第7話
「ねえわかば。梅園さんってどんな人なの?」
唐突に、夏織が言う。彼女の目は興味あります、と声高に叫んでいる。私と小牧の関係に、何を期待しているのか。
「どんな人って?」
「どんなはどんなだよー。幼馴染なんでしょ? 色々知ってるでしょー」
小牧と幼馴染だということは、別段言いふらしてもいないし隠してもいない。聞かれたら答えるし、聞かれなかったらわざわざ言うこともない。
しかし、私と小牧に関係があること自体あまり学校の人には知られていないから、こうして聞かれるのは珍しいと思う。
「そんなには知らないけどなぁ。誰に聞いたの? 私たちのこと」
「こちらのお姉様に」
夏織は芝居がかった動きで、私の隣に座る
夏織は高校に入ってからできた友達だが、茉凛は中学の時からの友達だ。
なるほど、と思う。
地元の中学では私と小牧は同じ部活に所属していたし、大体の人が私たちの関係を知っていた。
茉凛も同じ部活だったから、私と小牧のことはよく知っているだろう。私たちの間で起こった事件までは、知らないだろうけれど。
「夏織ちゃんが梅ちゃんのこと知りたいって言うから、その流れでね」
茉凛は小牧のことを梅ちゃんと呼ぶ。小牧は外面がいいから、大抵の人とは良好な関係を築いているのだ。
茉凛も茉凛でゆるいというかふわっとしているから、実は結構気が会うのかもしれない。小牧の本性を知ったら、どうなるかはわからないが。
「モテエピソードとか知らない? 一日で十人の男子に告白されました! みたいな」
「いや、そんなエピないから。そもそも、なんで梅園のことなんて知りたいの?」
「あやかりたい」
「え?」
「梅園さんにあやかって、私もモテたいの!」
切実な叫びである。別に夏織もモテないわけではない、と思う。顔はそれなりに整っているし、ころころ変わる表情には愛嬌がある。
小牧を基準にしてはならないのだ。彼女はナチュラルに周りを見下すだけあって、恐ろしく顔が整っている。
声も透き通っていて綺麗だし、運動神経がいいからか、流れる汗まで爽やかに見える。
と、男子が前に言っていた。
周りの人間に見せている範囲では性格も良く、嫌味なところがないからか男子からも女子からも好かれているのだ。小牧はもうそういうものとして扱って、自分とは比べないのが本来は一番である。
馬鹿な私は、それをわかっているのに勝負なんてものを挑んでしまっているのだが。
「こう、モテオーラを浴びたら私もモテそう」
「だったら話しかけて来ればいいじゃん。私と友達になってーって」
「無理! 私から行ったら眩しさに焼かれて死にそう」
「太陽じゃあるまいに」
「私にとっちゃ似たようなもんだよー」
夏織は基本社交的で、誰にでも物怖じせずに話しかけに行けるタイプの人間だ。そんな彼女すら萎縮させる小牧の力には驚く他ない。
しかし、太陽。太陽ときたか。
あながち間違いじゃないかもしれない。太陽は眩い光で人の目を焼くから、肉眼ではその本質を捉えることはできない。だが、それでも人々は太陽を見上げたり、その恩恵を受けようとしたりするのだ。
私は太陽を見るためのゴーグルをしているような状態ではあるが、その本質はやはりわからない。私は結局ただの人間で、太陽の本質からは遠すぎるのだ。
「せめて梅園さんがどんな生活してるのか知りたいなー。真似したら私も輝けるんじゃないのかー」
普通の生活ですよ。普通の一軒家で普通に朝ごはん食べて、普通に登校しています。
そう口にしようとした時、ふわりと花のような匂いがした。
げっ、と声が出そうになる。
「私の話?」
私が知っているものよりも、ちょっと高いよそ行きの声。多くの人は耳に心地いいと言うその声が、耳障りとまではいかないが、嫌いだった。
「うえっ……う、梅園さん」
夏織は借りてきた猫みたいに静かになった。その変化に、笑いそうになる。
「やっほー梅ちゃん。珍しいね、うちのクラス来るの」
茉凛はぼんやりした笑みを浮かべて小牧に手を振る。小牧はにこやかに手を振り返した。
「うん。ちょっとわかばと話したいなって思って」
小牧はそう言って、爽やかに笑ってみせる。
この教室は聖域みたいなもので、今まで彼女に侵されたことはない。だが、今日、彼女の何かが変わったのか、当たり前みたいな顔をしてこの教室に足を踏み入れるようになった。
私は不吉な予感を感じて、椅子を少し引いた。
「そっかー。あ、今度四人でテニスやりに行かない? 久しぶりに梅ちゃんとラリーしたいな」
茉凛はマイペースに話を始める。
驚く夏織。引く私。にこにこの小牧に、いつもの茉凛。どうにも混沌としている。私は何も言わずに成り行きを見守ることにした。
「いいよ。私も久しぶりに茉凛と遊びたかったし。えっと……そっちの子は初めまして、だよね?」
「ひゅ、はい。初めまして。若松夏織です。はい。えっと、その、初めまして」
「初めまして。ええと……夏織って呼んでもいい?」
「は、はい。是非」
「私のことも小牧って呼んでいいからね。よろしく、夏織」
小牧はちらと私のことを見た。
なんだ、私にも小牧と呼べと言いたいのか。そういう態度を取られると、余計に呼びたくなくなる。
まあ、小牧が私に名前で呼ばれたがっているとは、思えないけど。
「よろしくお願いします」
礼儀正しすぎる。いつもの夏織はどこに行ったのか。私が小さく息を吐くと、小牧に手を掴まれる。
「じゃあ、ちょっとわかばのこと借りるね」
「利子はトイチでねー」
「十日間も借りないよ」
