、小牧の方から視線を感じながら。

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