Side アブデュル

 時は少し遡る。

 ヘラ・フォン・アイゼンベルクがアブデュル・ムラマハト・トゥルクを城内に招いたところまで。





   ◇   ◆   ◇   ◆





「お慕いするアブデュル殿下と一緒に歩けるなんて、夢のようですわ~!!」


 アイゼンベルク家の長女・ヘラ令嬢が何やら体をくねくねさせながら前を歩く。

 ぱっと見たところ、まだまだ自我もはっきりしていないような5歳児。

 なのに、隙がない。

 全身くまなくぴったり1センチの魔力で覆っていて、それが我が護衛騎士バースの殺気を吸収している。


 そう、吸収だ。

 反射ではなく、吸収。

 我が国随一の武人であるバースの、並みの兵士なら即死させうる強烈無比な殺気を、はねのけるですらなく、食事か何かのように飲み込んでいるのだ!!


(バケモノだ……アイゼンベルク家の人間は筋肉のバケモノだと聞いていたが、まさかこんな、年端も行かぬ女児までバケモノとは!)


 アブデュルは内心、舌を巻く。

 アイゼンベルク城の廊下を歩きながら冷や汗を浮かべずに済んでいるのは、ひとえに厳しい帝王学教育の賜物。

 全身くまなく1センチ、という魔力操作精度もまた、すさまじい。

 バースとこの娘・ヘラが真剣勝負をしたとして、バースが勝てるかどうか。


(それにしても)


 アブデュルは内心、ヒヤヒヤである。


(バースのやつ、爆発寸前だな……)


 まぁ、無理もない。

 ヘラには護衛対象であるアブデュルの懐に潜り込まれたうえ、放り投げたと思えばひらりと着地されてカーテシー。

 全力の殺気も涼し気な微笑で飲み込まれる始末。

 骨の髄まで武人のバースが、ここまでコケにされて自刃しないのは、ひとえに任務中だからであろう。


(それにしても、これが伝説の【筋肉魔法】か)


【筋肉魔法】は【闘気ウェアラブル・マナ】の上位魔法。

 剣士として達人の域に達している父とバースは習得しているが、若干10歳のアブデュルは――その剣の腕をバースから絶賛されながらも――未だ会得できていない。


 なのに、目の前の少女は【筋肉魔法】を会得している。

 ひとえに、アイゼンベルク家の血を引いているからだろう。

 いや、ヘラ令嬢の身のこなしや魔力操作能力は、彼女自身の才能と努力の賜物だろう。

 若干5歳にしてはあり得ないほど、この少女は強い。

 だが、5歳にして【闘気ウェアラブル・マナ】の上位魔法が使えるのはさすがに、彼女がアイゼンベルク家の娘だからだ。


 我がトゥルク帝国の悲願『東と西を結ぶポスボラス海峡征服』を百年以上も拒み続けてきた宿敵・アイゼンベルク。

 トゥルク帝国にとっては悪魔のような名前だ。

 同時に、武勇こそ誉を地で行くトゥルク帝国にとっては、憎いながらも尊敬するという、不思議な相手である。


(欲しいな、その血)


 欲しい。

 何としても、トゥルク帝国の未来のために取り込みたい。


(……いや)


 そう、そうだ。

 今まさに、その血を受け継いだ本人が、血を差し出そうとしているのではないか!

 話によると、この無類の武人にして【筋肉魔法】の使い手ヘラは、己――トゥルク帝国皇太子・アブデュル・ムラマハト・トゥルクに惚れているのだという。


(だが、本当に?)


 確かに自分がワータイガーを素手――正確には【闘気ウェアラブル・マナ】を纏った爪と脚――で倒したのは事実だ。

 だがそれはたかだか数ヵ月前の話で、トゥルク帝国国内でこそ有名な話だが、他国――仮想敵国――にまで行き届いているとは考え難い。


(恐らくは、我が国に草を忍び込ませ、能動的に俺の情報を集めているのだろう)


 ヘラ令嬢の話は、美味しい。

 ヘラ令嬢はこちらに惚れ込んでいるのだという。

 実際、こちらに対する熱量といったらすさまじく、まるで処女ごと【筋肉魔法】を提供してくれそうな勢いである。


 先ほどからいろいろなところに案内してくれる彼女は、アブデュルに聞かれるがまま、アイゼンベルク家にまつわる機密情報をベラベラと喋っている。

 図書館も見せてくれたし、兵器の開発室にすら案内してくれた。


「これが、我が軍がグランド連合王国と共同開発しているフィンエールド銃マークII――」


(それにしても、最新兵器に関する軍事機密まで明かすとは。この娘、バカなのか?)


 ヘラ令嬢が小さな体で小銃を持ち上げる様子を眺めながら、アブデュルは『いや』と思い直す。


(そうだ、何を考えているんだ、俺は。相手は5歳児ではないか。まだまだ分別もつかない幼児が、憧れの男性に気に入られようとして、持てるカードを全てぶちまけているわけだ)


 可愛そうに。

 ヘラ令嬢はきっと、トゥルクの皇太子と護衛という仮想敵国の中枢人物に最新鋭兵器について洗いざらい喋ってしまったことを、後から父親にこっぴどく叱られるに違いない。

 叱られる程度で済むだろうか。

 これほどの軍事機密、軍の編成に大きく関わってくるはずだ。


(可哀そうだが、これも仕事だ。父と帝国のために、しっかりと学ばせてもらうとしよう)


 ヘラ令嬢は自分の身長ほどもある小銃を構えてみせる。

 こんなに小さく華奢な体で、見事な射撃姿勢だ。

【筋肉魔法】だろう。


 アブデュルは強い女性が好きである。

 今、目の前にいる女性は、強く、そして可愛らしい。


 先ほどの短い密談で、父からは、


『ヘラ令嬢を落とせ。何としてでも』


 との命令を受けている。

 だからだろうか。

 5歳児が相手だというのに、変に意識してしまう。


(いや、本当に可愛いな。俺はこういう女が好みだったのか)


 金髪碧眼。

 豊かな髪と、人形のように整った容姿。

 華奢な体。

 でありながら、バースに投げ飛ばされ、即死級の殺気を浴びてもケロリとしている圧倒的武力。

 しかも、こちらが喉から手が出るほど欲しい【筋肉魔法】の使い手。

 魅力的だ。とても魅力的。


 その令嬢ヘラが、驚くべきことを口にした。

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