一分一秒も借りないでほしい。
そう言えたらよかったのだが、有無を言わさない笑みを浮かべている小牧を見て何も言えなくなった。
そもそも今の私の尊厳を彼女は認めていないのだ。私は最近「そ」の口を見たら文句を飲み込むようになった。
小牧に手を引かれながら、後ろを見る。夏織はフリーズしていて、茉凛は楽しげに私たちを見つめていた。なんでそんなに楽しそうなのか。目線でそう訴えかけてみるが、一層楽しそうに笑うだけで、何もわからなかった。
「土曜。わかばの家に行くから」
彼女はいつも通りの声で囁いた。
屋上に続く扉の前。密かに穴場となっているこの場所は、密会に最適だった。昼休みは時々人がいるものの、授業間の十分休みである今は流石に人がいない。
「拒否権はないんでしょ。お母さんに連絡しとく」
私はスマホを取り出して、さっさとメッセージを送ろうとした。それが気に入らないらしく、小牧は不満そうな顔をしながら、私のブラウスを勝手にスカートから出す。
そのままめくりあげて、私のへそをこの前みたいに露出させたかと思えば、顔を近づけてくる。
ちくりとした痛みが走った。
ワンパターンと言われたことをまだ根に持っているのか、彼女はキスの代わりに私のお腹に吸い付くことにしたらしい。キスよりはよっぽどいいかもしれないが、余計に倒錯的に思えて、思わず眉を顰める。
絶対内出血を起こしていると思う。いわゆるキスマークが私のお腹に残っているところを想像して、少し憂鬱になる。何が悲しくて小牧の跡なんかを自分の体に残さなければならないのか。
「これじゃどっちに尊厳がないのかわかんないね」
痛いとか、やめてとか、そういうことを言ったら負けな気がして、私は平静を装って憎まれ口を叩いた。
「こんなところで人のお腹なんて吸って。恥ずかしくない?」
「別に。わかばを傷つけられるなら、恥も恥じゃない」
いっそ清々しいまでのクズ発言である。考えてみれば彼女に挑戦し続けたからといって、ここまで嫌われるのはおかしいのではないか。
いや、ことあるごとに突っかかってくるやつがいたら、そりゃ嫌いになるか。
でもここまでするのはやっぱり小牧の性格が悪いからだ。小牧は屈折している。私だって人にとやかく言えるほど性格がいいとは思っていないが、小牧ほど悪くもないはずだ。
今でも小牧の幸せを一応は願っているし、泣いてほしくない、とは思っている。嫌いだからって、傷ついて痛い思いをして泣いてしまえばいいなんて思えない。小牧の方はきっと、私とは違うのだろうが。
「最低」
ぽつりと呟いた私の言葉に何を思ったのか、小牧はお腹に軽く噛みついてくる。痛くはない。歯形を残すつもりはないらしく、甘える子犬みたいにお腹をやわやわと甘噛みしてきた。
軽く噛んだところを確かめるようにして舌でなぞり、納得がいっていません、みたいな感じで首を傾げる。
ほんと、なんなんだろう。
「……梅園」
小牧は返事をしない。静寂の中で、彼女の舌が私のお腹の上を滑っていく。キャンバスにでもなった気分だ。筆の代わりに柔らかくて適度な温かさを持った舌が走り、私を染め上げていく。
絵の具と違って色のない唾液だけが、確かに私の上を動いていた彼女の舌の軌跡を教えてくれる。
くすぐったさがなくなり、唾液が乾くと、途端に軌跡は存在が薄ぼやけて、何もわからなくなっていく。消えていく。彼女の残そうとしているものも、彼女の行為も、全て。
彼女はそれでいいのか、そっと頭を上げた。
お腹を撫でてみるが、何の跡も残っていない。なぜ、こんなにも不安になるのだろう。行為の感触が確かめられないだけで、彼女が消えるわけではないはずなのに。
「なんで」
私は掠れた声を上げた。
「なんで梅園は、私の大事なものが欲しいの?」
そんなの、私が嫌いだからに決まっている。
でも、本当に?
嫌いな相手に嫌がらせをしたいなら、小牧がやらなくたって、いくらでも他人にやらせられるはずだ。それだけの力が彼女にはある。わざわざその手を汚してまで私の尊厳を踏みにじり、大事なものを奪おうとする。
その理由は、本当に私が嫌いだから、だけなのだろうか。
疑問には思うものの、じゃあ他に何の理由があるんだと言われれば、わかるはずもない。だから彼女の言葉を聞きたいのだ。
「わからないよ、わかばには」
「どうして」
「わかばは、わかばだから」
哲学的な話である。確かに私は私で、小牧にはなれないし、夏織にも茉凛にもなれない。それがどうしたというのか。
「嫌いなら、嫌いって言えばいい」
私は放り投げるようにそう言った。放り投げた言葉は小牧の頭でぽんとバウンドして、そのまま階段を転げ落ちていく。
「わかばは馬鹿だ」
「何それ。回文?」
「そういうところが嫌い。見えないんだよ、わかばは」
「見えないって、何が」
「いい。どうせ、何を言ったって無駄だってわかってるから」
私のお腹を軽く叩いて、小牧は階段を降りていく。自分で勝手に完結して、去っていこうとする彼女。全くわからない。彼女が何を考えていて、私を一体どうしたいのか。いっそ私の嫌いなところだの、欠点だのをあげつらえばいいのにと思う。
私は小牧のことが嫌いで、小牧も私のことが嫌い。
そういう前提がなくなってしまうと、彼女のことが今よりもっとわからなくなりそうだった。
「馬鹿はそっちじゃん、馬鹿」
呟いた言葉は、今度は誰の頭にも乗らないまま階段を転げ落ちていった。
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